クロカンコースのサクラ ― 2013/04/01
今朝のクロスカントリーコースのサクラはもう8分咲きぐらいになっています。ただ、トイレがある駐車場側の入り口から始まるソメイヨシノの並木はこのコース一番の見どころなのに、いまひとつ華やかさに欠けています。
きのうの伊豆新聞でも伊豆でソメイヨシノの花付きの悪さが話題にあがっていました。専門家の話しでは、去年の塩害のせいではないかとのことです。
一方、このコースのところどころに立っているオオシマザクラ(だと思いますが)は厚ぼったい花びらを密集させて量感充分です。こちらのほうは塩害には強いとのことです。
ソメイヨシノは咲き揃うと華やかさは抜群で、派手なところは花見に打ってつけです。それに対してオオシマザクラは花の白さに緑の葉が映えて、全体に野性的でさえあります。でも、その清々しさには安らぎを感じてホッとします。
オオシマザクラの原産は房総半島と推定されているそうで、伊豆大島または伊豆ではなかったのですね。桜餅をくるむ葉はオオシマザクラの葉だそうで、塩害やその他の病気にも強いと聞けば、オオシマザクラを再認識、再評価しなければなりません。
「壁のむこうから来た男」 ― 2013/04/03

第二次世界大戦ではドイツ軍がポーランドに侵攻し、首都ワルシャワの一角に壁を周囲に巡らしてユダヤ人を強制的に収用しました。その壁のむこうから来た(逃げてきた)男と主人公マレクとの触れ合いが話しの筋になっています。
マレクの父はユダヤ人で共産党員でした。地下抵抗組織のなかで活動し、捕えられて拷問にかけられ獄中でなくなりました。その後、母は再婚します。義父はゲットー(“壁”の中のユダヤ人たちが生活する区域)のユダヤ人たちを支援する仕事で生活費を稼いでいました。
マレクは人間の尊厳と平等のために命をささげた父を思うあまり、母が再婚した義父とは折り合いがつかなかったのですが、義父の仕事を手伝うようになって徐々に心を開いて行きます。そして、「壁のむこうから来た男」との関わり合いから、ついにゲットーのユダヤ人とドイツ軍との戦いの渦中に身を置くことになります。
最後にマレクたちはゲットーから無事生還を果たし、マレクは義父に対して抱いてきたわだかまりを解くのです。
著者はワルシャワ生まれのユダヤ人で、実際にゲットーの中で迫害を受け、終戦で救出されたとき14歳でした。本書の主人公も14歳です。ゲットーの内と外の実際が事細かく描かれているのは著者自身の生か死かの体験があったからです。
本書はそんなわけで極めてドラマチックな展開を見せて読者を興奮させ、そして考えさせます。
カメラ散歩+温泉入浴 ― 2013/04/04
先ず稲高脇きからアニマルキングダムを目指します。
朝一番の急坂は未だ完全に目覚めていないと思われる躰に応えます。意識してスローを心掛けるも呼吸は荒くなっています。JAミカンワイナリー工場まで上がると、菜の花が迎えてくれました。
クロスカントリーコースを左に見て、アスド会館への道に入ります。クロカンのサクラはこの2~3日の悪天に早くも盛りを過ぎてしまったようです。よく見ても、5分程度しか残っていません。
稲取保育園は今日が入園式の日でした。チューリップがきれいですね。
中の平とゴルフ場との分岐からは三筋山の稜線が見えるはずですが今朝は雲がかかっていました。
本日の最高点を過ぎ下りにかかると、ゴルフ場が広がります。この池がある辺りが“背入りの平”というところなのでしょう。暫くぶりの青空でゴルファーの姿が4組、5組と。女性のグループも。
そして、浅間山の北側を回り込む道路に入ります。点在する別荘は人の気配が全くありません。でも、青空のお蔭か、間伐が進んだせいか、明るくなった道を下ってゆきます。人は勿論、車も一台も通りませんでした。
ミカン畑の片隅にシャガの群落がありました。白色がきれいなアヤメに似た花で、伊豆では良く見かけると思っていたら、東京都では準絶滅危惧種に指定されているそうです。
白田や片瀬の集落が近づいて配水場が現れました。「稲取系第一中継場」と書かれています。白田の浄水場からきた水でしょうか?そして、この水が“ちゅうちん”を越えて稲取田町に届いているのですね。
続いてこんもりした林の中に「天神宮」を見つけました。天神さん信仰はこの地にもあったのですね。去年の秋、蓮台寺の天神社に詣でたのを思い出しました。
やがて湯ヶ丘への道に出て、賽の神さまに挨拶した後、「花いっぱい温泉」に入浴。国道に出て、城東食堂でラーメンと餃子で遅い昼食。ここの餃子は美味い! バスに乗って帰宅。
「エーデイト、ここなら安全よ」 ― 2013/04/07

キャシー・ケイサー作 石岡史子訳
