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黒猫のミー ― 2015/11/05
黒猫のミーはアラシュクの人気者である。
名付け親は旅館HM荘の一番下の孫娘、中学生のKさん。ミーは生まれて間もない捨て猫で、3年前のある朝、Kさんが通学で近くの清水公園の脇を通ったとき、公園の中の大石を組んだ造形物の辺りから、猫らしい微かな鳴き声を聞いた。近づいてみると、造形物の溝の中に大きな段ボール箱が置かれていて、その中で5匹の子猫が鳴いていた。
その日はそのまま通り過ぎ、翌朝段ボール箱の中を確認すると、4匹になっていた。翌朝、そしてまた次の朝になると一匹ずつ減ってゆき、5日目の朝にとうとう一匹になった子猫がKさんの脚にまとわりついてきた。Kさんがその場を離れると、ミーミーと泣きながら付いてくる。更に逃げるようにして方向を変えても、追いかけてきた。Kさんはついに覚悟を決め、この子猫を抱いて家に戻った。そして、取りあえず祖母に押し付けるようにして学校へ向った。
Kさんが学校から帰ってきて、祖母を懸命に説得したことは言うまでもない。普段から動物は飼わない、飼えないと言われているのでOKをもらうまでが大変だった。生き物を飼うことなど考えてもいなかった祖母も困惑した。旅館という商売柄、お客様に迷惑はかけられない。結局、次の条件で折り合うことになった。
この子猫の世話はKさんが中心になってする。
24時間絶対に家、旅館の中に入れない。その代り“猫小屋”を用意する
食事の世話は祖母がする。
清水公園には昔、町役場があった。一軒家ほどの広くもない敷地に建つ町役場では時代の要請に充分に応えられなくなり、港を埋め立てて道路が整備され、その脇に新庁舎が建ったのが昭和59年のことだった。その跡地に出来たのがこの公園で、今では周りの建物に囲まれてひっそりと人の訪れを待っている。
この公園に特筆すべきものが二つある。一つは田村又吉翁の大きな顕彰碑で、横巾が1メートル、高さ3メートル、厚さ30センチもある堂々とした石碑だ。田村又吉翁は明治の時代に村の殖産と村民の知育に心血を注ぎ、稲取村を模範村として全国に知らしめた。この町で彼の名を知らぬ者はない、町の偉人である。
もう一つは築城石だ。東伊豆町には江戸城の石垣を供出した石切り場が何箇所かあるが、入谷のMさんらが大川の石切り場に残置された築城石用の間知石をこの公園に運んできた、と聞いたことがある。間知石(けんちいし、まちいし)とは、石垣や土留めに用いる石のことである。
いわゆる築城石の完成品はその大きさから畳石と呼ばれ、かなり大きなものだ。ここでは、運んできた端石を幾つか組み合わせ、正面真ん中4分の3の凹んだ高さから温泉の湯が流れ落ちる仕掛けにしてある。湯の町の情緒を出そうというわけだ。
私がこの清水公園でミーの姿を初めて見たのは去年の春だった。一匹の黒猫がきちんと前足を揃えて、人待ち顔である。黒い毛並が温かい日差しを受けてキラキラと輝いていた。近づいてきた私の方におもむろに首だけを向けた仕草が一際、愛らしく見えた。首に赤いテープが巻かれていたのを見て、この黒猫はどこの家の飼い猫だろうと思いながらじっと観察していたが、ミーは身じろぎもせず、私の一挙手一投足を眺めていた。(つづく)



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