下田MDCの内科医引退 ― 2025/03/31
町の健診に参加 ― 2024/07/10
認知症はどちら? ― 2024/07/07
10日も遅れて梅雨に入った今年は初っ端から30度を超す暑い日が続く。朝が遅い私どもでは午前中の散歩では既に高温を覚悟せねばならない。必然として夕方から出かけることになる。そんな時は予期しない人に会えるものだ。涼を得るため家の前に水やりをしたり、畑の手入れをしたりしている御仁にお会いできるからだ。きのうもそんなラッキーな出会いがあった。
夕方4時半過ぎて出たため、長い時間は歩けない。権現線下の歩道を下って成就寺の前から大川を渡り、郵便局を右横にバス通りを横断して賽の神さまからカヤの寺の脇の坂を小学校体育館に向けて登ったのが本日一番のアルバイトだ。今回は山田書店~片の商店の通りを行き、バス通りを横断して土屋薬局への坂道まで来た時、左手の家の土台に腰かけているご婦人と目が合った。向いのアパート風2階建て外階段付きの家には知り合いがいて、時々立ち話でお互いの健康を確認し合うのが常の初老のご婦人である。暫くぶりなので土台の空いている席にお邪魔した。
彼女は2年前、この坂道のご自分の家の前で転んで右足大腿を骨折した。当時私たちは女房殿と二人で毎週一回ヤオハンに買出しに出ていたが、その途中でよくこのご婦人にお会いしたものだった。ところがこの骨折でだいぶ長いこと姿を見ることがなく、一年もしてからやっとその理由を聞くことが出来たのだった。かなり大きな手術だったようだ。大腿に金属が入っているせいか、今でも立ち居振る舞いでその部分がチクチクすることがあるという。ただ、横になった時や、歩行などには差支えが殆どないというのは幸せだ。
稲取岬
この坂道は風の通りがよく、建物の並びが日差しを妨げてくれる。つい話し込んでお互いの境遇をさらけ出し始めることになる。私の年を聞かれて八十三才だと答えると、彼女とは七つ違うという。私はそれを七才年上と聞き間違えてしまった。とても九十才と思える方ではない。正しくは七十六才のはずだ。
ところで、消防署に勤務していたご主人が2年前定年で辞めて、現在は嘱託として同じ署に再就職したという話しになった。しかも、ご長男がやはり消防署に勤めているという。もう一人の次男は伊豆急の運転手さん。伊豆急行電鉄といえば、大川端のタルヤさんを思い出す。実はこの話の時、“タルヤ”という言葉が出て来ず、“桶や”と云う言葉を使ったのだが、話は通じなかった。彼女はそんな人は知らないという。
さて、しばらく雑談が続いた後、お別れして帰宅途中にこのご家族の話を思い返してみた。どこか引っかかるところがあったからである。ご主人の年を計算してみると、仮に定年が65才だとして、現在は67才。だとすれば、76才と言っていた彼女の方が9才も年上ということになる。あり得ない話ではないが、気になる話ではある。
一方、ご長男が生まれたのが18才の時としてご長男は56才で定年となり嘱託として再就職後2年が経った今は58才ということになる。しかし、この計算だと父親9才の時に息子が生まれたことになってしまう。従って息子が現在署長の地位にあるという線は考えられない。彼女はご主人と息子とを混同していることにはならないはずである。帰宅して女房殿に確認すると、彼女のご主人は既に故人となっているという。実は私もその記憶が頭の片隅に残っていたからこそ生まれた疑問だった。
私が彼女の年齢を間違って受け取ってしまったこと、そして彼女のご主人とご長男が現在同じ職場にあると受け取ってしまったこと、いずれも当方の早飲み込みということだ。人の話を聞いてそれを正しく認識した上で記憶するという当たり前のことが今重要な課題となっている。
最近のコメント