<><><><><><><><><><><><><><><><><><>

ふれあいの森のHL 最終回2019/07/17

(七) エピローグ

ふれあいの森から彼女が姿を消して幾らかの年月が過ぎ去った今、惟うに、この人とのかかわりは何だったのか、単なる厄介払いだったのか未だに整理できておりません。ただ、はっきりしていることは、地域社会が、 憲法で保障された基本的人権を有する一個の人間として文化的な最低限度の生活を営めるように、彼女を迎え入れることが出来なかったということです。そして行政は、町当局は手をこまねいているだけで、問題解決に向けてどれだけの知恵を絞ったというのでしょうか?社会福祉関係の仕事に従事している人たち、私たち一般の住民も含めて残念でなりません。

 

今や水乗り平からふれあいの森にかけてはクロカンコースを中心に各種イベントが頻繁に行われるようになり、クロスカントリー競技が開催される時などは数百人のランナーがコースを埋め尽くします。あの展望台の周辺は彼女が仮の住処として最初に選んだ時と比べて、個人の我儘を放置できない環境に格段に変わってきました。それを彼女は感覚的に察知したのでしょうか、自ら身を引くことでこの話は幕が降りました。

働くことによって生計を立てるあらゆる社会の仕組みは時代を重ねて進化し、複雑な形をとって人々をがんじがらめにしつつあります。その中で生き抜くのは一握りの人間で、多くは絡まった糸を解くこともできずストレスを感じながら生きているように見えます。そして当然にもそこから逃げ出そうともがいている人もいるはずです。

 

ひるがえって彼女はどうでしょう。究極のアウトドア・ウーマン、修験者のような超能力の一端を持つかのごとき彼女は飽食の時代が続き、物があふれたこの世に敢えて苦難の道を一人突き進んでいるかに見えます。惟うに、彼女は現代社会から逃げ出してきたのではなく、自らその社会に挑戦したのではなかったか。長い年月に渡ってそれが出来たのは類まれな強い精神力を持っていたからではないか。修験者のように日々を行として過ごしているからこそ、それが出来たと信じたい。今はもう、彼女の行く手に幸あれかしと祈るしかありません。(終わり)