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東浦路に遊歩道を2013/01/13

真潮路の ゆくては暗し しけぬまに

とく帰り来な この灯めざして   ―――萩原スゲ


旧稲取灯台


母親の温かな懐を感じる歌ですね。久し振りにこの歌碑がある旧灯台に上がりました。きょうは小春日和で風もありません。海側に新しく鉄柵が設けられていたので管理人さんに訊くと、去年の行方不明事件後に工事が入ったとのこと。
 


お世辞にも堅固な柵とは言えませんが、それでもある程度の転落事故の予防効果はあるでしょう。でも、どうせならコンクリートを使ってもう少し重量感のある柵にして欲しいところでした。
 


そうすれば、一部だけでも、前方に立ちはだかる立木を伐採して眺めを良くすることが出来たでしょうに。もともと、この地に燈明台を設けた当時は視界が大きく開けていたはずなのですから。


ところできょうは幸運にも横笛の横田年昭さんにお会いできました。神棚にあげるサカキを探しているところでした。現在ある作曲に専念しているとのことで、3月に東京で、そして5月には榧の寺でコンサートを開くというお話でした。
 


さて、本日の目的は白田海岸に遊ぶことです。バリケードを越えさせていただいて白田側に出たのですが、この崩れた旧道は去年歩いたときと殆ど変っていませんでした。多分、開拓人さんの手によってその後の倒木や倒竹が片づけられたのでしょう。

http://www.geocities.jp/kaitakujin/ 


白田側に出ると、以前観光案内所(?)があった場所に建設工事の飯場のような建物が建っていました。ドアの張り紙には(仮称)BBリゾート作業所と書かれています。付近一帯は整地がかなり進んでおり、しかも平成251月の安全目標が掲げられていましたので、工事は進行中と思われました。


どうやら食事処磯辺の脇からトンネル入り口にかけて、伊豆急線路と国道の間の斜面にリゾート施設でも建設するのではないかという雰囲気です。近くの空き地に生コン注入車や工事用の特殊自動車などが置かれていました。


ここに何らかのリゾート開発が為されるのならば、どうでしょうか、旧灯台からこの場所に遊歩道を設けるという案も現実的と考えられるのではないでしょうか?例えば、河津七滝の初景滝から上流は現在でも不通になっていますが、あの部分の地形と比べても難易の差は殆どないと思います。
 


この崩れた東浦路は登山道として考えると、それほど危険な道ではありません。迷う心配も殆どありません。このくらいの登山道は一般道として決して珍しくないのです。ですから、ちょっと手入れをして歩きやすくし、危険と思われる場所には相応の対処をしておけば、“登山道”は立派な遊歩道になり得るのです。
 


“はなれ”の“観光立件”が難航しているようです。ならば、歴史的にも由緒ある東浦路を整備して白田側と稲取側の往来を容易にしようではありませんか。史蹟「稲取灯台」には資料館もあります。しかし残念ながら、訪れる人の姿があまりないようです。この史蹟を生かすためにも、是非遊歩道として整備して欲しいと思います。


コメント

_ 開拓人 ― 2013/01/18 12:24

inada様
こんにちは。今回はBBリゾートを検索してこちらの記事にたどり着き、inadaさんのレポートを嬉しく拝見しました。
実は私もずっと同じような構想がありました。

灯台守 萩原スゲさんのご子孫と知り合いになり、話を聞くうちにこの土地の魅力を実感しています。

2013NHK大河ドラマ「八重の桜」の舞台・幕末の時代に
下田に来航した黒船に乗船しようと東伊豆の海岸線を南下した吉田松陰と金子重輔が峠で一休みしてお茶を飲んだ茶屋があったのが旧稲取灯台の峠茶屋と伝えられています。(灯台下の刺しゅう館には2人が団子か何かを食べている刺しゅうパネルが飾ってあります)
ところが1878年の伊豆大島近海地震で古い街道(下田街道)が稲取トンネルと同時に崩れて人が通れない状態になっていました。
私が縁あってこの街道沿いの上側の山を所有することになった10数年前から小さなユンボで街道を白田側に向かって復旧しました。
5年ほどで8割がた復旧しましたが、最後の岩場の所には数百キロから1トンクラス以上までの巨石が数多くあり、そこに手を入れるのはあえてやめています。

復旧済みの道の途中には拝み岩と言われる昔の人が人力で掘削した岩の通路が残っており、
史実から推測するとおそらく白田から稲取に抜ける道が当時1本の街道だった中で
間違いなく吉田松陰と金子重輔が通った場所はそのまま保存されております。

街道は崩れて私の作った道は所有する山の中を多く通っていますが、街道の下側の地主の方も存じていますので、そのあたりの問題はクリアできると思います。

白田側の巨石群崩落跡の安全性を一定程度確保できれば、あとは100メートル程度で街道が通じるまで9割程は完成しております。

この山の中を通せば、そこから白田までの道は旧国道なので通行すること自体は問題は無いかと思います(欲を言えば、海側に降りるルートがよりいい感じです)が、
もし、(仮称)BBリゾートさんにも賛同いただき、行政サイドでも何らかの安全対策などできれば、現在江戸時代からそのまま残っている部分がはっきりわかる
歴史街道としてとても価値のあるものになると思います。

実は伊豆急さん毎年企画されている伊豆急ウォークを面白く思い、私も達成しておりますが、
ルートはほとんど現在の舗装道路部分で若干残念でした。白田駅~伊豆稲取駅間まではこの街道を通ると昔の人たちが本当に通った道そのものをたどれるという付加価値が
あり、とても面白い企画になると思います。


私は基本的に賛同いたしますので、ご協力できることがあれば協力したいと考えております。

_ inada ― 2013/01/18 21:02

開拓人様
稲取~白田間の旧街道復旧について力強いメッセージを寄稿していただき感謝に耐えません。
この件に関しては地主様の基本的な了解があればこそです。この上は、世論の喚起及び高まりが必要かと思います。そしてまた、当事案にはどんな障害があるか、それをどう乗り越えてゆくかの見通しを明確にする必要があるかと思います。

先ずは、頂いたメッセージが無にならないよう願うこと切です。

_ 開拓人 ― 2013/01/21 12:48

inada様
こちらこそありがとうございます。間違い訂正です。
>1878年の伊豆大島近海地震で
は100年間違えました。1978年で、約35年前のことです。
35年も経つと木々も大きくなり、山の土は崩れて地形は結構変わっている感じですね。今は比較的安定していますが、台風の後などには直径40センチほどの木が倒れていたりすることもあったり、土も流れて、竹は生えてくるし、最近は維持がやっとです。
ではまた。

_ inada ― 2013/01/21 13:29

開拓人さん、ご丁寧に訂正を有難うございます。
昨日は河津の里山を歩いてきましたが、手が入った山と入らない山ではこうまで違うかと目の当たりにしてきました。
自然は自らの論理で動いているのですね。

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そこに ? があるから (答えは 山 )

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