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虫こぶ ― 2014/04/14
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きのう中川の畑から一望閣へ通じる急な坂道を喘いでいたら、足元に奇妙な葉っぱが落ちているのに気が付きました。葉っぱの裏に粒々がたくさん付いているのです。写真に見るように虫の卵にしては大きすぎます。
よく見ると、リンゴのような色や形をしています。そこらに落ちている木の枝で払い落とそうとしたのですが、しっかりと葉にくっ付いて離れません。しばらく観察して写真を撮った後、上を仰いだら、傍の木の葉っぱにも粒々が付いているのが見つかりました。
つまり、足元の粒々の葉は何かによって産み付けられた木の葉がたまたま落葉したものだったのです。実は今朝も平並みハイウェーで全く同じものを見つけました。去年、「オトシブミの揺り籠」を見つけて以来の驚きです。
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<この虫がタマバエかな?>
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暇人の手前、ネットで辛抱強く検索していったら、やっと正体がわかりました。この粒々は「虫こぶ」(虫えい)と呼ばれるもので、ハチやアブラムシなどが産み付けた卵が葉を刺激してコブのような形になったもののようです。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Hanamizuki/4556/mushikobu.htm
http://matsue-hana.com/jumoku/jumokumusiei.html
ネットでいろいろな虫こぶが見つかりましたが、昨日今日見つけた写真のものはタブノキの葉裏にできた「タブノキハウラウスフシ」とかいう虫えいにそっくりです。これはタマバエの卵によってタブノキの葉が反応して極小のリンゴ状の見事な粒ができたというわけです。
オトシブミにしても、このタマバエにしても、このような形で葉に寄生して成長し成虫となり、卵を産んでまた次の世代へと命をつないでゆくのですね。またひとつ自然界の不思議な営みの一端に触れることが出来ました。ただ、この粒々がこの先どう変化してゆくかをじっくり観察する辛抱強さを持っていないのは残念ですが。
天神原に梅林を ― 2014/04/16
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バス通りにある「喫茶食堂ヤシ」の脇から、細い道をたどってミヤ美容室経由で更に上がった台地はいわゆる“天神原”というのだと思うのですが、グーグルの地図で「清水」と書かれている場所は吉祥寺、善応院、そして清光院が背にしている台地です。
その“背”には南北に松の木が並び、「清水」地区の防風林の役目をしているように見えます。そして去年の暮にここを訪れた時も、松の木に沿って南北に細長く畑がずっと続いていました。
その畑が驚いたことに忽然となくなり、整地されて雑草が一面に生い茂っているではありませんか!レンゲ色のピンクが柔らく目に飛び込んできたので、近づいてみるとホトケノザの群落でした。黄色いカタバミも咲いています。美しい風景です。
この暮にここの畑に手を入れているオジサンの姿を、最後に見てから4か月近くが経ちました。あのとき彼の顔色が悪かったのを思い出します。ふと、このあいだ役場前で見たツリガネズイセンが生き生きと咲いているのに気が付きました。思わずしゃがみこんで写真を撮っていると、年配の方が通りかかりました。
この方の話しでは、あのオジサンが体調を崩したらしく一部だけを残して畑を更地に戻したということでした。なんでも、この土地はT家の所有で、今は生存しているその家の唯一人の女性が横浜に住み、この地には殆んど顔を見せないという。
土地は荒れるに任せるよりは、耕作してもらった方がよいだろうということで、あのオジサンにこの土地を貸したのだそうで、しかも無償だということでした。私はオジサンと何度か話をかわしていますが、彼は誰にでも好かれる心根の優しい人でしたから、どういう経緯があったかは別にして、充分納得できる話でした。
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実は、この土地の一画に梅ノ木が数本あります。年配の方の話では、戦時中の食糧難のときに先代が梅の実を目当てに植えたものだということでした。それなら、この土地を梅林にしたらどうでしょうか。
今、世間はサクラにのみ目が向いているように見えます。確かに、サクラには充分楽しませてもらった余韻が未だ残っています。しかし、サクランボが穫れるサクラではありません。紅梅、白梅が咲き、しかも実が穫れる梅の木を植えれば一挙両得というものです。
この近くには町が埋蔵文化財に指定している天神原遺跡があり、向井の「上の山」遺跡と同じような環境に在ります。このまま荒地にしておくのは如何にももったいない話です。お花見が出来、しかも実が生る梅林を誕生させたらどうですか!
