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東浦路 大川~八幡野 補遺2013/07/01

ビランジュ


先日、大川~八幡野を歩いて、その間の東浦路を完全制覇するのは難しいとしても、未だ歩けそうな所があるとわかり、本日歩いてまいりました。すべては思惑通りにはいきませんでしたが、この辺で手を打つつもりです。
 


先ず、大川三島神社から向井山に上がるのに、最後の詰めを修正したこと。貯水場の先の石段を上がって分譲地内の道路に出た前回と違って、今回は石段の手前の左への道を辿り、もう一度ジグザグを重ねて分譲地内に出ました。前回よりかなり上部に出たのです。
 


二つ目は前回と同じように草崎上の旧国道に下りてから、直接草崎へ降りる道を今回思いがけず発見してこれを行き、草崎川を渡って再び旧国道の長田農園入口に出たこと。途中、「伊豆東浦路の下田街道」に紹介されているビランジュ(バクチノキ)を鑑賞することが出来たのはラッキーでした。

 

三つめは、清月院下から赤沢を渡って「ルネッサ赤沢」分譲地内に入り、河津三郎の血塚へ降りたこと。以上三点が前回に上乗せされて、より東浦路に近い道行きとなったことと思われます。明日から三回に分けて詳述したいと思っています。お付き合いのほどをお願い申し上げます。

ビランジュ

東浦路 大川~八幡野①2013/07/02


三島神社の前を通り、「グランプリエ伊豆」敷地内の巨大なヤマモモの木を見て更に緩やかな坂を上がって行くと、正面の山腹に日大のコンクリートの白い建物が見え、同時に前方に鉄橋が現れました。岬石さんの話ではここに水準点があるとのこと。今回の数ある宿題の一つです。そして確かに左道端に古めかしい水準点を確認いたしました。(A手前の黒〇)


水準点は元来、国道や主要な道路沿いにあると思っていましたが、東浦路という古道の脇に置かれたというのは一つの発見でした。また、ネットで調べると、ここの水準点は一等水準点のように思えます。少なくとも稲取の消防署の上の葬祭場前にある水準点より貫禄があります。
 


鉄橋を渡って左に沢沿いの道を辿ると、上から男性が一人下りてきました(B点)。70歳前後の紳士です。今朝はこの先の恒陽台入口までを往復してきたとのこと。このコースだと約一時間の散歩になり、ちょうど良い運動になるとか。最近不整脈が発見されてから、散歩が日課になったと言います。
 


この方は6年前に東京から移住してきたとか。すぐ下に未だ新しい立派な住宅があり、その家のご主人でした。静かな環境に恵まれていますが、余生を如何お過ごしなのでしょうか?きっと幸せな生活設計を立てておられることでしょう。いずれまたお会いしてお話を訊いてみたいものです。
 


お別れした後、貯水場で折り返し暫く進むと、左へ鋭角に曲がる道がずっと先方まで続いているのに気が付きました。鉄橋から上がった九十九折の道がそこへ続いているように見えます。前回はこれを見送って直進し、石段を上がって汐見崎の分譲地内に出たのでした。今回はこの九十九折の道に入りました。



この道はなかなか感じの好い道で、しかもそれがずっと上まで続いています。暫くしてコンクリート舗装の跡が所々に浮き出た道となり、横倒しになった鉄のゲートも見つかりました。どうやら上の分譲地からの車止めのようです。そしてこの先僅かで、右(D点)に広い道が分譲地内に繋がっていました。出たところ(E点)はロータリーのある場所でした。



分譲地内の山側の石垣にはアガパンサスがズラーッと列を為して咲いて見事でした。手前のアジサイはもはやその時を終えてアガパンサスに次を譲ったかに見えます。かくして向井山の分譲地に上がった私はゆっくりと次の標的に向います。草崎川沿いに東浦路を求めて下り、再び旧国道に出て長田農園入口に出るルートがそれです。


東浦路 大川~八幡野②2013/07/03

汐見崎の別荘地に上がった後、右への下りの道は左に大きくカーブし、更に右に曲がったところが変速十字路になっており、これより下りの道は旧国道(県道)に出てしまうので、正面の平らで幾分上り道を行きます。この辺は前回もスムースに通過したところです。 


やがてコンクリート舗装がなくなると山中に入り、個人の持ち物と思われる倉庫やショベルカーが置かれた広い場所に出ます。一部が畑になっています。ショベルカーで切り開かれたと思われる道が山側に2,3か所、見受けられました。
 


ここは海側を歩いて再び山中に入ると、登山道のような山道が平らに続き、あくまでも前方に踏み跡がある限りこれを追うと、ついに右に左に折れながらの下りの道になります。最後に金網が張られた道沿いに下りて旧国道に出ました。ここも前回下りた地点です。

