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志津摩の田圃 ― 2012/08/10
稲取八幡神社 ― 2012/08/11
雨のなか八幡神社に参拝してきました。参拝が目的ではなく、八幡神社~立野~小学校~二つ掘り~一望閣~花たちばな・・・の散歩の途上立ち寄ったまでのことです。
先ずは恐そうな狛犬に迎えられて石段を上がり参拝してから、社殿脇の稲岡宮司が書かれた縁起を読みます。以前にも読んだのですが、うっかりして記憶の外に置いてしまっていました。
興味があったのは、神社が鎮座している場所が「鳩乃嶺」ということ。そして、竜宮崎は昔、秀都の崎(ほづのみさき)と呼ばれていたとのことです。賽銭箱に鳩の絵が掘られていたのは、この謂われに縁ったのでしょう。
さすがに稲取の総鎮守社とされているだけあって、ネットによると、境内からは弥生時代以降からの遺物が出土しているそうであります。また、徳治2年(1307年)再建の記録があるとか。かなりの古社です。
秀都の崎の“鳩乃嶺”に最初はどんな社が建ったのでしょうか?東町から西町にかけての海辺一帯は“xxx平”と呼ばれていたくらい、漁労に適した場所だったでしょうから、稲取は先ずこの辺から人の営みが始まったのではないか、などと勝手な想像が膨らんでまいります。
でも、特に入谷やその奥の細野などの原野にもっと古い縄文の遺跡がありますし、天神原にさえも縄文中期の土器などが発掘されているのを考えると、そんな想像も萎んでしまいます。
しかし、この古社が建った当時、他の場所と比べてこの場所はより進んだ“秀都”の貫禄があったのではあるまいか、と想像するのは一概に的外れと否定してしまうのも惜しいような気がいたします。
根拠のない想像を逞しくするのも悪くはありません。今宵はもう少し夢の世界で遊んでみましょう。
先ずは恐そうな狛犬に迎えられて石段を上がり参拝してから、社殿脇の稲岡宮司が書かれた縁起を読みます。以前にも読んだのですが、うっかりして記憶の外に置いてしまっていました。
興味があったのは、神社が鎮座している場所が「鳩乃嶺」ということ。そして、竜宮崎は昔、秀都の崎(ほづのみさき)と呼ばれていたとのことです。賽銭箱に鳩の絵が掘られていたのは、この謂われに縁ったのでしょう。
さすがに稲取の総鎮守社とされているだけあって、ネットによると、境内からは弥生時代以降からの遺物が出土しているそうであります。また、徳治2年(1307年)再建の記録があるとか。かなりの古社です。
秀都の崎の“鳩乃嶺”に最初はどんな社が建ったのでしょうか?東町から西町にかけての海辺一帯は“xxx平”と呼ばれていたくらい、漁労に適した場所だったでしょうから、稲取は先ずこの辺から人の営みが始まったのではないか、などと勝手な想像が膨らんでまいります。
でも、特に入谷やその奥の細野などの原野にもっと古い縄文の遺跡がありますし、天神原にさえも縄文中期の土器などが発掘されているのを考えると、そんな想像も萎んでしまいます。
しかし、この古社が建った当時、他の場所と比べてこの場所はより進んだ“秀都”の貫禄があったのではあるまいか、と想像するのは一概に的外れと否定してしまうのも惜しいような気がいたします。
根拠のない想像を逞しくするのも悪くはありません。今宵はもう少し夢の世界で遊んでみましょう。
河津七滝 ― 2012/08/12
整備が進む細野高原 ― 2012/08/14
外は雨でも、家の中でくすぶっているのでは可哀想。そこで子供たちのリクエストに応えて、カブトムシ探しに出かけました。林の中に入り込むのは無理を承知で、先ずはクロカンコースの裏口辺りに立ちましたが、クヌギやナラなどの木はなさそうです。
それではと、平波ハイウェーを車でゆっくりと左右に目を配りながら進みます。昔炭焼きのために植林したというクヌギ林の入り口に来たときには、雨の中、もう既に探し回る意欲を全員失っていました。
そこで、入谷道に出てから細野高原へドライブすることになりました。山菜受付所の先、パラグライダーの基地に上がると、前方に広く視界が広がり、しっとりした高原の冷気に包まれます。多少の雨ならと、車外に出て空気を胸いっぱいに吸い込みます。
基地の周囲にはショベルカーが入り、何やら工事が進んでいました。もちろん、お盆休みと思われ、人の姿はありません。土日にはワゴン車やオフロード車が集まる場所ですので、多分、ここに駐車場が整備されるのでしょう。トイレが新たに加わりました。
この細野高原は観光地として以前から力を入れているので、観光客が利用しやすいように整備を進めるのは仕方ないことです。この上はむしろ、立派な設備を作って欲しいと思います。
ただし、大峰山~三筋山のライン上に風車は必要ありません。
川送り ― 2012/08/16
中川の橋のほうからお線香の匂いが漂ってきました。橋の手すり下で煙が上っています。大小のお饅頭や一房のブドウなどが添えられていました。もう少し早く通りかかっていたら、送り火がたかれる様子を目にすることができたでしょうに、残念です。
ウイキペディアによると、お盆は仏教では普通1日から24日を指すそうですが、私たちの感覚では送り火を焚く16日が最終日のような気がします。たいていの会社のお盆休みが16日までを基本にしているせいでしょうか。
土尻から“大洞峠”に上がったところで畑で農作業している人がいました。お盆ウィークなのに珍しいので声を掛けました。すると、この方は伊豆高原に別荘を持つ横浜の人でした。「こういうとき(仕事が休みのとき)でないと野良仕事はできないからね」とのこと。人さまざまです。
今宵はまた読経の中、精霊船が稲取漁港を厳かに周回することでしょう。稲取では故人の送りを3年続けると聞きました。合掌。
ウイキペディアによると、お盆は仏教では普通1日から24日を指すそうですが、私たちの感覚では送り火を焚く16日が最終日のような気がします。たいていの会社のお盆休みが16日までを基本にしているせいでしょうか。
土尻から“大洞峠”に上がったところで畑で農作業している人がいました。お盆ウィークなのに珍しいので声を掛けました。すると、この方は伊豆高原に別荘を持つ横浜の人でした。「こういうとき(仕事が休みのとき)でないと野良仕事はできないからね」とのこと。人さまざまです。
今宵はまた読経の中、精霊船が稲取漁港を厳かに周回することでしょう。稲取では故人の送りを3年続けると聞きました。合掌。
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