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ポインセチア2011/12/02

クリスマスツリー
今年もクリスマスのシーズンに入りました。
先日、猩々草と猩々木の話をしたからでしょうか、
女房殿がきのうポインセチア(猩々木)を買ってきました。

クリスマスにはポインセチアが似合うとか。
深紅の葉がバラの花のように強烈な印象を与えます。

午後になって、コソコソやっているなと思ったら、
クリスマスの小さな飾り物を持ち出してきて、
テーブルの上に広げていたのです。

今宵はせめてジングルベルの歌でも聞かせましょうか。
ちと、早すぎるかな。

一車両の伊豆急行線2011/12/04

電車を撮影する人
「一両だけの車両を走らせると聞いて出て来たんです」伊豆急行線の志津摩の2号踏切で三脚にカメラをセットしてトンネル方向をねらっている若者がいました。東京北区から早朝出てきて、今はもう一時間半くらいねばっていると言います。

先ほど“井の際”のミカン貯蔵所、”石屋御殿”前から志津摩海岸を見下ろしていた時、一車両の電車が下田方面へ通過してゆきました。普段暇な時間帯は最低でも3車両でしたから、おやっ?と思い、あわててカメラを向けた時には、山影に入った後でした。残念!

「さっきまではここに5,6人いて、撮影していたんですよ」彼はもう少し待って踊り子号を撮影して帰るとのこと。

この2号踏切では写真撮影する人をよく見かけます。稲取トンネルを抜けてきた電車がハウスの間から顔を出すところが絵になるのでしょう。

カメラをやる人は釣りと同じように辛抱強くないといけません。チャンスが来るまでじっと待つのですから。よく退屈しませんね。何かのために早朝眠いけど出てくる、というのは解りますが・・・。

キンメの水揚げ2011/12/05

キンメの水揚げ
本日、午後2時ごろに市場に通りかかったとき、「まだまだ!」と言う声が聞こえました。事務所の脇に発砲スチロールの山が出来ています。セリ場へ回ると、キンメのケースがいつになくたくさん並んでいました。

先週の月曜日もキンメの水揚げは多かったのでは?ここに来て持ち直し始めたか?去年も総じて不漁で、今年は去年以上に悪いと言う噂は本当かどうかわかりませんが、確かに、出漁している時間が少ないことは事実です。

今朝は列を為して出て行ったのが午前4時ごろ。9時には、気が付いたらズラリと波止場に船首を並べていました。11時に港を見て回ったときには、もう既に漁師の姿はありません。

午後2時を過ぎて、役場前に2ハイの大型漁船(SO2)が帰ってきました。一つは釣り船で、この写真の船は一人です。船底の貯蔵庫から次から次へと大きなキンメが上がります。2キロはありそうでしたが、1.2キロくらいだそうです。選り分けられた比較的小さいのはまた船底に戻されました。これはエサにするのかな?

キンメの目の色が写真では確かに金色に輝いています。これはフラッシュを焚いたからで、光の反射がなければ、普通の魚と同じ目の色です。光の届かない深海でこの目の効用はどこにあるのでしょうかね?

お塚公園2011/12/06

お塚霊所
前に“さんごうさん”の場所を訪ね歩いて、それが「釋地大明神」を祀った立派な祠だったことがわかりました。西町の石段をたくさん上がった高台の中腹にあります。

ついこの間までは、みんなでおいしいものを持ち込んでおこもりをしたり太鼓やネリで歩きまわったりして、地域の人たちを結びつける大切な役割を担っていたということです。

そのとき近所のオバアサンから、さんごうさんの上に出て立野へ行けば“おおつか”公園があると教えてもらいました。ところがこの“おおつか”は実は“おつか”即ち、お塚公園だったのです。

さんごうさんを経由して稲取岬の小尾根に上がり、西に向かって下りてゆくと道は直角に北へ向かいます。そして最初の路地を左に入ってゆけば“お塚”公園は間もなくです。

この小公園には滑り台の付いたジャングルジムのようなものがあり、狭いですが子どもが遊べる場所になっています。この辺はちょっとした台地で、昔は見晴らしも良かったのではと思われます。

下から買い物袋を提げて上がってきたオバサンが、一息つきながら教えてくれたのが、この脇に八幡宮の古い墓地があるということでした。金網越しに覗くと、確かに墓石が木立の中に並んで立っているのが見えました。

教えてもらった通り下って右に回り込むと、果たして狭い石段があり、その先に大きな石碑が立っていました。お塚霊所と刻まれた碑文を読むと、都の政争に敗れて落ちのびてきた皇子の亡骸を石棺に納め塚を築いたものとのことです。

以前、稲取にはこうした塚が各所にあると聞きました。水下に“石塚”、入谷に“角力塚(すくもつか)”などの字が残っています。また落ち武者の話しもよく聞きます。

お塚霊所の中には金網戸にカギがかかっていて残念ながら入れませんでしたが、八幡神宮の宮司の個人的な霊所のようですから、遠慮しなければなりません。まあ、落ち武者でなく、都の貴族が落ちのびてきた“事実”がわかっただけで了としませう。

長坂にて2011/12/07

長坂のミカン畑
この写真は昨日長坂を通りかかったときに写したものです。ペンションマスカレードのちょうど下に位置します。右の椰子の高木が目印です。

年配の方がミカン畑の石垣の上で雑草を取っていました。せり出したミカンの木の枝を切りそろえたあと、しつこい雑草をとっているところでした。芝刈り機を回して切り払うのではなく、根っこを掘り出して退治しているのです。

稲取の農家の方はお年寄りでも良く働きます。バランス感覚も優れていますね。例えば、ミカンの木にハシゴをかけて、その上で作業するなどは当たり前になっています。

それから、農家の方にはあまりメタボの人はいないようです。この写真の方は鍬を使っていますが、腹筋や背筋が余程強くないと出来ない仕事です。瞬発力ではなく、継続的な力の消費がスリムな体をつくるのでしょう。

長坂はペンションマスカレードから更に上の入谷道までの間が特に急な坂道です。車がなかった昔は移動が大変で、牛馬への依存は少なくなかったと思われます。しかし、それでも、人間も坂道の往復で足腰は鍛えられたことでしょう。

80歳を超えた高齢の方が現に仕事が出来るのは、移動や配送などで車の果たす役割が大きいのも、その理由の一つであることは間違いありません。

稲取に来てびっくりしたのは、高齢な人が男女を問わず車を運転することでした。それも急で、しかも曲がりくねった細い道を器用に運転するのです。多分、免許証の所持率は都会より高いと思われます。車の事故が殆どないのも素晴らしいことですね。