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天王さんの駐車場2019/07/07


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天王さんの脇のミカン畑の木がいつの間にかきれいさっぱりと切り倒されて、周りが見違えるほど明るくなりました。その後、トラクターではなくショベルカーでもなくクリッパーとでも言うのでしょうか、木を切ったあとの根っこを摘まみ上げてトラックの荷台に運ぶ作業が繰り返されていました。

 

工事中の人に聞いたら、田町区で決めた駐車場設置工事だそうです。13日から始まる夏祭りには間に合いませんが、天王さんの石段雛飾りまでには十分間に合うでしょう。雛祭りでの石段飾りにいよいよ本気で取り組み始めたということでしょうか。

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クロカンコースの工事現場2019/07/08

    クロカン山岳コースは画面中央左から、この土盛りの右側へ

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きのうは朝から強風が吹き荒れてはっきりしない空模様だったのが、午後になって風も少し弱くなり日も差してきたので、クロカンコースに上がってみました。お目当てはクロカンコースの工事現場です。日曜日は工事がお休みなのを狙っての“視察”です。

 

今回はツリーハウスの裏から上がってみました。工事現場は5キロの山岳コースに入って坂を登った地点です。そこがこのクロカンコースを分断して県基幹農道を通す箇所です。やはり土盛りが大分進んでいました。

 

やはり予想どおり、新農道(車道)を横断する際、一か所の限られたエリアにおいてのみ可能とするためには車道は土盛りしておいた方が容易、ということなのでしょう。平面交差のままだと、ランナーは広い範囲でその農道を横断できてしまうことになり、事故の危険性は増します。

 

いずれにしても、橋桁のような杭を打って高架式道路を通すのではないことだけでも判明しました。今回はそのまま更に上がって最終処分場の上に来て“ひらなみ”の方を覗くと、その後の工事はあまり進んでいないようでした。幅広い道を造るためにはまだまだ山を削らなければならないでしょう。すべてが竣工するのは何年後か、見当つきません。

 左右の芝生がクロカンコース 先方の屋根は体育センター その隣には樹木で見えないが、ミカンワイナリーがある


稲取岬を歩く2019/07/09

ふれあいの森のコトリのランドマーク
<曇り空の遠望で悪い写真でした>

稲取岬の灯台に上がってその展望デッキで周りの風景を楽しんできました。一部樹木が視界をさえぎっているものの、ほぼ全方向にパノラマが展開しています。ただ、電線が張り巡らされれているのが珠に瑕です。撮った写真を見るとガッカリしますね。

この展望デッキからは北東の方向に秀逸なビューが期待でき、特に“カグラ石”が望めるのが素晴らしい。北または北西方向のビューは、デッキから下りて灯台公園の辺りからの方がすぐれているかも知れません。

他では、稲取岬の最上部に上がってから西へ伸びる背稜を下る所がお薦めです。西に河津の天嶺山、おおみよ、三筋山などが横一線に連なって壮観です。久しぶりの稲取岬ランブリングを楽しみました。

ふれあいの森のホームレス2019/07/11

私どもが伊豆稲取に来て間もなくの頃、権現線遊歩道の奥、林の沢で初めて出会った不思議な人がいました。その後、何度か顔を合わすようになってからは、実は、この方がふれあいの森を拠点にしたホームレスであることが分かりました。しかし、この方が単なるホームレスではなく、いよいよ怪人物であるという印象が強くなり、その時々のメモをこのブログにも残してまいりました。
そして、突然彼女が姿を消してからそのメモを一つにまとめ小冊子を作ったのが去年の秋のことでした。遅まきながら、それを七回に分けて当ブログに載せることにしようと思います。

(一)  ふれあいの森
伊豆稲取に「ふれあいの森」があります。
稲取岬側から稲取漁港を間にして向かいの山を眺めると、小鳥のランドマークが人目を惹きます。この山が「ふれあいの森」で、山頂は296メートルあり、そこには滑り台が設置されています。そして、この山の中腹の南側を削ってクロスカントリーコースの一部が走っており、東南に下る尾根をこのコースが横切った辺りに展望棟が建っています。ちなみにこのコースの部分を私は〝ハチマキ道〟と呼んでいます。

展望棟は、南に広く眺望が利く斜面上に足かせを設けて建てられ、下の階にトイレがあります。その上の展望テラスからの眺めは素晴らしく、稲取漁港を挟んで稲取岬の灯台や、漁港周辺に密集する住宅街が一望できます。海上には東に大島が大きく横たわり、西へ利島、鵜戸根島、新島、式根島そして神津島が浮かんで見えます。更に西の海上には爪木崎と、天気が良ければ神子元島も遠望できます。
展望棟直下の「さくらの広場」にはシーソーやブランコなどがあり、子供たちに人気の滑り台は長大なもので、幾つかの段差があり大変珍しい遊戯施設です。一度、試しに乗ってみたことがありましたが、中ほどにローラーの部分があり、その上に乗るとお尻のマッサージを受けているような感覚がありました。全体の距離が長いので結構楽しめましたね。

