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「岳麓点描」2013/01/12

春を待つ梅の木
井伏鱒二「岳麓点描」彌生書房刊

太古から富士山は今の形になるまで数多くの噴火を繰り返し、最近では延暦19年 - 21年(800年 - 802年)に延暦噴火、貞観6年(864年)に青木が原溶岩を噴出した貞観大噴火、そして最後に宝永4年(1707年)の宝永大噴火があった(ウイキペディア)ということです。

本書は富士山北麓の谷村藩とその土地にまつわる史実を小説にしたもので、幾つかの短編小説を城代家老と見廻り方の役人を主軸にして一つにまとめています。

先ず最初に「新倉掘貫」の章は、河口湖の水を一寒村まで水を引く大工事の話。この工事は13年後に難航して中止になっていますが、工事に際して測量師や堀貫師などの技術者を他藩から借り集めています。幕藩体制でそういう融通性があったのですね。

そんな折に芭蕉を登場させて藩内をあちこち案内し、俳句を詠ませているのが興味あります。百姓一揆で死罪になった者たちの話の中の、「山賎(やまがつ)の頤(おとがい)とずる葎(むぐら)かな」の句は百姓の粘り強い無言に驚きを感じて詠んだ句のようです。他に旅籠屋での魚屋の話しが出てきます。

その他、土器を作った窯跡の検分だとか、富士山についての史料集めや実際の検分など、興味ある話が満載されており、その中で庶民の生活ぶりが飄々と表現されています。この作家一流のユーモアを楽しみながら楽しく読み進めることが出来ます。

東海道は富士山を北回りしていたのが、延歴19年の噴火後に南回りで足柄越えになり、その後の噴火で箱根路が開かれたのではないか、と作者は言っています。本書は富士山について調べる上でも有難い本です。

この本は昭和61年に出版され、すぐに買い求めた記憶がありますが、その後、読み開くこともなく本棚に眠っていました。山にのめり込んでいた当時、山に関する本を集めていた中の一冊です。