草崎辺りの伊豆急行線


前回はこの旧国道を行き、望洋台分譲地の入り口の前を通って長田農園入口前もパスし、恒陽台分譲地へ向かったのでした。しかし、旧国道に降りた地点から東浦路は下の草崎川へ降りて川を渡ることになっています。そこでどこか降りられそうな場所がないか探してみることにしました。

<F汐見崎分譲地、H 、I 赤沢と伊豆急行線のV.ポイント、J 橋、L ビランジュ>

少し開けた所から伊豆急の線路とトンネルが見えました。それから間もなく、国道を大川方面へ向って50メートル位の地点に左斜めに下っている広い道が見つかりました。入口は車の進入を禁止するためか、ロープが張ってあります。一応他にもないかと、大川方面へ進むと、左に海が開ける眺めの良いところに来ました。


前方に赤沢温泉ホテル(?)の赤い建物が見えます。下を見ると断崖で現国道が僅かに覗いて見えます。ガケはコンクリートやモルタル吹き付けなどの補強工事がされてありました。ここは大川方面に右にカーブする地点で、優れたビューポイントです。近くにあった嵌めこみ盤に「昭和56年度災害査定53号道路災害復旧工事」と書かれ、昭和57年3月竣工となっていました。



気を良くして戻り、先ほどのロープ地点から下降を開始しました。最初は広い道で、ジグザグに下るにつれて先細りとなりますが、しっかりした道が続いています。やがて、畑が見えてきて作業小屋の脇を通り、暫くして左に折り返して小さな橋を渡ることになります。その先は地図どおりT字路に出て、迷うことなく上流に向って進みました。
 


グーグルの地図を見ると、この先に伊豆急線の手前に右に山の中へ入る道があることになっています。しばらく明瞭な道を行くと、沢へ下りて行く道を左に見ます。ここにあった立て看板には、「管理地 パトロール中 ゴミを捨てるな 伊豆急行株」とありました。草茫々でしたが、どうやら巡視路のようです。
 


さて、東浦路はどう続くのか探しながら上流に向って歩いて行くと、何と伊豆急の鉄橋下にまで来てしまいました。地図上では東浦路は伊豆急線の東側になければなりません。この道をそのまま遡上すれば、多分、県道に出てしまうので、もう一度戻って探します。
 


すると、鉄橋下から50メートルも行かない辺りに獣道のようなヤブがありました。少し踏み込んでみると、なんとか通れそうです。しかし竹藪がひどく、もとより藪は覚悟の上とは言っても、これが東浦路と確信が出来ないので、もう少し先ほどの橋まで戻って他を探してみることにしました。


そして結局、ここしかないと決めてヤブを強引突破し、“らしき道”を進んで行きました。すると、5メートルほども我慢した先に明瞭な道が続いているではありませんか!もう間違いはありません。進むにつれて道ははっきりと歩きやすくなってきました。
 


それから、道が左から右に鋭角に曲がる谷状の暗い場所に来て、異様に赤い肌の木に目が留まったのであります。「伊豆東浦路の下田街道」にあったビランジュ(バクチノキ)をとうとう見つけたのです。一見して樹皮がヒメシャラやナツツバキのようです。でも、ずいぶんな大木です。


木の根本に小さな石祠がありました。また、貯水槽があり、細い水道管が幾つも谷を下っていました。この下に田や畑があるのでしょうか。明瞭な道はこの先、小屋の脇を通って間もなく県道に出ました。しかも、20メートルくらい先に長田農園の入り口があり、ここまで地図どおりに、そして予定通りに歩けたことがわかりました。
 


ただし、長田農園への道に入って東浦路を行き、県道沿いに山道を辿ること間もなく舗装道路に出たところ、別荘の間を行く道は草茫々で、ついに戦意喪失。すぐ下の県道に出て、前回と同じように隣の恒陽台入口から別荘地内に入り、東浦路の続きを行くことになります。回避したわずか5分くらいの道は、いずれ冬枯れの季節にでもチャレンジすることにしましょう。


次回は清月院下からルネッサ赤沢別荘地内に上がり、河津三郎の血塚へ下る東浦路が目標です。


子どもたちの田植え2013/07/04

<オーナーから説明がありました>

私どもは宵っ張りなもので、朝は“ジェジェ!”を観ながら食事と新聞の時間がだいたい8時半~9時頃に終わります。きのうの朝、そんな時に徳造丸の会長さんから電話がかかってきました。「田植えが始まるヨ!小学校5年生の子どもたちが来るそうだヨ!」<<アア!シマッタ-、すっかり忘れてた!>>
 


