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水源に大木を見つけた!2022/08/01

河津のオレンジセンターを目標に、いつになく朝9時前にゴー! 今朝は薄雲が多めでその分日差しが幾分やわらかく有難い。

さて、水下から見高へ抜ける途中、凄い大木を見つけた。金網で囲ったその場所は以前にもその脇を幾度か通り過ぎていたのに格別に思った記憶はない。しかし、金網越しに見るその大木は稀に見る様相を呈していた。ツタカズラなどに覆われたその根回りは5,6メートル以上あるかも知れない。その脇にわずかに流れて来る沢水を集めてミカン畑などの供給源としているようだ。大切な水源を守る大木・古木である。








タルガネ2022/08/02

きのうの水下の大木のあと、迷路のような細い農道を巡って行き着いた先は長野のバス停。昼までにまだ時間があるのでタルガネに下りてみた。磯におりるまで悪路が続くのでバランスを崩しかねないが、所々にロープが張ってあるので有難い。でも、ここを訪れる釣り人は冷蔵庫や釣り道具などを背負って往復せねばならず大儀なことだ。

磯に下りたら、人の気配がまったくなかった。先ほど道路からの下り口に2台のワゴン車が留まっていたが、どうやら釣り人の車ではなかったようだ。久しぶりのタルガネ。日差しはジリジリと暑い! たまには釣り人の立つ水際に下りてみる。最近はバランス感覚が少し衰えているので慎重になる。まあ、岩登りと同じように3点指示の基本を守れば造作ない。

海水に手を浸せば夏の海でも結構冷たい。稲取の”はなれ”に通い詰めていた頃、時に”小池”などに身を沈めて戯れたものだ。岩陰に隠れたウツボを見つけて慌てて水から上がったことなどを思い出す。

空気が澄んでいるせいか、カメラの写りが良さそうだ。手前に欠け落ちたコンクリートの遭難慰霊碑。そして岩壁を東側に移動して手前に大きな岩礁、これは”アンデルセンの靴”。その向こうに”ヨコウラ”の海岸。稲取岬の先端がマッコウクジラの頭に見える。ここは釣り人の楽園である。






アロエ2022/08/03

「おめー、医者いらずを知ってるか?」
いきなり質問が飛んで来たのは、”やっさかさん”の民宿前を通りかかったときでした。彼は今は鬼籍に入っている方で、だいぶ前のことです。

実は、畑で作業中に蜂に刺されたことがあり、アロエの汁を塗ったら奇麗に治ったというのです。それも三度もあり、その都度塗って事なきを得たと言います。

そんな話を思い出したのは、きのう腰に貼ったシップを剥がしたら一部がかぶれて赤い痣があらわれたからです。シップ薬は往々にしてかぶれることがあると聞いてはいましたが、実際にできてしまうと鬱陶しいものです、

そこで今朝は稲高下の国道沿いに向かって歩き出しました。陸橋を渡りセイジョー手前の信号を右に廻って国道沿いに出ました。アロエは100メートルくらいに連なって健在でした。小ぶりなアロエなので多分キダチアロエでしょう。

折角ですから、数本の葉を折って持ち帰り”葉身”を魚のように2枚におろし、早速傷口に塗りつけました。4時間が経った現在までに2回塗布しています。あらためて傷口を見ると、全体に乾いた印象があります。ただし、粘膜に手を触れると僅かな痛みがありました。でも、だいぶ軽くなっています。明日がどうなっているか楽しみです。

浅間山をまわってから2022/08/06


浅間山を歩いたのは先月の21日。あれから2週間あまりでまた歩いてきました。風車の丘でまたウサギさんが目の前を横切って草むらに潜り込みました。なかなか身を晒してはくれませんね。

それ以外は変わったことはなかったのですが、コンコーネ16番を口ずさみながら下山し、最後にふれあいの森の管理棟前まで来たら、道路際でなにやらゴミを引っくり返している人がいました。町から委託された業者かなと思いながらも声をかけると、元気のよい声が返ってきました。

「どこの人?」と逆に聞かれたのでこの土地の者で、今、浅間山をまわって下りるところと答えたところから話が弾んで、そのうちに彼は作業を止めて立ち上がり不思議な話を始めました。
「実はね、ニョウボがね、彫刻を一緒にやらないかって云うんだよ」
「?」
「あのほら、仏様の木像だよ。急にそんなこと云ったって、その気になれるかよ。藪から棒というもんだ。なんでも、伊東から仏師が来てカヤ寺で講習があるんだと。ニョウボはね結局、弟をつかまえてカヤ寺へ行ったさ」
<今日は時間切れ。この続きはまたあした>

仏さまを彫る2022/08/07

「それでね、この講習は一回三時間コースで、持ち帰った作品をつくづく見たんだよ。なってないんだな、それが。勿論、半分も出来てないやね。貸してみろってんで、削ってやったんだ。オレも初めてだよ、こんなことするのは。そしたらね、我ながらエッと思ったのさ。出来てるじゃねーかって」

「初めてだよ、木を彫るなんてよ。それも仏さんだぜ。すっかりその気になっちゃって、次の日はこっちから押し掛けたさ。やればやるほど面白くなってね。虜になったみたい。講習には20人ほどが集まっていたな。3時間でモノにしている人は誰もいなかったから、手伝ってやったさ。仏像はね、お顔がむつかしいんだよ。線を引くのがね。ちょっと外れたらお仕舞さ。だから面白いんだな」 

「たくさん作ったよ。お寺さんに寄贈もした。知り合いに頼まれて小さいのを彫った。巾着に入る仏さんをよ。亡くなったご亭主の仏さんをいつも身に付けていたいって云うのさ」そう言ってから彼は少し離れた所に留めた軽トラへ歩いて行ったので私も後に随った。ダシュバンの中から小袋を取り出すと、中に彫像が入っていた。可愛らしい仏様だ。裳裾の襞もちゃんと彫ってある。

「百羅漢というじゃないか。それ以来、この大きさのを百体作ってカヤ寺にひとまず30体納めたんだ。それも幾らもしないうちに檀家さんに気に入られて一つ減り二つ減りしたから、また30体納めたよ。それからよ、十二支があるだろ。今年は寅年だからトラを彫った。来年は卯年なんで今、ウサギを彫ってるけど、動物は難しいや。でも、それをああでもないこうでもないと考えるのさ。出来上がると達成感があるな」

子どもの頃、学校の絵の勉強はやはり得意だったそうだが、別段、絵描きになるとか考えたこともないと、私の質問を軽く受け流した。ただ、絵心はあったというから、やはりそれなりの筋の良さがあったに違いない。それがふとしたきっかっけで花開いたものと思われる。お蔭でやることは沢山あってね、という彼は現在75才だそうだ。前途は洋々と開けている。

さて、不思議な話はこれからである。またあした。