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ハゼノキ2015/11/01

ハゼノキ
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このハゼノキは一部葉が赤くなっているところから、すぐにウルシ科の植物だなとわかります。ウルシの仲間だとカブレるからと敬遠してしまいますが、この実は食べられるのですね。あく抜きをしてから焼いたり、すりつぶしてハゼ餅を作ったりするそうです。

 

この写真のように、こんなにたくさんまとまってぶら下がっているのに気がついたのは初めてです。多分、これも見過ごしてきたのでしょう。
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山ラッキョウ2015/11/02

ヤマラッキョウ
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今日は月一度の診療日。昨夜は知りませんが、朝方から日中は僅かばかりの雨で助かりました。診療日はカレンダーに記入できる唯一の項目であるだけに、前日からある種の緊張を抱えることになります。朝になればそわそわと、まるで恋人にでも会いにでもゆくかのように、いそいそと出かけるのであります。

 

若い時はあれほどスケジュールから解放されて自由になりたい、と思っていたのが、今は逆にストレスになるものが恋しいとは、勝手なものだと我ながら思うのであります。

 

今回は検査が一切なく、ただ、肺炎球菌ワクチンの接種がありました。先日予約しておいたものです。ワクチンの注射など、子供の頃に学校で受けて以来なので、太い注射針を刺されるのではないかと身構えていたら、細い注射針を使って蚊に刺されたくらいの感じで直ぐに終わりました。

 

これにより向う5年間は、他の肺炎は知らず、肺炎球菌による肺炎の心配がほぼなくなりました。
<風車の丘に生えていました>


林道歩き2015/11/03


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またまた急に思い立って、8時53分発大川行きのバスに乗る。 バス停大川公民館前の観光案内板を見て、縄文中期の吉祥原遺跡を訪ねてから奈良本へ戻ることに決定。地図なし、食料・飲料なし、カメラだけの散歩スタイルである。

 

遺跡はやはり探し当てることは出来なかった。霊友会へのメイン道路に出てから犬連れの散歩オジサンに聞いても、分らないと言う。ただ、この辺が「吉祥」という地名であることを知った。今回は深追いなし。探索は次回に。

 

その後、この道を少し駅の方へ戻って、「木村造園」から北へ「大川小溝線」を歩くことにした。この道は以前、箒山の東尾根を登った時に歩いて以来だ。
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起点が10時02分で、終点の写真が11時42分。実に「大川小溝線」だけで1時間40分かかっている。殆ど眺めのない退屈な林道歩きだった。箒木山の入り口近くまで来ていながら下山とは、少しもったいない気がしたが、散歩スタイルでは仕方ない。
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<放置された風車の羽と残骸>
風車を横目に素直に林道を辿る。山靴ではなく、ウォーキングシューズなのが助かる。先月来た「けやき公園」まで下りてきて、やっとベンチで一休み。JA前のバス停で時刻表を見ると、わずか10分前にバスは通過したあとだった。更に熱川駅まで歩いて伊豆急電車で帰る。4時間半の長過ぎる”散歩”だった。
けやき公園
             <けやき公園に下りてきて一休み>


黒猫のミー2015/11/05

黒猫のミーはアラシュクの人気者である。
名付け親は旅館HM荘の一番下の孫娘、中学生のKさん。ミーは生まれて間もない捨て猫で、3年前のある朝、Kさんが通学で近くの清水公園の脇を通ったとき、公園の中の大石を組んだ造形物の辺りから、猫らしい微かな鳴き声を聞いた。近づいてみると、造形物の溝の中に大きな段ボール箱が置かれていて、その中で5匹の子猫が鳴いていた。

 

その日はそのまま通り過ぎ、翌朝段ボール箱の中を確認すると、4匹になっていた。翌朝、そしてまた次の朝になると一匹ずつ減ってゆき、5日目の朝にとうとう一匹になった子猫がKさんの脚にまとわりついてきた。Kさんがその場を離れると、ミーミーと泣きながら付いてくる。更に逃げるようにして方向を変えても、追いかけてきた。Kさんはついに覚悟を決め、この子猫を抱いて家に戻った。そして、取りあえず祖母に押し付けるようにして学校へ向った。

