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下田MDCの内科医引退2025/03/31


            蓮台寺駅から周りの山々にはサクラがいっぱい
病院から内科医の引退の知らせを聞いて、本来なら来月の診療予約(定例診療)を今日が最後というのに合わせて挨拶方々出向いた次第。

思えば、2014年1月に直腸がんの手術後、暫くの間、体調が思わしくなく先生には先に引退された手術の執刀医の先生と共に心配と世話をかけました。お蔭でその後、丸11年間を無事に過ごすことが出来ました。心から感謝しております。

町の健診に参加2024/07/10

今日は町の予約健診を受けてきました。暑い時期と時間(暑い盛りの午後2時)をわざわざ選んだわけではなく、予約時にそんな悪条件を配慮出来なかった自分自身の責任を負うことになっただけの話しです。とにかく暑い時期の、時間の外出は避けたいものです。ま、とにかく面倒なことを一つクリアした感じです。

健診の内容は身長と血圧の測定、採血があって、その後、医師による内診を経て、眼底検査が今回初めての検査項目でした。それから保健指導があり、胸部X線検査で終了。項目としては他に検便、検尿の検体提出。いずれも、健診の結果がどう出るかが問題です。後日結果が出るまで待たねばなりません。

今日は嬉しいことがありました。健診会場で旧知の職員の方にお会い出来たこと。この方には保健指導でお世話になっています。当時は私も大病した後で心身ともに凹んでいた頃でした。感謝!
               健診会場の稲取町役場と「こらっしぇ」


認知症はどちら?2024/07/07

10日も遅れて梅雨に入った今年は初っ端から30度を超す暑い日が続く。朝が遅い私どもでは午前中の散歩では既に高温を覚悟せねばならない。必然として夕方から出かけることになる。そんな時は予期しない人に会えるものだ。涼を得るため家の前に水やりをしたり、畑の手入れをしたりしている御仁にお会いできるからだ。きのうもそんなラッキーな出会いがあった。 

夕方4時半過ぎて出たため、長い時間は歩けない。権現線下の歩道を下って成就寺の前から大川を渡り、郵便局を右横にバス通りを横断して賽の神さまからカヤの寺の脇の坂を小学校体育館に向けて登ったのが本日一番のアルバイトだ。今回は山田書店~片の商店の通りを行き、バス通りを横断して土屋薬局への坂道まで来た時、左手の家の土台に腰かけているご婦人と目が合った。向いのアパート風2階建て外階段付きの家には知り合いがいて、時々立ち話でお互いの健康を確認し合うのが常の初老のご婦人である。暫くぶりなので土台の空いている席にお邪魔した。 

彼女は2年前、この坂道のご自分の家の前で転んで右足大腿を骨折した。当時私たちは女房殿と二人で毎週一回ヤオハンに買出しに出ていたが、その途中でよくこのご婦人にお会いしたものだった。ところがこの骨折でだいぶ長いこと姿を見ることがなく、一年もしてからやっとその理由を聞くことが出来たのだった。かなり大きな手術だったようだ。大腿に金属が入っているせいか、今でも立ち居振る舞いでその部分がチクチクすることがあるという。ただ、横になった時や、歩行などには差支えが殆どないというのは幸せだ。

                   稲取岬

この坂道は風の通りがよく、建物の並びが日差しを妨げてくれる。つい話し込んでお互いの境遇をさらけ出し始めることになる。私の年を聞かれて八十三才だと答えると、彼女とは七つ違うという。私はそれを七才年上と聞き間違えてしまった。とても九十才と思える方ではない。正しくは七十六才のはずだ。

ところで、消防署に勤務していたご主人が2年前定年で辞めて、現在は嘱託として同じ署に再就職したという話しになった。しかも、ご長男がやはり消防署に勤めているという。もう一人の次男は伊豆急の運転手さん。伊豆急行電鉄といえば、大川端のタルヤさんを思い出す。実はこの話の時、“タルヤ”という言葉が出て来ず、“桶や”と云う言葉を使ったのだが、話は通じなかった。彼女はそんな人は知らないという。 

さて、しばらく雑談が続いた後、お別れして帰宅途中にこのご家族の話を思い返してみた。どこか引っかかるところがあったからである。ご主人の年を計算してみると、仮に定年が65才だとして、現在は67才。だとすれば、76才と言っていた彼女の方が9才も年上ということになる。あり得ない話ではないが、気になる話ではある。

