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ウスバタの滝を探して2013/03/08

<虎毛模様のススキの燃え残り 背景は天城山>

先月見て参りましたウスバタの滝が地図上でどこに位置しているのか確かめたくて、本日、稲取側から歩いてみました。結果は残念ながら明確な答えは出ませんでした。


三筋山に敬意を表して、とりあえず強風が吹きまくる山頂に立ち、その後、桃野湿原に下って大峰山の稜線に対峙する尾根(浅間山に続く尾根)に上がりました。

 <黒焦げ一色の細野高原>

<バリカン山(628m)>

<茶色の桃野湿原も悪くありません>


さて、今回、白田側への下降点に選んだのは、桃野湿原の東の628m高点から499m高点へ続く尾根の中途にある北北東乃至北東に向う尾根(マップのA点)です。

<敵は黒○のあたりかな?滝の直下で沢が二股になっていたから> 


この尾根には一度途中まで入ったことがあり、痩せ尾根が印象に残っていました。この尾根は赤テープもガイドしてくれて、ある程度気楽に歩けました。
 


そして、降り立った地点は沢が入り込んでいる尾根でした。この沢の堰堤からは水が勢いよく落ちていました。しかも、鉄砲撃ち達が獲物のシカを処理していた場所だったのです。


つまり、ウスバタの滝への取り付き点のかなり白田川の下流に降りたということです。そこで、前回ウスバタの滝へ取り付いた地点まで車道を歩いてみると、やはり急ぎ足で20分もかかりました。


<ウスバタの滝の取りつき点はこの橋を渡った左にあります> 


実は、大久保の大家さんのお宅の前でご当主の方からアドバイスを受けておりました。ウスバタの滝は桃野湿原のほぼ裏側だから、628m高点へ向かう舗装路を行くと良い、ということだったのです。
 


しかし、今回、私の頭の中にあったのはあの痩せ尾根で、どうしてもその魅力を遠ざけることが出来ませんでした。残念ですが、結果的には三筋山側から白田へ降りるルートとして利用できるという副産物があったということで良しとしましょう。
 


課題は先送りとなりました。次回はアドバイスどおり、舗装路から攻めることにします。

河津沢田の涅槃堂2013/03/09

涅槃堂


稲取の榧の寺、済広寺の門前では寝釈迦の小さな模型が何時もにこやかに来客を迎えてくれています。寝釈迦、つまり涅槃像は昔、学校の遠足でどこかのお寺に詣でたときに見たのが最初で、以後も何度か拝観した記憶があります。
 


涅槃像に見る穏やかで平安なその境地が実はお釈迦様の死への旅立ちの姿だと知ったとき、不思議な感覚と共に畏敬の念を覚えたものです。勿論今でも凡愚の身にはとてもとても高邁な精神の世界には及びもつきません。
 


河津の涅槃堂を初めて訪れたのは伊豆に来て間もなくのことでした。お堂の中の寝釈迦像をガラス戸越しに覗いただけのことでしたが、今回は公開中とあって、間近に拝観できました。
http://taakesan.asablo.jp/blog/2009/09/25/4598816


今でもこのお堂で百万遍念仏の行事が行われているそうです。この涅槃像はこうして河津沢田の人たちによって大切に守り継がれてきたことがわかります。
 


尚、この涅槃堂については下記のブログを参照下さい。詳しい説明が載っています。

http://blog.naoshi.main.jp/?eid=508

バリカン山直登2013/03/11


ジュウナイさんへの分かれ道に立って、バリカン山をふりさけ見れば、かがみ山なる第6号鉄塔に急に直登したくなりました。テッペン野郎のバリカン山(かがみ山)登頂記ハジマリ、ハジマリ!

バリカン山(かがみ山)


大日如来さんの立派なお堂の脇を上がり、第7号鉄塔の基部を左に見て尚も細い急坂を喘ぐと、左にミカン畑の石垣が何段にも次々と現れます。適当な所からこのミカン畑に入り、送電線直下まで行きたいところですが、ブッシュが酷くてそのまま道なりに実は送電線から逆に離れる方向に上がって行きます。
 


遂にミカン畑からヒノキ林の中に入ると、見覚えのある第7号鉄塔への黄色いガイド標柱が前方に見えてきました。ここで林縁を左に、つまり送電線直下を目指すことにします。
 


檜林の中に入れば比較的歩きやすいものです。人の歩いた跡とも、獣道とも思える跡を辿って楽に送電線直下までやってまいりました。下から見ればミカン畑の上にある雑木林帯の直ぐ上に出たのです。見上げれば、6号鉄塔が直ぐ上に眩しく君臨しています。



最近“バリカンを使った”と見えて、雑木を伐った跡がそれとすぐ分かり、歩きやすいところを選んで這い上がります。この辺りはイバラの山だったらしく、そこらじゅうにトゲの付いた枝木が横たわっていました。職員の方の作業はさぞ難渋したことでしょう。おや、ヤッキョウが落ちています。ここで2発撃ったのかな?
 


