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水神さん、やーい!2013/10/21

<中央手前の山に登って学校へ通ったという>

図書館からの帰りに、またまた、横平山~丸山~コモク~花いっぱい温泉のルートを歩いてみました。何故、そんなにヤブ道に拘泥するか?そうなんです、あるべきところに道がないなんて、不思議でしょうがなかったからです。

実は地図上に道が載ってなくて、その分、疑問が解けなかったのです。それが今日、もう一回歩いて分かったのでした。勘の鋭い人でしたら、一回の歩行で見事に解いた問題だろうと思いますが、最近は体力も判断力も落ちてきているようです。ナニ、もともとじゃないか、と云うなかれ!

さて、首尾よく答えが出て、水神下に降り、先日お会いした“奥の田”のお年寄りにご注進とあいなり、その後、お隣の農家のオバサンとお話ししたときに、水神さんのことにちょっと触れてみました。それというのも、近くに水神下という“字”があることをご存知だったからです。

その答えは、水神さんを管理していた人が事情があって、この地を離れるにともない、一度、何処かのお寺へ預けたのが、そのお寺に置いておけない事情があって、他所へ移ったと聞いているとのことでした。ただ、どこのお寺だか分らないと言います。

神さまをお寺が管理することはよくあることです。ですから、置いておけない事情とは宗教上の問題ではなく、他に何らかのやはり事情があったのでしょう。興味が倍加した感じです。

オバサンに礼を言ってKANZAIの前の馬頭観音まで来たら、何と、彼女が大声を出して駆けて来るではありませんか!息を弾ませながら、彼女が話してくれたのは一級の情報でした。

あれから、ご亭主にその話をしたら、水神さんはもともと奈良本から来たので、そちらへ返したというのです。ご亭主は字奥の田からこの山の上に直接上がって、尾根沿いに小学校へ通ったのだそうです。だから、この山には道が幾つかあったというのです。そのひとつが水神さんの裏からの道だったそうです。

水神さんは奈良本へ通じる道案内でもあったわけで、奈良本から縁を引いてもおかしくはないと考えられます。この辺の人たちの昔は、すべてが奈良本に関わっていたということなのでしょう。

さて、水神さんは奈良本のどちらへ遷御されたか?舞台は奈良本へ移りました。いつかまた奈良本峠に上がることになるのかな?オバサンに感謝多々。

コメント

_ 岬石 ― 2013/10/24 22:00

フィールドワークは凄いですね。いくつかの疑問が解けました。
他のサイトで、湯が岡の発電所の同級生が下流の橋を渡って東浦路経由で小学校に通った、と出ていましたので、赤川橋が出来る前は、白田川右岸の片菅神社より上は、かなり、辺ぴな場所だったでしょうね。

_ inada ― 2013/10/24 23:09

奥の田(岬石さんが滞在した場所)から小学校へゆくのに、坂町の東浦路を通らず、直接コモクへ登ってフラワー通りに出たというのですから、奥の田あたりは取り残された場所だったような気がします。

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