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クロカンの記念碑 ― 2023/03/04
コメント
_ 通りすがり ― 2023/03/07 14:27
_ inada ― 2023/03/07 16:46
「通りすがり」さん、お久しぶりです。
記念碑建立の前年には既にコースが現役だったという事実に驚いています。最初の竣工はそれより前の可能性があるわけですね。
スタートゴールゲートからの直線コースが左に曲がるところで北側の小さな沢沿いをたどると”イッペー水”がありますね。学校の遠足の途中、この水で喉の渇きを潤した話を良く聞きましたが、”おきのはら”への斜面を行かないで、その手前を左に緩い斜面を曲がってゆくと、現在の山コースに合流します。これが古いコースの一部だったようですね。先ほどの小さな沢沿いに古いクロカンコースの看板を見たことがあります。10年以上も前に”イッペー水”の場所を探して歩いたときに初めて見て驚きました。
『「地元っ子らぁ」は、勝手知ったる山でしたから、好き勝手にショートカットして記録員さんを戸惑わせた』との愉快なお話にも納得です。クロカンコースにも色々と歴史があるという思いを強く感じました。今後もよろしくお願いします。
記念碑建立の前年には既にコースが現役だったという事実に驚いています。最初の竣工はそれより前の可能性があるわけですね。
スタートゴールゲートからの直線コースが左に曲がるところで北側の小さな沢沿いをたどると”イッペー水”がありますね。学校の遠足の途中、この水で喉の渇きを潤した話を良く聞きましたが、”おきのはら”への斜面を行かないで、その手前を左に緩い斜面を曲がってゆくと、現在の山コースに合流します。これが古いコースの一部だったようですね。先ほどの小さな沢沿いに古いクロカンコースの看板を見たことがあります。10年以上も前に”イッペー水”の場所を探して歩いたときに初めて見て驚きました。
『「地元っ子らぁ」は、勝手知ったる山でしたから、好き勝手にショートカットして記録員さんを戸惑わせた』との愉快なお話にも納得です。クロカンコースにも色々と歴史があるという思いを強く感じました。今後もよろしくお願いします。
_ 通りすがり ― 2023/03/28 14:57
_ inadaさま、コメントありがとうございました。
私たちの世代はすでに細野高原への遠足で、舗装された道をふたつぼり農園の方から山神社の前を低学年の子の手を引いて歩いてました。
仰る通り、クロカンのコースは繰り返し修正されています。
私たちが走ったのはごく初期のコースで、試行錯誤だったのでしょう、走るたびにコースが「微調整」されていました。
友達とあの辺りの山で遊んでいたら、次々と自然薯堀りの深い穴にはまって泥人形のようになって帰宅。
みんなそれぞれの家でこっぴどく叱られたことを思い出しました(笑。
私たちの世代はすでに細野高原への遠足で、舗装された道をふたつぼり農園の方から山神社の前を低学年の子の手を引いて歩いてました。
仰る通り、クロカンのコースは繰り返し修正されています。
私たちが走ったのはごく初期のコースで、試行錯誤だったのでしょう、走るたびにコースが「微調整」されていました。
友達とあの辺りの山で遊んでいたら、次々と自然薯堀りの深い穴にはまって泥人形のようになって帰宅。
みんなそれぞれの家でこっぴどく叱られたことを思い出しました(笑。
_ inada ― 2023/06/10 17:20
「通りすがり」さま、今頃になって折角いただいたコメント(3/28分)を見過していたことに気が付きました。たまたまブログ管理画面を覗いてみたら、コメントの未処理が残っていました。今頃になって失礼しました。あらためてお詫びいたします。申し訳ございませんでした。
ところで察するところ、1980年代の頃には”舗装道路”を歩いて細野高原へ向かったということですね。それからクロカンコースも走る度に微調整されていたというお話。いろいろあったのですね。自然薯を掘った穴にはまって泥だらけの愉快な話とともに、当時、「水乗り」は稲取っ子(大人も含めて)の大舞台であったことが分かります。
ところで察するところ、1980年代の頃には”舗装道路”を歩いて細野高原へ向かったということですね。それからクロカンコースも走る度に微調整されていたというお話。いろいろあったのですね。自然薯を掘った穴にはまって泥だらけの愉快な話とともに、当時、「水乗り」は稲取っ子(大人も含めて)の大舞台であったことが分かります。
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私の記憶では、1988年ごろにはすでにコースを走った記憶があります。地元民だけでなく、都内私学の陸上部学生が前夜から合宿形式で団体参加していました。彼らの立派なユニフォームや靴などの装備に驚いたことを思い出しました。
現在に比べ舗装や芝生の整備も「荒っぽく」、クロスカントリーとはなんぞや?と云った雰囲気を発注元、施工者、利用者の誰もが感じていたように思います。
しかし我ら「地元っ子らぁ」は、勝手知ったる山でしたから、好き勝手にショートカットして記録員さんを戸惑わせた記憶があります(笑。
平成3年ころとなると、大会も恒例化し、周辺整備もキレイに整ってからなので、いよいよ記念碑の設置と相成ったのかも…。