刻印 ― 2012/12/02
向田の田圃に“鏡石”があると聞いたのは10月の終りごろのことでした。以来、その田圃の持ち主に会って話を聞くのを楽しみに志津摩方面へ向いました。
ところが、ちょうど稲刈りの時期でご多忙の様子だったのに加えて、その後、風邪をひかれたと聞いて、なかなかお会いできなかったのです。それが今日ようやくお話を聞く機会に恵まれました。
“鏡石”は、棚田の一番上の更に上側がミカン畑になっており、その一画にあります。Uさんは仕事の手を休めて、わざわざ案内してくれました。実は一度、田圃に下りて探し当て写真に収めてはいたのですが、当の石であるかは棚上げになっていました。
前回探索したときに気が付かなかった刻印は大石の天辺にあり、「回」という文様がはっきりわかりました。これは大石に這い上がらないと見ることが出来ません。前回のように外観を見廻しただけでは調査にはならないのでした。
Uさんは他に「井」と二重三角の文様があるはずだと言いながら、鎌で蔓草などを払いながら探した結果、「井」が出てきました。Uさんは高齢なのに、高い所へ登ってもバランスをうまく保っているのには脱帽です。
他に二重三角が発見出来なかったのは残念ですが、一つの石に三様の刻印があるのは別に珍しいことではないとUさんは言います。確保した石が何らかの事情で不用になり、それが第三者にまで受け継がれることになったのだろうと推測しています。そこにはある程度の取引もあったことだろうとも。
Uさんは矢穴のある石はこの田圃のそこここに在ったと言います。“鏡石”の存在を知った当初、太陽の光を受けて輝いたと言うような、文字通りの鏡であって築城石とは思ってもみなかったトウヘンボクとしては、Uさんにただただ感謝せねばなりません。
ついでに、「稲小百年史 遷喬」の「子どもと石」の項で、「鏡石」について次のように記述しています。(示された略図によると、鏡石は現場の岩とほぼ一致します)
「よこおらの隣が“川の尻”といわれ、ここに鏡の面のように縦に平らな石がありました。堤防をつくるときこの辺の大きな石は大部分運び去られましたが、何故かこの石だけは残されました」
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