どうも人のフンドシで相撲をとるような話をしている気がしないでもないですが、こうした耕作放棄地、遊閑地を放っておくことはないでしょう。どなたか、オーナーや町との間に立って話を進めてゆくNPOでも立ち上げてくれませんかね。
キダチアロエ ― 2014/04/17
“上林の沢”の吾妻権現神社へは国道からかなり急な坂を上らなければなりません。しかも石段が確か600段以上も続きます。今朝はその石段を上って“ふれあいの森”の展望台経由でミカンワイナリーに寄って帰って来ました。
ミカンワイナリーのショップを覘いたのは実に5年ぶりです。当時はミカンワインが珍しく、度々ここに買いに来たのでした。今回はアロエジュースが体に良いというので、喉が渇いた時の清涼飲料水として試すつもりでやってきました。
ところが、ショップでの説明では一日わずか30ミリgくらいが摂取量の限度だとのこと。それでもとにかく購入して帰宅してから調べてみると、喉の渇きを潤すどころか苦い味で、便秘や血糖値の改善に効果があるというのです。また、血圧やコレステロールを下げる効能もあるとも。
かくしてアロエは医者いらずと言われるほど、薬用効果があるというのがよくわかりました。ということは、むやみに飲用出来ないということです。私の場合は、手術後の薬を2種類と、高血圧及びコレステロールをそれぞれ下げる薬、計4種類を服用しています。これらの薬との相互作用、つまり飲み合わせによる害を考えねばなりません。
アロエにはまた抗癌の効果もあるとのことですが、それを別にして、高血圧とコレステロールの薬を飲むことになる前に試してみたかったですね。先ほど、ひと口だけ飲んですごく苦かったことを考えると、効果は十分な予感がします。
さて、アロエをやめるか、服用中の薬をやめてアロエだけにするか、今度こそ医者に相談しなければならないかなと真剣に考えています。
ミカンワイナリーのショップを覘いたのは実に5年ぶりです。当時はミカンワインが珍しく、度々ここに買いに来たのでした。今回はアロエジュースが体に良いというので、喉が渇いた時の清涼飲料水として試すつもりでやってきました。
ところが、ショップでの説明では一日わずか30ミリgくらいが摂取量の限度だとのこと。それでもとにかく購入して帰宅してから調べてみると、喉の渇きを潤すどころか苦い味で、便秘や血糖値の改善に効果があるというのです。また、血圧やコレステロールを下げる効能もあるとも。
かくしてアロエは医者いらずと言われるほど、薬用効果があるというのがよくわかりました。ということは、むやみに飲用出来ないということです。私の場合は、手術後の薬を2種類と、高血圧及びコレステロールをそれぞれ下げる薬、計4種類を服用しています。これらの薬との相互作用、つまり飲み合わせによる害を考えねばなりません。
アロエにはまた抗癌の効果もあるとのことですが、それを別にして、高血圧とコレステロールの薬を飲むことになる前に試してみたかったですね。先ほど、ひと口だけ飲んですごく苦かったことを考えると、効果は十分な予感がします。
さて、アロエをやめるか、服用中の薬をやめてアロエだけにするか、今度こそ医者に相談しなければならないかなと真剣に考えています。
どんど焼きの担い手 ― 2014/04/18
吾妻権現神社への道は一望閣へ抜ける道を左に分けてから、稲取でも屈指の急坂が続きます。この坂の途中で、先ほど道を譲った軽トラが畑の入り口に留まっていたので、ちょっと立ち寄ってみました。きのうの朝の話しです。
畑の中にはちょうどエンドウ豆を収穫している人がいました。話を聞くと、この方は白田の出身で今は田町の住人だとのこと。彼はつい3年前まで東伊豆町の消防署に勤めていたそうです。兄は百姓が嫌いで、野菜やミカンは彼が収穫して届けていると笑って話してくれました。
白田出身の方だと聞いて、先日アスド会館の裏に回って展望に優れたカヤ原を見つけた話をしたところ、彼はあの辺りは昔から山焼きをしたところだと言います。だとすると、浅間山の尾根の北面は広範囲にわたって山焼きされていたということになります。
浅間山の山焼きは一度民家にまで火が迫ったこともあって、それ以来中止されたと聞いています。その辺の経緯や、山焼きの範囲面積の実態などを詳しく調べてみるのも意味のないことではないかも知れません。それには浅間山からチュウチン山(浅間尾根の末端にある二等三角点の山)にかけて、もっと尾根や谷を歩いてみる必要があります。
