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狸穴2023/06/19

奈良本峠に上がったのは何年振りでしょうか?ここは今や三菱地所が拓いた広大な別荘地。洒落た建物が多く明るい別荘地です。峠と言えばお地蔵さま。苦労して登ってきた旅人はお地蔵さまがおわすこの峠で心身を癒し、向かう方向を確認して下っていったわけです。お地蔵さま3体(5体?)と供養塔(一つは西国33カ所巡礼供養塔)が2塔の石仏群は殆ど10余年前と変わっていませんでした。 

東浦路はこの峠から東北方面へ下ってゆきます。途中、別荘が一軒と「伊豆マウンテンドッグラン」(その後、廃業したようです)の前を通過して、峠から17分後に北川の集落に到着。そしてT字形の角を右に曲がると遠方に見覚えのある大きな石碑を発見。残念ながら文字は野ざらしのため風雨などによる浸蝕激しく、読み取りは出来ませんでした。 

東浦路はこの道をそのまま進みます。ただし、この先は旧家が一軒あるだけで、しかもその先は、10余年前に通ったときは道形が少し残っていただけで森の中を通過し、最終的には旧国道に合流することになります。今回は石碑の手前のT字形を右に下って旧国道を目指します。 

ちょうど近くで伐採した木を細かく処理している年配の方がおられた。細い道に障害となる倒木をそのままにしておけないから処分しているところだとのこと。ボランティア作業です。邪魔をわびて早速、教えを請います。しかし、この地域の方でありながら、地域の名称(あざな)は聞いたことがないとのこと。多分、地域の皆さんもお年寄りが亡くなって知らないのではないかとも云います。そこで、「狸穴」という名前を出してみたのですが、やはり知らないとの返事でした。ただ、この東浦路を進んだ先に広くミカン畑などの土地を所有しているお婆さんに会ったことがある話をしたところ、私が覚えていたその土地の「根岸」という地名は「ねぎば」(「ねぎや」とも聞こえた)のことだろうと言うのです。何故なら、このお婆さんの家はこの下の三島神社の“祢宜(ねぎ)”をしている家柄なのだからと云います。それに近年、このお婆さんは既に亡くなっているというのを聞いて、私も既知のことだったので、同一人物に違いないと納得したのでした。

 ボランティアの方と別れて旧国道に下りました。見覚えのあるかつての農協支所の建物が目の前です。

農協の支所を回り込んだ所に庭先で水洗いをしているオバさんがいました。「狸穴」の場所を何としてでも特定したい。オバサンは「狸穴」という名前を知らなかったのですが、ご亭主に聞いてみると言って奥へ引っ込みました。

時間切れ、この続きはまたあした・・・・。