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”あかまつさん”2013/04/12

私どもマンションは初代の管理人さんが長らく務めた後、この2~3年で目まぐるしく数人の方が入れ替わりました。いずれも稲取以外の近郷の方々でした。現在の管理人さんは実家が“天神原”にあり、顔を合せれば何かと話が弾みます。

その天神原に“権現さん”があります。バス通りから“茶処 しぐれ庵”の脇の急坂を上がり、一息ついたちょっとした広場の一角に立っている小さなお堂がそれです。

カギが掛かっていない戸を開けると、赤い垂れ幕に「尾の上大権現 鈴木義昌」、そして横幕に「西田富一」とあります。権現さんを祀った人か、世話人の名前でしょうか?

安置された小祠の前に線香立てがあったのは意外でした。そう言えば、お堂の前に墓石の五輪塔のような石が置かれています。日本の神さまは仏の仮の姿だという考え方からすれば、なるほど理解できないことではありません。確かに、お祈りや願い事は“神さま仏さま”で良いのでは?

管理人さんは子どもの頃にはこのお堂の敷地に家があったと言います。そしてこの家が屋号“赤松”さんなので、悪童たちをお堂に集めるときはそう呼んでいたとのこと。

お堂に集ってから、更に少し上って清光院の裏にあったヤブでヒヨドリを捉まえる遊びに興じた話も聞きました。獲物は焼いて食べたと言います。このヤキトリは美味かったので度々のことだったらしい。稲取に来てヒヨドリやムクドリが少ないのを安堵に似た気持ちと、不思議な思いをしたものでしたが、さては、悪童どもが焼いてクッタせいか!

お堂の屋根に、いつぞや、白い大蛇がいて突いたり脅したりして遊んだとも聞きました。ただし、殺すようなことも、乱暴な目に遭わせることもしなかったというのは、多分、親御さんから前もって言われていたんでしょうね。白い蛇は神さまの使いだと。

たびたびこの場に記す浅間山の岩祠にも白い大蛇がいて、昔ご先祖さんがこの大蛇を殺生に及び、その後、家運が大きく傾いたという話しを聞いたことがあります。

東伊豆町の年中行事を書いた「ふるさとのならわし」によると、屋号赤松さんの老婆が見た夢は烏帽子姿の神さまとなっていますが、あるいは白蛇の化身だったかも知れませんヨ。こちらの話しは吉兆で、ご長男が出征した日露戦争から無事帰還したそうですから。

その際、鳥居の横に植えたという赤松は現存していません。その鳥居も今は朽ちて柱の一部が名残をとどめているだけです。