<鉄砲撃ちさん、使ったら回収したら?>

第6号鉄塔基部に立ったのは1年ぶりかな?今回はブッシュが払われて下界の見晴らしは抜群です。高度感も十分。パラグライダーに乗って舞い降りたい気分です。

 


<背後にはこの辺りでは一番高い山、434m峰がなつかしい>

バリカンのトレースを直上した後は壬生の庄に出て、平波ハイウエーを歩き帰宅しました。いつもよりだいぶ早い帰還となりましたが、汗は充分かきました。


ホルトの木がある杜2013/03/12


先週、三筋山から東側の白田林道に降りた際、大峰に取り付く前に大久保の大家のご当主からお話を聞く機会がありました。ごんげんさんの杜(もり)に手を入れているところでした。
 


この杜の町指定の天然記念物ホルトの木は樹高が25mにも及ぶ高木で、150200年の樹齢を誇ります。周りにはシイノキなど、やはり高木が林立して格上の杜を為しています。ご当主は、雑木は伐っても杜全体は後世に残しておきたいと話していました。


ホルトの木と熊野権現


この杜の中に祀られているのが入谷三権現の一つ、大久保の熊野権現です。いつもは閉じている社殿を今日は開けてあると聞いて、中を覗いてみました。6畳ほどの社殿の中にある祠は小祠としては今までに見たこともない荘厳な装飾が施されていました。
 


床はきれいに掃除が行き届いていて、近寄って拝見したいと思いましたが、山靴を履いていたため脱ぐのが億劫になり写真を撮っただけでした。折角、ご当主がおられたのに詳しいお話が聞けなかったのは悔いが残ります。
 


写真を拡大してみると、動物が彫刻されていますが、この世のものと思われない鬼神のようでもあり獅子のようでもあり、豚のようでも。でも、台座に掘られたネズミから全体にネズミをデフォルメしたような印象があります。それと、屋根にまたがったシシのような珍獣が強烈な印象を見る人に与えています。


社殿の中には小さな山車とその上に大太鼓が載っていました。ご当主に訊くと、現在は子どもの数が少なくなって実際には使われることがないと言います。また、俳句のような文字が書かれた横に細長い板が掛かっていましたが、ここで句会でも開かれたのでしょうか?相玉の波夜多麻和気神社で見たのと同じようなものです。入谷の進んだ文化が偲ばれます。

 


この杜の裏手はなだらかな傾斜地で昔はここに棚田があったとのこと。ところが、この脇を流れる志津摩川が氾濫して大岩がいくつも流出し、棚田は全滅したそうです。その後整地した広場にはその大岩が幾つもゴロゴロしていました。

 

当日は白田側に下りてウスバタの滝の場所を特定するという目的があったため、途中で辞することにしましたが、大久保の大家さんにまつわる歴史を垣間見る上で、千載一隅のチャンスを逃したような気が今しています。

上の山遺跡2013/03/13


東伊豆町埋蔵文化財包蔵地の指定がある「上の山」遺跡は向井海岸の上の台地にあります。きょうはこの上の山の台地でKさんから石器の話を聞く機会がありました。
 


実は埋蔵物はこの辺一帯で出土したのであって、埋蔵文化財に指定された証しの白柱はKさんの庭先に代表して立てられたものだと言いながら、畑の方へ案内してくれました。
 


海側の、今上がってきた細い道に隣接した畑です。瓦礫の処分で穴を掘ったところ、ザクザクと出て来たのが始まりで、当時はいろいろな人が出入りして出土した石器や土器を持ち去って行ったということでした。
 


お宅でも保管してある一部を見せていただきました。4片だけでしたが、すべて土器の破片でした。紋様のある土器で、東伊豆町のHPでは上の山の出土は縄文土器と石鏃となっています。

縄文土器のカケラ


たまたまKさんのお隣の畑に黒曜石の破片が、現に転がっていたのを頂いてきました。今でも探せば出てくるのですね。

黒曜石


背後が山で海を見下ろす高台は他にも近くに天神原があります。ここにも遺跡があるということですが、稲取の原住民は津波の恐さを既に知っていたのでしょうか?