<><><><><><><><><><><><><><><><><><>
「神々の山嶺」 ― 2012/04/18
「神々の山嶺」夢枕獏 集英社文庫 上・下
谷川岳一ノ倉沢のスラブ(一枚岩)を冬季に初登を果たした男、羽生がエベレストの南西壁冬季単独無酸素登頂に挑むまでを一人のカメラマンが追い続ける山岳小説。
山岳小説は推理小説にも似て、読んでいてハラハラドキドキしてきます。山に入ると日常から離れ自然が舞台となるので、生きるか死ぬかに直結する場合もありますから、普通に楽しむ山でも気が抜けません。ましてや、クライマーの世界なら尚更です。
8000mを越える山がどれほど過酷な世界かは、空気が地上の3分の1しかないという事実だけで十分証明できます。普通の人だったら苦しくて発狂してしまうでしょう。4000mに満たない富士山でさえ、お鉢から剣ヶ峰の僅かな高まりへ登ったときの足の重さが今でも思い出されます。
8848mのエベレストは1953年にヒラリーとテンジンによって初めて登られるまで、各国、特にイギリス隊が何度も遠征隊を出して失敗を重ねた未踏峰でした。その後1999年にマロリーの遺体が8160m付近で発見され、マロリーたちは頂上を踏んだのか、というエベレスト登山史上最大の謎が解けるやに思われましたが、カメラは発見されませんでした。
本書は1924年に帰還できなかったそのマロリーとアービンにカメラの存在を絡めながら、推理小説風なストーリーに縦糸の役割を持たせ、横糸として「人は何故山に登るのか」を追及しています。
特に、登攀の描写は臨場感があり、現場を知り尽くしていなければ書けない内容でした。著者は登山経験豊富で、ヒマラヤには何度も取材に通ったようです。久しぶりに読書の楽しみを味わわせてくれました。
谷川岳一ノ倉沢のスラブ(一枚岩)を冬季に初登を果たした男、羽生がエベレストの南西壁冬季単独無酸素登頂に挑むまでを一人のカメラマンが追い続ける山岳小説。
山岳小説は推理小説にも似て、読んでいてハラハラドキドキしてきます。山に入ると日常から離れ自然が舞台となるので、生きるか死ぬかに直結する場合もありますから、普通に楽しむ山でも気が抜けません。ましてや、クライマーの世界なら尚更です。
8000mを越える山がどれほど過酷な世界かは、空気が地上の3分の1しかないという事実だけで十分証明できます。普通の人だったら苦しくて発狂してしまうでしょう。4000mに満たない富士山でさえ、お鉢から剣ヶ峰の僅かな高まりへ登ったときの足の重さが今でも思い出されます。
8848mのエベレストは1953年にヒラリーとテンジンによって初めて登られるまで、各国、特にイギリス隊が何度も遠征隊を出して失敗を重ねた未踏峰でした。その後1999年にマロリーの遺体が8160m付近で発見され、マロリーたちは頂上を踏んだのか、というエベレスト登山史上最大の謎が解けるやに思われましたが、カメラは発見されませんでした。
本書は1924年に帰還できなかったそのマロリーとアービンにカメラの存在を絡めながら、推理小説風なストーリーに縦糸の役割を持たせ、横糸として「人は何故山に登るのか」を追及しています。
特に、登攀の描写は臨場感があり、現場を知り尽くしていなければ書けない内容でした。著者は登山経験豊富で、ヒマラヤには何度も取材に通ったようです。久しぶりに読書の楽しみを味わわせてくれました。
最近のコメント