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稲取桟道橋から稲取港へ2024/07/02

三日前の土曜日にはプリンターのインクが切れて、目下作成中の新刊書の為に急遽蓮台寺のエディオンに駆けつけたのでした。そして日、月と雨。二日間、閉じ込められて今日は漸く、夕方になって外へ飛び出しました。

➀でスタートし、➁から長坂を少し上ってアラコ道に入り、➂の二つ堀から天神原経由で⑦の山田書店通りから港へ出ました。途中アラコ道で久し振りにユーカリの樹の赤い花を見て感激!以前と比べてだいぶ規模は小さくなりましたが。


そして市場前から港を歩きました。実は、作成中の新刊書の主人公シロネコに会う為でした。
相棒の黒猫2匹の姿は無し

稲取大川の臨港橋からカモメの幼鳥,、或いはセグロカモメ

片瀬~図書館~熱川海岸2024/07/03

きょうは随分暑かったですね!でも、東伊豆は日陰に入ると、まだまだ酷暑とは言い難いところがあります。
片瀬のバス停から「蟹が森」へ向かうと赤いヒメヒオウギズイセンが迎えてくれます。

坂を苦しんで漸く横平尾根の峠に到着。所要20分。まさに山の中の道なので立木が陽を遮ってくれて助かりました。

蟹が森の台地に出ました。天城連山はガスの中。

帰りは熱川海岸から

堤防には数人の釣り人


白田親水公園にて2024/07/05

一昨日の奈良本の図書館からの帰途、大抵白田親水公園に寄ってバスの時間待ち調整をします。今回の先客は5月にお会いしたおばちゃんではありませんでした。ベンチに座ってグレーのネコと遊んでいました。傍らには手提げ袋があり、何やらいっぱい詰まっています。多分、ネコのエサなのでしょう。声を掛けたらやっと顔を上げてくれました。白い帽子からはみ出した銀髪がお年を感じさせます。「この子はね、しょっちゅう躰をすり寄せてきて可愛いのよね」

傍らに置かれた白い小皿はいつもの小皿です。エサが少しだけ残っていました。どうやらそろそろ引き上げるところのようでした。「私が帰るといつも付いてくるの。それが困るのよ」彼女は一つ家に三人姉妹で住んでいると言います。下の妹がネコ嫌いで、家の中にネコは絶対に入れないそうだ。彼女は真ん中で88才、姉が92才で妹が78才と聞いてかなりの高齢家族なので驚いた。しかも、88才のこの方自身が随分お元気なようで、帰りに立ち上がってスタスタ歩く姿が実にかくしゃくとしているのです。 

かつて、飼い犬が躰を私の足に摺り寄せて甘えを見せることが散歩中に度々ありましたが、ネコに甘えられるのは、私の子供時代を除けば殆どありません。ましてや、野良ネコにすり寄られるとは!このグレーが初めてです。グレーはネコ属ではかなり大きい方で、丸々としています。こうして皆さんに可愛がられ、エサにも心配がなくなると人間と同じように気持ちにゆとりが出て来るのでしょうか、目つきも良いし毛並みも奇麗に見えます。このオバアチャンによれば、グレーの名は“クーちゃん”だと言います。ここで最初は“きゅーちゃん”と呼んでいたのが、今はクーちゃんなのだそうです。よく食ってばかりいるからクーちゃん?それが時にきゅーちゃんになり、また本来のクーちゃんにもどったのかな?何しろ、グレーは丸々と肥えているのですから。

何度目かに「帰らなくちゃ」と言ってようやく立ち上がった銀髪のオバアチャン。池の周りをまわって片瀬白田駅の方角に歩いてゆきました。しかし、グレーの“クーちゃん”は私の足元に横になったまま動きません。私は内心“シマッタ!”と思いながら、あわてて立ち上がりました。そして国道側からバス停白田海岸へと向かいます。しかし、グレーは付いて来ません。ホッと胸をなでおろしたのでした。 

白田川親水公園のもう一方の主役、三毛ネコは最初から最後までベンチに反対側の少し離れた池の端で躰を伸ばして横になったままでした。時々当方へ上目遣いに一瞥をくれる程度です。5月に訪れた時は三毛がオバちゃんに甘えていたのに、今回は88才のオバアチャンに甘えていたのはグレーの方です。ほぼ同時刻のことです。ひょっとすると、三毛とグレーとが暗黙の了解の上でそれぞれ甘える相手を決めているのかも知れません。先月は庇護者がおらず、三毛はベンチの下で横になっており、小皿のエサを巡ってカラスとの駆け引きであわやバトルが始まりそうな場面でした。そこでグレーがその大きな体躯を利してカラスに対抗していたのです。エサは勿論、三毛を護っているように見えました。立派な絆で結ばれているではありませんか。


