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伊豆東部総合病院の工事 ― 2015/06/02
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「ふれあいの森」に上がる道のひとつに町道赤坂線があります。海岸線の旧国道から現在の国道135号線を横断して、伊豆東部総合病院前をゆき、更に墓地まで上がってから尚も山道を行くと滑り台やブランコなどの遊具施設があるサクラ広場に出ます。
きのうからこの町道赤坂線に工事の手が入りました。先ずは伊豆東部総合病院の改築工事として、病院裏の職員用アパート(?)の取り壊しです。ここに多分、病棟が拡張されるのでしょう。
それから、この工事に伴って「流末水路整備工事」も今朝から始まりました。病院の規模が大きくなるので、下水道を見直す工事なのでしょう。発注者は「医療法人社団康心会」。
これで伊豆東部総合病院が総合病院としてどう生まれ変わるか、町民の期待に応えて欲しいところです。
「ふれあいの森」に上がる道のひとつに町道赤坂線があります。海岸線の旧国道から現在の国道135号線を横断して、伊豆東部総合病院前をゆき、更に墓地まで上がってから尚も山道を行くと滑り台やブランコなどの遊具施設があるサクラ広場に出ます。
きのうからこの町道赤坂線に工事の手が入りました。先ずは伊豆東部総合病院の改築工事として、病院裏の職員用アパート(?)の取り壊しです。ここに多分、病棟が拡張されるのでしょう。
それから、この工事に伴って「流末水路整備工事」も今朝から始まりました。病院の規模が大きくなるので、下水道を見直す工事なのでしょう。発注者は「医療法人社団康心会」。
これで伊豆東部総合病院が総合病院としてどう生まれ変わるか、町民の期待に応えて欲しいところです。
梅雨のハシリ? ― 2015/06/03
アオダイショウの死骸 ― 2015/06/04
折り紙教室 ― 2015/06/06
今朝、伊豆新聞を見ていたら、本日午後「折り紙教室」があるという記事に目が留まって、女房殿にお伺いをたてると、二つ返事で行くという。そこでお供することにしました。
場所は東伊豆町の図書館。ちょうどお隣の熱川小学校では運動会の真っ最中でした。時間があるので、これ幸いと見学。特に最後のリレー競技では4チームが熱戦を展開し、深い感動を味わいました。
さて、肝腎の折り紙教室ですが、その前に図書館で読み始めた、森野スミ子著『幸せの神様は意地悪』に気を奪われて、結局、女房殿だけ参加ということになりました。1時間で出来上がった彼女の作品が冒頭のアジサイの折り紙です。折鶴とか言うような折り紙ではなく、絵葉書のようなもの。でも、女房殿は楽しい時間を過ごしたようでした。
場所は東伊豆町の図書館。ちょうどお隣の熱川小学校では運動会の真っ最中でした。時間があるので、これ幸いと見学。特に最後のリレー競技では4チームが熱戦を展開し、深い感動を味わいました。
さて、肝腎の折り紙教室ですが、その前に図書館で読み始めた、森野スミ子著『幸せの神様は意地悪』に気を奪われて、結局、女房殿だけ参加ということになりました。1時間で出来上がった彼女の作品が冒頭のアジサイの折り紙です。折鶴とか言うような折り紙ではなく、絵葉書のようなもの。でも、女房殿は楽しい時間を過ごしたようでした。
「幸せの神様は意地悪」 ― 2015/06/07
森野スミ子「幸せの神様は意地悪」――私の「細腕繁盛記」
森野スミ子さんは大分県日田の生まれで、不幸な結婚生活を清算し東京へ出て、仲居の仕事から努力して川崎に料亭を所有するまでになり、最終的には伊豆稲取に「ホテル伏見」をオープンし、そのオーナー社長として一時代を築きました。
彼女の自伝である本書を読み終えて感じることは、数奇な運命に翻弄されることなく、よくぞ耐えて耐えて幾度となく立ち上がり、自分の人生に立ち向かったという思いです。
養父から始まって、初婚の相手、再婚の相手、そして息子までが身持ちの悪さで彼女をずっと苦しめ続けました。思うに、度重なる艱難辛苦に打ち克った要因は彼女の生命力と、類まれな仕事の才覚だったと思われます。
「ホテル伏見」はもうだいぶ前に廃業し、その跡地は駐車場になって「どんつく祭」の会場に使われていることを、今朝、街を歩いて知りました。1990年発行の本書のあとがきには、余生を稲取の自然とともに生きる幸せを記しています。
森野スミ子さんは大分県日田の生まれで、不幸な結婚生活を清算し東京へ出て、仲居の仕事から努力して川崎に料亭を所有するまでになり、最終的には伊豆稲取に「ホテル伏見」をオープンし、そのオーナー社長として一時代を築きました。
彼女の自伝である本書を読み終えて感じることは、数奇な運命に翻弄されることなく、よくぞ耐えて耐えて幾度となく立ち上がり、自分の人生に立ち向かったという思いです。
養父から始まって、初婚の相手、再婚の相手、そして息子までが身持ちの悪さで彼女をずっと苦しめ続けました。思うに、度重なる艱難辛苦に打ち克った要因は彼女の生命力と、類まれな仕事の才覚だったと思われます。
「ホテル伏見」はもうだいぶ前に廃業し、その跡地は駐車場になって「どんつく祭」の会場に使われていることを、今朝、街を歩いて知りました。1990年発行の本書のあとがきには、余生を稲取の自然とともに生きる幸せを記しています。





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