先日読んだ「壁のむこうから来た男」と同じホロコースト(ナチドイツによるユダヤ人虐殺)に関する本です。「壁のむこう・・・」はゲットーが舞台でしたが、本書は当局の追及を逃れるため、各地を転々とした逃亡先での物語です。
オーストリーのウイーンで平和な暮らしをしていた一家に、ユダヤ人狩りという悪魔の手が忍び寄ります。先ず、ベルギーのブリュッセルへ、次いで、南フランスの片田舎、そして、そこにも危険が迫って同じ南フランスのモアサックというところに逃亡します。四つ目が西フランス、最後にそこから2キロほど離れた農家へ。
主人公は僅か11歳の少女。両親と離れて生活せざるを得なかった数々の悲哀が涙を誘います。しかし、終戦を迎えて父親とは二度と会うことはできませんでしたが、母親、姉、弟の家族に再会することができました。
これは実は逃亡した先々で温かく迎えてくれた人たちの、命をかけた協力があったからこそ生き延びることが出来たのでした。
さて、著者はこの本の「はじめに」で、何故ナチドイツが台頭したかを述べています。第一次大戦後の不景気により失業者が増大し、社会の不満が顕在化したところに独裁者を迎え入れる下地があったということです。そこに登場した独裁者ヒトラーはユダヤ人をやり玉にあげて、国民の不満をそちらに逸らそうと巧みに人々の心を操縦していったわけです。
今日本の現状はどうでしょうか?リーマンショックなどによる経済の衰退や、東北大震災によって国民の皆が元気をなくしていると言います。そこで強い日本を再生するというスローガンを掲げて今の与党が選挙で大勝しました。
そして、そして、強い日本をつくるため、“与えられた憲法”を廃して自らの憲法をつくるのだと騒いでいます。彼等は「平和憲法」が歯がゆくて仕方ないのです。戦争が出来る憲法にしたいのですね。
こう見て来ると、ナチズムやファッシズムが台頭した戦前の状況に現在が似てきていると思わざるを得ません。極めて危険な状況にあります。強い日本をつくるという意識は彼等の打ち出してくる政策を鑑みるに、独裁主義、排外主義に繋がる危険性を多分に擁しています。
二度と同じ過ちを冒さないという決意で再スタートした日本です。本書は児童書ですが、「壁のむこうから来た男」とともに、子どもたちは勿論のこと大人にも読んでもらい、再スタートした原点を思い出して欲しいと切に望みます。
天神原遺跡 ― 2013/04/06
東伊豆町のHPによると、東伊豆町の教育委員会が指定した町の埋蔵文化財包蔵地は32か所にも及びます。そのうち稲取地区は最奥の松峰遺跡から海岸に近い上の山遺跡まで合計21か所です。
私がこれまで訪ねたのは細野遺跡、茶の平遺跡、吉久保遺跡、上の山遺跡の4か所で、本日5か所目の天神原遺跡を訪ねてきました。町のHPによると、天神原遺跡からは縄文土器・石鏃・石皿・石斧・(打・磨)、そして、弥生土器・土師器など、出土した種類は32か所中で一番多くなっています。
実地に訪ねてみるとわかりますが、カヤの寺から小学校へ向かう一番の高台から東側(海側)に比較的平らな高台が南北に伸びています。北は清光院の裏側から善応院や吉祥寺が背にしている台地が天神原です。
今朝は第6分団の倉庫が開いており、壁に掛けられた略図に天神原に上がるルートが描かれていました。先日も通ったそのルートをゆくことにします。「しぐれ庵」の脇を上がって「尾の上権現」さんに挨拶してから、海側に沿って清光院の裏側の細い路地を進みます。
やがて海側にくぬぎ?を植林した一画の向こう側に畑が細長く続きます。「埋蔵文化財包蔵地」の白い角柱は宅地側の畑の道端に立っていました。実は先日の雨の日に、たまたま海側の畑で作業していた人に訊いて場所を確かめてありました。
彼の話しでは角柱は宅地側に立っているが、土器などは海側の細長い畑を含めてこの台地一帯で広く出土したものだということでした。上の山遺跡と同じように海に近い台地です。同じような環境の台地に近くは崎町遺跡があります。いつか訪れてみましょう。
ところで、ここではどんなものが出土したのか、この目で見たいものです。特に土師器は弥生土器の流れをくんだ土器だそうで、今まで3か所の遺跡で見せていただいた中にはなかった物です。
それを思うに、やはり東伊豆町にも歴史民俗博物館が欲しいですね。規模の小さい郷土史資料館程度のものでも、一堂に資料が集められたら、子どもの教育は勿論のこと、各方面に資するところ大なることは明らかです。
最近使われ出した言葉に、「豊かな想像力」という言葉があります。優れた知見を引き出すにはこの豊かな想像力が必要です。そのためにも郷土博物館が欲しいですね。
by inada [ウオッチング] [論評] [コメント(0)|トラックバック(0)]