認知症はどちら?2024/07/07

10日も遅れて梅雨に入った今年は初っ端から30度を超す暑い日が続く。朝が遅い私どもでは午前中の散歩では既に高温を覚悟せねばならない。必然として夕方から出かけることになる。そんな時は予期しない人に会えるものだ。涼を得るため家の前に水やりをしたり、畑の手入れをしたりしている御仁にお会いできるからだ。きのうもそんなラッキーな出会いがあった。 

夕方4時半過ぎて出たため、長い時間は歩けない。権現線下の歩道を下って成就寺の前から大川を渡り、郵便局を右横にバス通りを横断して賽の神さまからカヤの寺の脇の坂を小学校体育館に向けて登ったのが本日一番のアルバイトだ。今回は山田書店~片の商店の通りを行き、バス通りを横断して土屋薬局への坂道まで来た時、左手の家の土台に腰かけているご婦人と目が合った。向いのアパート風2階建て外階段付きの家には知り合いがいて、時々立ち話でお互いの健康を確認し合うのが常の初老のご婦人である。暫くぶりなので土台の空いている席にお邪魔した。 

彼女は2年前、この坂道のご自分の家の前で転んで右足大腿を骨折した。当時私たちは女房殿と二人で毎週一回ヤオハンに買出しに出ていたが、その途中でよくこのご婦人にお会いしたものだった。ところがこの骨折でだいぶ長いこと姿を見ることがなく、一年もしてからやっとその理由を聞くことが出来たのだった。かなり大きな手術だったようだ。大腿に金属が入っているせいか、今でも立ち居振る舞いでその部分がチクチクすることがあるという。ただ、横になった時や、歩行などには差支えが殆どないというのは幸せだ。

                   稲取岬

この坂道は風の通りがよく、建物の並びが日差しを妨げてくれる。つい話し込んでお互いの境遇をさらけ出し始めることになる。私の年を聞かれて八十三才だと答えると、彼女とは七つ違うという。私はそれを七才年上と聞き間違えてしまった。とても九十才と思える方ではない。正しくは七十六才のはずだ。

ところで、消防署に勤務していたご主人が2年前定年で辞めて、現在は嘱託として同じ署に再就職したという話しになった。しかも、ご長男がやはり消防署に勤めているという。もう一人の次男は伊豆急の運転手さん。伊豆急行電鉄といえば、大川端のタルヤさんを思い出す。実はこの話の時、“タルヤ”という言葉が出て来ず、“桶や”と云う言葉を使ったのだが、話は通じなかった。彼女はそんな人は知らないという。 

さて、しばらく雑談が続いた後、お別れして帰宅途中にこのご家族の話を思い返してみた。どこか引っかかるところがあったからである。ご主人の年を計算してみると、仮に定年が65才だとして、現在は67才。だとすれば、76才と言っていた彼女の方が9才も年上ということになる。あり得ない話ではないが、気になる話ではある。

一方、ご長男が生まれたのが18才の時としてご長男は56才で定年となり嘱託として再就職後2年が経った今は58才ということになる。しかし、この計算だと父親9才の時に息子が生まれたことになってしまう。従って息子が現在署長の地位にあるという線は考えられない。彼女はご主人と息子とを混同していることにはならないはずである。帰宅して女房殿に確認すると、彼女のご主人は既に故人となっているという。実は私もその記憶が頭の片隅に残っていたからこそ生まれた疑問だった。

私が彼女の年齢を間違って受け取ってしまったこと、そして彼女のご主人とご長男が現在同じ職場にあると受け取ってしまったこと、いずれも当方の早飲み込みということだ。人の話を聞いてそれを正しく認識した上で記憶するという当たり前のことが今重要な課題となっている。


連日の猛暑2024/07/08

きのうの稲取は36.1できょうは34.2℃。連日猛暑が続いてます。もう2,3日で梅雨が戻りそうで、それまで我慢我慢。一度大地を冷やして欲しいですね。
それにしても、釣りをする人は元気ですね!稲取港内の内堤防では連日、人の姿が絶えません。ここは大きなメディナが釣れるそうですが。

これは7月5日の写真です。