実は、先日、前もって彼から2日か3日が予定されている旨、電話をもらっていたのです。何たる失策! 準備は何もしていないし、昨日は食料の買い出しをカミサンと約束していました。月曜日に膝を捻挫したとかで、火曜日の買い出しが水曜日に替わっていました。
 


それでも折角の知らせを受けて、とにかく田植えを見てこようと、バタバタ支度してタクシーで志津摩へ直行。何とか間に合いました。国道から下りてゆくところで、子どもたちが下の志津摩遊歩道から上がってくる姿が見えました。
 


志津摩の田圃は正しくは向田の田圃で、この辺りは志津摩川と坂下川を境にして東から志津摩、太田、向田の3地区に分かれています。田圃は向田だけで、他はハウスや畑となっています。また、稲取の水田は今では中の平と向田の2か所だけです。


ここの田植えはかなり遅く、5月のゴールデンウィークの育苗から始まって、草刈り、田起こし、水引き、畔塗り、というように6月いっぱいかかって準備を整えてゆきます。そして人手を頼んで田植えとなったのが昨日のことだったのです。今はミカン農家のサイド仕事ですので、人手を頼むことと併せて手が空いた時期となると、やはり遅くなるというのが理由でした。
 


2年前にこの向田の田圃をずっと追ったことがありましたが、子どもたちの参加があったのは去年からで、今回初めて撮影するチャンスを得ました。子どもたちは今学校で稲作の勉強をしているとのことで、実地に田植えを体験することはこの上ない学習となることでしょう。
 


ただ、ここの田植えは苗を肩口から田圃へ投げる方法をとっています。機械を使わない方法としては極めて合理的で省エネな田植えです。しかし、子どもたちにしてみれば、実際に田圃の中に入って苗を植え付ける体験もしてみたかったのではないでしょうか。
 


例えば、線路から南の田圃だけは通常どおり田圃の中に入って手植えをし、北側については投げ合い田植えにするとか。子どもたちは田圃に入って泥だらけになるのが好きな人種ですから、この点について来年は是非とも検討して欲しいと思っています。

動画があります

東浦路 大川~八幡野③2013/07/05

<D からルネッサ赤沢に入って F が血塚、G で県道に出る>

つづいて、恒陽台入口から分譲地内の道路を上がり、最初の左Uターン地点の右から東浦路に入ります。ここからは前回歩いたルートです。峠を越した辺りで石の道標を確認。「左下田、右やまみち」のあの道標です。そしてそこから5,6分で県道に出ました。道路脇に「磯崎インテリア」の家があり、その向かい斜めに清月院へ下りて行く道があります。

清月院前


ここも前回と同じように道なりに下り、伊豆急線の脇を降りて清月院前の道路に出ました。前回はこの道を左に坂を上がって県道に出たのでした。東浦路はこの道を右に下ります。そして直ぐガードの下を過ぎて左から右に回り込むと、左に暗い山道が続いています。これがルネッサ赤沢の敷地内に上がる東浦路です。入って直ぐ四国西国供養塔がありました。


この道を少し進んだ所から右に山腹を登るようになります。間もなく左に石段の道が分岐して、手摺りもずっと上の方へ延びていましたので、分譲地内へ続いているに違いないと判断。急な石段を上がって台地に出ました。出たところには大きな忠魂碑がありました。


ここから分譲地内を真っすぐに十字路を突き抜け、見覚えがある赤い矢印に従って進むと、血塚への入り口に到着。ここから血塚まで前回の逆を行くことになります。クモの巣と足元のヤブを払いながら難なく血塚に着きました。


河津三郎への挨拶は前回済んでますので、そのまま素通りします。再び分譲地内に入って坂を上がり、県道に出ました。「馬蹄石」もパスして、現国道手前から伊豆急線路に下りてこれを横断し、ガードをくぐって今回は左へ道なりに進みます。やがて坂のある十字路に出ました。


目についただけでも、ここには3か所に石像仏がありました。川端の賽の神様の隣にベンチがありましたので、少し休憩してから出発です。今来た道から直進方向に坂を上がって行きます。伊豆急線のガードの手前まで来ると、道端左に「右下田道」と彫られた大きな石の道標がありました。またガードをくぐった先の右手に三界万霊等やお地蔵さまなど幾つかの石仏がありました。

<J が「右下田道」の道標>

この後はそのまま真っすぐ行けば、八幡野の信号がある国道に出ます。その手前のT字路を右へ折れれば、伊豆高原駅まではもう一投足です。
 


修正版 「東浦路 大川から八幡野」の動画(スライドショー)を近日中にアップ予定