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湧水か伏流水か? ― 2012/04/10
「ここによ、ここに導管があるだろ。ここから水が凄い勢いで噴き出ていたんだよ」
“やっさか”のご主人が口からあわを飛ばしながら説明します。“やっさか”さんの脇は今は涸れ沢になっていて、そこに上から引いてあった導管から水が噴き出ていたというのです。
今から3~4年前の話で、突然噴出してきたけれども、どうせ沢に注いでいるのでそのままにしておいたのを、どうみても尋常ではないので近くの水道屋さんに相談したら、いつの間にか噴水が止まったと言います。導管の上のほうで蛇口を締めたんじゃないかとのこと。
その導管は実は“熊が沢”から引いて来たもので、昔はこの周りの農家の畑にこれで水やりをしていたのだそうです。そう言えば、三日前の土曜日に吾妻権現神社の鳥居の前から左への踏み跡を辿った際、岩ゴロの涸れ沢に導管が渡してあったのを思い出しました。あの一つがここまで来ているのでは?
そして、熊が沢は“いっぺえ水”から流れてきていると思われますから、この引き水は“いっぺえ水”の水ということになります。あの“水のり”からここまで水が来ていたのです。
やっさかのご主人は、かなり遠い昔、水のりから沢がここまで流れていたと言います。それがある年、台風で沢の流れが変わって東中川の下で大川に流れ込む現在の姿に変わったのだそうです。
クリンセンターとグラウンドの下の涸れ沢に「上林の沢」と書かれた治水の看板が立っていますが、“やっさか”さんの脇から北は「林の沢」という字(あざな)だそうですから、昔はやはりこちらの方に流れていたと考えられます。
吾妻権現神社の上を少し行くと、右に方向を変えるところに小さな橋がかかっていて、その下は小さな涸れ沢になっています。吾妻権現神社の参道の長い石段は小尾根の上にのっていて、左は熊が沢に流れ込む沢で、右側にも小さな枝沢があることがわかります。小さな橋の下の涸れ沢は多分、この枝沢につながっているのでしょう。
どうやらグラウンドの下の伏流水の一部がこの枝沢に流れこんでいたようです。それがいつぞやの台風で熊が沢の方に流れが変わった、とやっさかさんは言うのです。そのお蔭で大雨が降ると、この沢筋は大荒れして被害が少なからずあったのが、以後はその心配がなくなったと話してくれました。
やっさかさんの所にある橋の下は東部病院からの下水が流れ込んではいるものの、基本的には涸れ沢であり、地形から考えると、石井石材店の西側から北へ回り込む形で小さな谷筋が上に伸びているのを認めることが出来ます。ところで、やっさかさんの下あたりに湧水が出ている場所があって、そこから下を沼津川といい、その水で天草を洗ったという話しは現在天草漁をしている唯一の漁師のお宅やmonmaさんからお聞きしたとおりですが、その湧水は実は“水のり”からの伏流水が顔を出したのではあるまいか?
昔、やっさかさんの脇を流れていた沢は台風によって流れが変わったのではなく、伏流水になって今でも涸れ沢の“床下”を流れているのではないでしょうか?ただし、そう結論づける前に湧水の現場を見ておく必要があります。これは去年からの宿題になっているのを忘れていました。近いうちに探査しておこうと思います。
“やっさか”のご主人が口からあわを飛ばしながら説明します。“やっさか”さんの脇は今は涸れ沢になっていて、そこに上から引いてあった導管から水が噴き出ていたというのです。
今から3~4年前の話で、突然噴出してきたけれども、どうせ沢に注いでいるのでそのままにしておいたのを、どうみても尋常ではないので近くの水道屋さんに相談したら、いつの間にか噴水が止まったと言います。導管の上のほうで蛇口を締めたんじゃないかとのこと。
その導管は実は“熊が沢”から引いて来たもので、昔はこの周りの農家の畑にこれで水やりをしていたのだそうです。そう言えば、三日前の土曜日に吾妻権現神社の鳥居の前から左への踏み跡を辿った際、岩ゴロの涸れ沢に導管が渡してあったのを思い出しました。あの一つがここまで来ているのでは?
そして、熊が沢は“いっぺえ水”から流れてきていると思われますから、この引き水は“いっぺえ水”の水ということになります。あの“水のり”からここまで水が来ていたのです。
やっさかのご主人は、かなり遠い昔、水のりから沢がここまで流れていたと言います。それがある年、台風で沢の流れが変わって東中川の下で大川に流れ込む現在の姿に変わったのだそうです。
クリンセンターとグラウンドの下の涸れ沢に「上林の沢」と書かれた治水の看板が立っていますが、“やっさか”さんの脇から北は「林の沢」という字(あざな)だそうですから、昔はやはりこちらの方に流れていたと考えられます。
吾妻権現神社の上を少し行くと、右に方向を変えるところに小さな橋がかかっていて、その下は小さな涸れ沢になっています。吾妻権現神社の参道の長い石段は小尾根の上にのっていて、左は熊が沢に流れ込む沢で、右側にも小さな枝沢があることがわかります。小さな橋の下の涸れ沢は多分、この枝沢につながっているのでしょう。
どうやらグラウンドの下の伏流水の一部がこの枝沢に流れこんでいたようです。それがいつぞやの台風で熊が沢の方に流れが変わった、とやっさかさんは言うのです。そのお蔭で大雨が降ると、この沢筋は大荒れして被害が少なからずあったのが、以後はその心配がなくなったと話してくれました。
やっさかさんの所にある橋の下は東部病院からの下水が流れ込んではいるものの、基本的には涸れ沢であり、地形から考えると、石井石材店の西側から北へ回り込む形で小さな谷筋が上に伸びているのを認めることが出来ます。ところで、やっさかさんの下あたりに湧水が出ている場所があって、そこから下を沼津川といい、その水で天草を洗ったという話しは現在天草漁をしている唯一の漁師のお宅やmonmaさんからお聞きしたとおりですが、その湧水は実は“水のり”からの伏流水が顔を出したのではあるまいか?
昔、やっさかさんの脇を流れていた沢は台風によって流れが変わったのではなく、伏流水になって今でも涸れ沢の“床下”を流れているのではないでしょうか?ただし、そう結論づける前に湧水の現場を見ておく必要があります。これは去年からの宿題になっているのを忘れていました。近いうちに探査しておこうと思います。
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