 

Kさんが学校から帰ってきて、祖母を懸命に説得したことは言うまでもない。普段から動物は飼わない、飼えないと言われているのでOKをもらうまでが大変だった。生き物を飼うことなど考えてもいなかった祖母も困惑した。旅館という商売柄、お客様に迷惑はかけられない。結局、次の条件で折り合うことになった。
  1. この子猫の世話はKさんが中心になってする。

  2. 24時間絶対に家、旅館の中に入れない。その代り“猫小屋”を用意する

  3. 食事の世話は祖母がする。

 

 

清水公園には昔、町役場があった。一軒家ほどの広くもない敷地に建つ町役場では時代の要請に充分に応えられなくなり、港を埋め立てて道路が整備され、その脇に新庁舎が建ったのが昭和59年のことだった。その跡地に出来たのがこの公園で、今では周りの建物に囲まれてひっそりと人の訪れを待っている。

 

この公園に特筆すべきものが二つある。一つは田村又吉翁の大きな顕彰碑で、横巾が1メートル、高さ3メートル、厚さ30センチもある堂々とした石碑だ。田村又吉翁は明治の時代に村の殖産と村民の知育に心血を注ぎ、稲取村を模範村として全国に知らしめた。この町で彼の名を知らぬ者はない、町の偉人である。

 

もう一つは築城石だ。東伊豆町には江戸城の石垣を供出した石切り場が何箇所かあるが、入谷のMさんらが大川の石切り場に残置された築城石用の間知石をこの公園に運んできた、と聞いたことがある。間知石(けんちいし、まちいし)とは、石垣や土留めに用いる石のことである。

 

いわゆる築城石の完成品はその大きさから畳石と呼ばれ、かなり大きなものだ。ここでは、運んできた端石を幾つか組み合わせ、正面真ん中4分の3の凹んだ高さから温泉の湯が流れ落ちる仕掛けにしてある。湯の町の情緒を出そうというわけだ。

 

 

私がこの清水公園でミーの姿を初めて見たのは去年の春だった。一匹の黒猫がきちんと前足を揃えて、人待ち顔である。黒い毛並が温かい日差しを受けてキラキラと輝いていた。近づいてきた私の方におもむろに首だけを向けた仕草が一際、愛らしく見えた。首に赤いテープが巻かれていたのを見て、この黒猫はどこの家の飼い猫だろうと思いながらじっと観察していたが、ミーは身じろぎもせず、私の一挙手一投足を眺めていた。(つづく)


伊豆稲取を取り巻く山々2015/11/06

伊豆稲取を取り巻く山々
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この写真は伊豆稲取駅から “うんまみち(馬道)”の登り口近くの駐車場から撮ったものです。今朝はこの道を上がって「二つ掘みかん園」を経由し、水下の日塚から志津摩へ下って志津摩遊歩道~文化公園~JAと歩いて一周完了です。

 

さて、今日はこの写真の山々を同定してみようと思います。 バリカン山は第6号鉄塔の右側に最高点231mがあります。そしてその左奥にある均整のとれた山は434m高点で、「水生の庄」の裏の第5号鉄塔から登って山頂に到着したことがあります。途中、ゴルフボールがたくさん落ちていて、東側の斜面にアニマルキングダムのゴルフ練習場が広がっていました。なお、この山の北側に東西に走っている“ヤマハンノキハイウェー”に下りて、「中の平」に向うことが出来ます。

 

次に434m高点と“大洞峠”の間の高まり(X)は、大洞峠を含む独活峰の尾根が南に落ちる先端です。つまり、独活峰~大洞峠~Xとつづく尾根です。この尾根が左の大川と、右の洞川を分け、「水垂(みずたれ)」で合流して稲取大川となるのです。

 

この写真を撮った駐車場が「馬道」からの私の好きなビューポイントです。