それから、白田のどんど焼きの模様を聞くことが出来ました。どんど焼きの担い手は当時小学生以上の子どもで、彼は幼稚園の頃から仲間入りしていたそうです。子供たちは白田川の河岸に茂っている葦を切ってきて集め、隠れ家を作ったりしてどんど焼きの当日まで遊んだと言います。
その他、要害山の辺りに山城があったらしいと彼も言っていましたが、やはり白田の多くの人たちはかつて山城が存在していたことを信じているように思えます。しかし、有力な文献が存在しないということは記録に残らなかったほど、戦の体験がない平穏な時代が続いたということかも知れません。あるいは、火事とともに手がかりが消滅してしまったとも考えられます。
そうした史実はただ歩くだけでは得られるはずがありませんが、でも、何か肉付けが出来ないとも限らないでしょう。とにかく、白田をもっと歩いてみたいと思うや切です。
畑の中にはちょうどエンドウ豆を収穫している人がいました。話を聞くと、この方は白田の出身で今は田町の住人だとのこと。彼はつい3年前まで東伊豆町の消防署に勤めていたそうです。兄は百姓が嫌いで、野菜やミカンは彼が収穫して届けていると笑って話してくれました。
白田出身の方だと聞いて、先日アスド会館の裏に回って展望に優れたカヤ原を見つけた話をしたところ、彼はあの辺りは昔から山焼きをしたところだと言います。だとすると、浅間山の尾根の北面は広範囲にわたって山焼きされていたということになります。
浅間山の山焼きは一度民家にまで火が迫ったこともあって、それ以来中止されたと聞いています。その辺の経緯や、山焼きの範囲面積の実態などを詳しく調べてみるのも意味のないことではないかも知れません。それには浅間山からチュウチン山(浅間尾根の末端にある二等三角点の山)にかけて、もっと尾根や谷を歩いてみる必要があります。
それから、白田のどんど焼きの模様を聞くことが出来ました。どんど焼きの担い手は当時小学生以上の子どもで、彼は幼稚園の頃から仲間入りしていたそうです。子供たちは白田川の河岸に茂っている葦を切ってきて集め、隠れ家を作ったりしてどんど焼きの当日まで遊んだと言います。
その他、要害山の辺りに山城があったらしいと彼も言っていましたが、やはり白田の多くの人たちはかつて山城が存在していたことを信じているように思えます。しかし、有力な文献が存在しないということは記録に残らなかったほど、戦の体験がない平穏な時代が続いたということかも知れません。あるいは、火事とともに手がかりが消滅してしまったとも考えられます。
そうした史実はただ歩くだけでは得られるはずがありませんが、でも、何か肉付けが出来ないとも限らないでしょう。とにかく、白田をもっと歩いてみたいと思うや切です。
花紀行 ― 2014/04/21
小雨の中、傘をさして出ました。殆どの植物が生気に満ちています。
一望閣へ上がる急坂でフクダンバラ(サルトリイバラ)が実をつけていました。葉が痛んでいるのは虫のせい?
一望閣からアラッコ線に入ると、ユーカリの木の根元にキンギョソウが積んでありました。肥料のつもり?この木は毎年7月頃真っ赤な花を咲かせます。
これは?
そしてフジの花
「二つ掘り」さんの庭に見事なコデマリに囲まれたツツジ。共に新鮮でした。
水下から下平塚まで来て、ふと電柱に「日塚」の文字が!先日、車石のオバアチャンが言っていた「ヒヅカ」は「平塚」ではなく、文字通り「日塚」だったのです。
志津摩川を渡ってから坂を中程まで上がった所で右へ荒巻経由で農免道路へ向かいます。荒巻までは急坂です。そして向畑のT字路、朝日屋さんの前のベンチで一休み。ご主人と雑談。ご近所さんからのリクエストがあって、今でも塩とお酒を扱っているとのこと。
山神社の前を通って入谷道を下ると、スクモ塚でこれも立派なコデマリとドウダンツツジの組み合わせ。エリカの赤い花が幾輪かのぞいていました。
稲取アルプスで稲取漁港と稲取の街を一望した後、吉久保に下ります。水生の庄を見上げる谷でハルジオンが生き生きとしていました。
そして最後に田の上であのボリジが今年も民家の花園で咲きだしました。
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