河津から三筋山へ② ― 2012/12/08
隠了寺下の田尻川にかかる橋を渡って、河津田中の小峯堂に到る道は一度歩いたことがあります。大池から東南に伸びている尾根を歩いたときにもこの道路上の隠了寺寄りに降りました。近くに青面金剛碑とお猿さんの小さな飾りを置いた石碑があったのを記憶しています。
河津駅から歩いて小峯堂にやって来ました。「伊豆横道十四番札所」と彫られた大きな石碑が立っています。無人のお堂の周りには六地蔵や庚申塔、そして可愛らしいお地蔵さんが何体か迎えてくれます。きょう一日の無事を祈って手を併せました。
この小峯堂の前に今回の目的の尾根が控えています。さて、どこから取り付くか? 少し先に引っ込んだ細い道が地図上の破線に違いないと、先ずは偵察のつもりでこの道に入りました。山を背にした民家の裏に道がないかなと考えていると、ちょうどオバアサンが庭先に出てきました。
このオバアサンが耳寄りな話を教えてくれました。この細い道が広い道に合流する手前に墓地の脇を通る山道があるとのこと。「この墓地にはウチのお墓もあるんだよ」
10時40分墓地に向って取り付きました。急な坂道を少し行くと左手に墓地が現れました。山の斜面は石垣で何段にも整地され、立派なお墓が立っています。道はその先へと伸びていましたが、案の定、間もなく行き止まり。
それでも、右の谷側に道が付いているのが立木の陰から見通せたので、明らかに侵入禁止の意図のある伐った竹のバリケードを強引に突破して、この道に入り込みました。どうやら目指す高点の一つ、242m峰の南に深く切れ込んだ谷に付けられた道のようです。
しかし、明瞭な道はすぐに無くなり、それではと、目の前の竹藪の斜面にがむしゃらに取り付いて上を目指します。シシ避けの有刺鉄線を乗り越えて更に登ってゆくと、はっきりした山道に出ました。やれやれ、ここで一呼吸入れて尚先に進みます。道は石ゴロが続き、やがて、石垣を組んだミカン畑が現れました。すると、この道を追えば里に出るのでしょうか?
<造林小屋でしょうか?もう少し上にもありました>
<この切り株には何か細工した痕があります。何かの目安にしたのかも>
こちらの方は水平なその道から別れて高みを目指し、暫く行くと、ついに尾根に乗りました。多分、242m峰から南西に落ち込む尾根の末端の170峰から北東寄りに乗り上がったものと思われます。時刻は11時を回り、ここまで約30分を要しました。
この先は北東の方角に尾根を外さなければよいのです。少し下って鞍部からまた登りを我慢してようやく242m峰に到着です。たおやかな山頂は背の高い雑木林が辺りを明るく整然とした好ましい感じにしていました。一面に降り積もった落ち葉が手入れの行き届いた茶色い芝生のようです。
この先は地形図を見ると痩せ尾根を行くようですが、特に危険な所もなく、大岩が目立ち始めた頃、明瞭な道が340m峰の大きな山体の西側を巻き始めました。多分これを行けば、大池からの南東の尾根に乗るのだろうと思われました。
そして間もなく待望のその尾根に無事乗ったのであります。尾根の反対側に降りれば、谷戸の大杉経由で見高入谷へ降りられます。仮に見高峠とでも名付けておきましょう。時刻は12時ちょっと過ぎ。
最近のコメント