隣町の河津幼稚園の子供たちが3人の先生に引率されて訪ねてきたこともありました。その時は管理棟前の駐車場に大型バスを見つけ、子供たちの歓声も下のさくらの広場から聞こえてきたので、そちらの方へ廻ってみたのでした。
広場へ下りたときには子供たちの歓声もおさまり、大きなシーツの上に座って食事を始めるところでした。先生の一人が、実は毎年花見の前に必ずここに来ていると言っていました。そこで私はすかさず、4月の初めから中旬にかけて、この裏のクロスカントリーコースまで上がればソメイヨシノとオオシマザクラが楽しめますよと、的外れのようなことを言ってしまったのです。河津には全国区のカワヅサクラがあるというのに。
さくらの広場の東隣には梅の木やモクレン、ユリノキ、そしてタイサンボクなどが春になると咲きだします。上の展望台から下りてきて暫くブランコを揺らしてから、これらの花を愛でながら下山する楽しみがこの森にはあります。

ふれあいの森のHL 22019/07/12

(二) 初めての出会い 

私たち夫婦が千葉から稲取に移ってきて間もない頃の話です。歩くのは好きでない女房殿が珍しく、ふれあいの森に上がりたいと言い出しました。折角の話なので、それではと、オニギリなどを持ってピクニックしようということになりました。冬枯れの季節にしてはめったにない無風の好日です。暖かい光が有難い。

 

上の赤坂いろは坂を頑張って上がり、小鳥のランドマークの展望台に立ちました。大島が目の前に大きく横たわり、新島の隣に薄べったい式根島もくっきりと浮かんでいます。下田の白浜や爪木崎もそう遠くないように見えます。

 

かくして、展望テラスのベンチでゆったりとした時間の流れを満喫した私たちは、帰りは未だ歩いたことがないルートを取ることにしました。ひとまず、ハチマキ道を歩いて管理棟の前に出ました。道路沿いに立っている看板の概略図を見てから、赤坂いろは坂を左に分けて直進してゆきます。「さくら介護」施設の前に出るはずです。

コンクリート舗装の道が続き、道なりに紆余曲折を繰り返すと、間もなくみかん畑に出ました。金網のゲートは開いていて、軽自動車が一台止まっています。畑で作業しているのでしょう。右に折れて少し行くと、橋がかかった涸沢を渡り左に折れて下り坂へと自然に誘導されました。確か、他には道がなかったように思います。

 
一抹の不安をかかえながら注意して降りてゆくと、東屋があって前方海の方に少し展望が得られました。そしてその下に立派な神社がありました。吾妻権現神社です。参拝後、かなり急な石段を下ってゆきます。しかも、幅が狭くよほど気を付けないと転落の危険があります。女房殿の口から溜め息と嫌味の声が飛んできたのは、こんな時の常套文句です。確かに石段の道は煩わしいものですが、ヒノキ林に覆われて静寂なこの雰囲気が妙義山のお中道のそれにも似て、私には懐かしく感じられたのでした。 群馬県の妙義山は針のような岩山でクライマーが活躍しています。私の好きな山の一つです。

 

かにかくに、下の鳥居に着くと、左手の樹林越しに民家が見え、洗濯物が干してありました。寂しそうな一軒家です。女房殿の顔には不安そうな表情が浮かんでいました。確かにこの山深いところを生活の本拠にするなどのことは、私どもにはとても耐えられそうにありません。尚もコンクリートの細い道を降りてゆくと、動物を収容する大きな鉄のカゴが幾つも並んだ建物に出ました。犬が奥の方で吠えていますが、手前のカゴには姿がありません。ここで犬猫が処分されるのかなと思いながら下りてゆくと、一人のお婆さんがゆっくりとした足取りで上がってきました。黒光りした精悍な顔付きと、黒髪を無造作に後ろに束ねて長く伸ばした格好から、アメリカの西部劇に登場するアパッチ族のお婆さんを連想しました。白いポリ袋を下げています。
「あの施設は犬猫の処分場なのですか?」と、私が声をかけました。すると、

「いえ、あれは山で見つかったイノシシなどを入れておく檻ですよ」と、張りのある声が飛んできました。丁寧な話し方です。犬がまた奥の方で吠え始めました。

「お住まいはこちらなのですか?」と聞くと、
「この上の一旦下ったところにあります」と、言われても全く見当がつきません。一見してお年寄りのような感じのこの方は、しかし、スリムで腰は少しも曲がっていません。黒髪を後ろに束ねた様子は少し色気を感じさせるくらいです。顔つきが何となくお婆さんのように見えたので、つい、お年を聞いてしまいました。すると、61歳だとのこと。しまった、未だ若い人だ!私は慌てて失礼を詫びたのでした。それでも、この方は気を悪くすることなく、それからも私たちの繰り出す質問に気持ちよく答えてくれました。東京の練馬から新天地を求めて移り住んできたといいます。周囲の山のこともよくご存知で、天城峠などは簡単に日帰りできますよと教えてくれました。山懐に抱かれて逞しく生きる人がいる。私は引越しの瑣事から解放されて、最近何となく感じ出した淋しさを打ち消せるような気がしてきました。

 
そのまま素直に坂を下りてゆくと、見慣れた介護センターの前に出ました。この登り口に大きな看板が立っていて、今下りてきた道が権現線の遊歩道だったと分かりました。