一方、ご長男が生まれたのが18才の時としてご長男は56才で定年となり嘱託として再就職後2年が経った今は58才ということになる。しかし、この計算だと父親9才の時に息子が生まれたことになってしまう。従って息子が現在署長の地位にあるという線は考えられない。彼女はご主人と息子とを混同していることにはならないはずである。帰宅して女房殿に確認すると、彼女のご主人は既に故人となっているという。実は私もその記憶が頭の片隅に残っていたからこそ生まれた疑問だった。

私が彼女の年齢を間違って受け取ってしまったこと、そして彼女のご主人とご長男が現在同じ職場にあると受け取ってしまったこと、いずれも当方の早飲み込みということだ。人の話を聞いてそれを正しく認識した上で記憶するという当たり前のことが今重要な課題となっている。


胃食道逆流症2024/03/11

先月27日の内視鏡検査の結果が出ました。病院のレポート情報です。
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咽喉頭:異常なし
食道  :食道胃粘膜境界の拳上有り。逆流性食道炎GERD GRADE Aも見られる。

所見
胃:粘膜萎縮は内視鏡的には明らかでない(Hp除菌後か?)。胃体下部に全周性に筋収縮に伴う固定的狭窄あり。大の襞も揃って流れており、悪性の印象はない。内視鏡通過に問題ない。
十二指腸:異常なし。乳頭も確認。

診断
食道裂孔滑脱ヘルニア+逆流性食道炎、胃体下部に全周性の狭窄 
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下田の病院から蓮台寺駅まで歩いた途中のメタセコイヤ(しんたちの橋の先で)

一見して分かりにくい表現です。こんな日本語があるかな?と思ったのですが、消化器内科では専門用語のようです。
●「食道胃粘膜境界の拳上有り」の「拳上」は「拳状」の変換ミス?だとしたら、この意味は食道胃粘膜境界に拳(こぶし)状の塊がある、ということになると思います。となると、本人としては心おだやかならざる事態だと仰天してしまう! あるいは、変換ミスではないとしたら、食堂と胃の粘膜の境界が拳くらい上部につり上がっている、と解釈できます。いずれにしても”恐ろしい”。

そこで、例によって調べてみました。
●GERD(ガード---糜爛性)は逆流性食道炎を指すようですね。
●GRADE Aは粘膜障害の4ステージのステージ1に相当するようです。
長径が5mmを越えない粘膜障害で粘膜ひだに限局される」段階です。
●初見で胃の粘膜萎縮については、内視鏡を入れたにしては明らかではないので、ピロリ菌を除菌した後か?と疑問を呈した文章です。
●「胃体下部に全周性に筋収縮に伴う固定的狭窄あり」の「全周性」も専門用語のようです。
●「大」とは。胃の大きく湾曲した部分。
●診断
食道裂孔滑脱ヘルニア(食道と胃は横隔膜の位置で区切られており、胃の一部分がこの位置より上にずれている状態) + 逆流生食道炎、胃体下部に全周性の狭窄あり。

主治医の見解は、
前かがみの姿勢を極力避ける。
夕食後。3時間以上経ってから就寝。食事量は夕食は軽めにする。
枕を高くして寝る。
脂っこい食事はなるべく避ける。

しかしねえ、魚ではよく眠れない。肉食だと良く眠れるんですが・・・。、

上部内視鏡検査(胃カメラ)2024/02/27

直腸がんの手術をしたのが2014年1月で、今年で既に10年を超えました。
内臓に関しては何か異常があったら、些細なことでも先ず検査を受けるのが肝要であることは今や常識になっています。ガンは日を追って成長し、ついには全身に転移することで人の体を占拠し命を奪うのです。大腸がんは進行が緩やかだと言っても、私の場合、最初の下血があって検査を受けたのは8カ月後のことでした。少し遅かったのが悔やまれます。その分ステージ2にまで進んでしまったのでした。

ところできょうは胃カメラを飲んできました。3年振りです。内視鏡の医師は「十二指腸への穴が少し狭いようです」そして「食道が荒れてますね」というコメントこそありましたが、腫瘍は見つかりません、ということでした。
素人の私が見た感じでは、全体に以前と違って(顔でいうと)シミソバカスが増えたように見えました。”年をとったなあ”という感じ。

まあ、少なくとも大ごとにはなっていないということでしょうか?次回の検査は2年後にするか、3年後にするか、まだ決めてはいません。・・・ムム、その必要はないか?!
                    これ、ヘチマです!