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腰の神さま2017/09/25

腰の神さま
東伊豆町文化協会発行の「ひがしいず むかしばなし 第1集」に「腰の神さま」の話が載っています。それによると、湯ケ丘に「丸塚」というところがあり、そこに五重の塔(五輪塔)が幾つか立っていて「無名戦士の墓」と云われているそうです。そして、この丸塚の五輪塔は腰の神さまで、今でも土地の信心深い人たちが腰痛を治してくれる有難い神様だとしてお参りに来るというお話です。

何故、無名戦士の墓が腰の神さまになったのか?先ずはその話をご紹介しましょう。昔、農家の方が田圃の作り直し(まさなおし)をしていたら、土の中から骨がたくさん出てきた。彼はイノシシやシカの骨だろうと、石ころと一緒に道普請に使った。ところが、暫くすると、腰が酷く痛くなったので、家に帰って横になった。

彼は横になって考えた。たいした仕事をしたわけでもないのにと不思議に思ったが、もしかして落人の骨だったかも知れないと考え直すと、ただちに骨を隈なく拾い集めて元の場所に埋めた。すると、何と腰の痛みが治ったではないか!

そこで彼は墓を立てて懇ろに供養することにしたところ、村人の評判になり腰痛を治してくれる神さま、腰の神さまと呼んで大勢の人がお参りにくるようになった。

さて、「腰の神さま」については、私どももその場所の探索に字丸山近辺を歩き廻ったことがあります。4年余りも前のことです。特定出来たのはやはり丸山の“腰”にあたるところ、グーグルのマップでは字牛取山の北、迂回路の沿線にありました。

しかし、祠の中には五輪塔のようなものは無く、お地蔵様と木造仏、そしてお札があるだけです。「むかしばなし」に書いてある五輪塔ではありません。腰の神さまの近くにある五輪塔と言えば、その下のミカン畑の更に下方に「大洞庵遺跡群」があり、そこまで古くから往来したと思われる道がありました。現在はヤブに覆われていましたが。

つまり、腰の神さまと大洞庵遺跡群とは何らかの繋がりがあると考えられるのです。「ひがしいず むかしばなし第1集」に載っている「腰の神さま」はそのことを物語っているように思えます。

なお、石原驍著「伊豆の史伝」には白田の丸山に城があった、という仮説をもとにして「腰の神さま」と大洞庵遺跡群の調査をした記録が載っています。