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アラマキ、ハギクボ、茶の平2023/10/22

稲取入谷の山神社脇から河津方面へ「農免道路」が走っているが、河津方面へその道路が一度下ってまた上り切った所から海に向かって小尾根が派生している。その入口の部分に三角点標識が立っているのを知る人は少ないと思う。垣根の足元が藪で覆われて殆ど日の目を見ていないからだ。この三角点名は「萩窪」とされている。周りを眺めると、小尾根の東側にちょっとした窪地があって、そこには大きな園芸ハウスが林立しており、そこは土地の人が「あらまき」と呼んでいる農地である。

この小尾根をたどると「あらまき」から上がってきた道を併せ、更に海側へと道は伸びて下ってゆく。最終的には水下から見高入谷へと向かう旧道を横断して志津摩に出ることが出来る。きょうはこのルートを歩いて来た。歩きなれた私の好きなウォーキングルートの一つでもある。

ところで、この小尾根の道と「アラマキ」から上がってきた道の合流点から少し小尾根を戻ると、町指定の「茶の平遺跡」がある。と言っても保存された遺跡ではなく、ビニールハウスがあるだけで、若干の広場を保ちながら小尾根状に南に落ち込んでいる。要するに、この周りには「萩窪」、「あらまき」そして「茶の平」の三つの名前が混在しているのだ。そしてそれぞれがどう定義されているのか、私にとっては長く棚上げになっている宿題である。

 山神社の前を通り過ぎ「木割場」の石仏群の台座を借りてひと休みした後、JAの倉庫から旧道を下り大久保橋を渡って農免道路に出た。旧道はそのまま農免道路を横断し、下って「あらまき」の窪地に右回りで降りて行く。ハウスを外側から回り込んだ所で、その一つから人が出て来るのを見届けると、急いで駆け寄って声を掛けた。60台くらいのオバちゃんだった。午前中の仕事を切り上げてお帰りのようである。ハウスの前に軽トラがあった。早速、この辺を何と呼んでいるか聞いてみた。オバちゃんは一瞬、間を置くと例の小尾根の高台を指さして言った。「あそこに“茶の平遺跡”というのがあってね、この辺は茶の平という所なの」 “あらまき”という人もいるけどというと、首を横に振った。

オバちゃんは実家が河津で水下に嫁して来た人だった。それでも、この窪地が樹林で覆われていたのを開墾したものであることを知っていた。ここは土地の所有者を中心として何人かが借りてハウスを建てたものだそうだ。“あらまき”についてはコメントを得られなかったが、この方のお宅ではここを“茶の平”と呼んでいることが分かった。

 他にもう一つ、私の認識と違う話があった。ここの水道は志津摩川から取ったものではなく、地下水からくみ上げた水を各ハウスに配水している、と言うのだ。この点についてはこの窪地の南側に小さなダム状の設備を数年前まで目にすることが出来たのだが、現在は藪に覆われて見ることが出来ない。当時、このダムを一見して志津摩川から取水したものと思い込んでいたのは間違いだったわけだ。そうだとすると、このダムはその下の地域の田畑に給水するための施設なのではないかと考えられる。新たな視点が得られたわけだ。志津摩川の西側地区を流れている水路があるとしたら、それが志津摩川から取水した用水路であると断言できる。いずれにしろ、この水路は“茶の平”にせよ、“あらまき”にせよ、この窪地のハウスには関係がない水路ということになる。

ところで、この窪地のハウスはカーネーションだけではない。イチゴ、ネーブルなどもあり、オバちゃんのハウスはイチゴだった。ハウスの中に細長い懐中電灯のようなものが天井から釣り下がっていた。しかも赤い明りが点いている。これは害虫除けのもので、業者から試しに使ってみてくれと云われ、現在はテスト中である。オバちゃんはこの害虫がほんの1ミリか2ミリくらいのごく小さなもので、放っておくと結実した実が硬いものになってしまうと言ってたので、このテストで良い結果が出ることを祈りたいと思う。