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唐沢を歩く2013/07/06


今朝は知人のK氏と唐沢地区の散歩に出ました。きのう稲取保育園、配水場~アスド会館へ向かう通りから唐沢のスーパー、セイジョーへ下る道があるとの情報を得て、居てもたってもいられなくなったからです。

 


先ず、以前に訪ねたことがある「秋葉さん」の祠まで行ってみることにしました。その鳥居の前の道が上に通じているのではないかと考えたからであります。現地に着いてから思い出したのは鳥居の前の道は20mくらい先で北側に折れ、間もなく排水溝を兼ねて蓋がされた状態のコンクリート舗装がなくなり、石ころを金網でまとめて水が通せるような形がずっと前方に続いていたことでした。
 



全体の地形はやはりこの堀が小さな谷となって上に向っています。2,3年前訪れた(去年でした!)ときは少し進みましたが、余りにもヤブが酷いので途中から引き返したのでした。勿論、いつかはと宿題にしていたのです。今回は下見のつもりですから、ヤブには突入せず引き上げました。
 


ところが、帰宅して落ち着いてから、当ブログに寄せてくれていた岬石さんのコメントを読んだら、その祠の上側に古い道があることがわかりました。沢沿いのヤブを行かなくて済むのです。改めてトライすることにしましょう。
 


その後、今度は上側の下降点を調べてみようと、ホテルジャパンの前を通ってアスドへの道を辿りました。すると、ガードレールが切れた所から下を覗くと、確かに古い道らしきが斜めに走っていて、この辺は樹林の足下が明るく比較的歩きやすいように見えました。ここはまたの日にやはり下からアタックすることにして、今日はアスド会館への道を進みました。
 



そして、「あわいの沢」を挟んだ広大な谷にミカン畑が広がる見晴らしの良い場所に来ました。「立ち入り禁止」の札があるゲートは今朝は開いています。遠慮がちに少し中に入って前方を見下ろすと、青々としたミカン畑などが谷を埋めて、その先にエンゼルリゾートの巨大マンションが頭をのぞかせ、左下にわずかに旧灯台に上がる“かなくそ坂”が垣間見えました。


その後、足は自然と谷へ谷へと向います。石垣にはカシワバアジサイやアブチロン(浮釣木)などが歓迎してくれているようです。コンクリート舗装された道をクネクネと下って農家のお宅の前を通過したら、期待どおりオーナーにお会いすることが出来ました。オバアチャン、ご主人、そしてお嫁さんと思われる3人の方が休憩をとっているところでした。
 


ミカンの枝の剪定作業をしていたもようです。伐った枝はまとめて道端に置かれています。みなさん優しい親切な方たちで、下の旧下田街道、即ち東浦路へ降りることを快く承諾して下さいました。オバアチャン、と言っても若々しい方なのですが、オジイサンがこの下で作業しているから道を聞くと良いとのお話です。
 


つまり、それだけ道が複雑に入り組んでいるらしいのです。ご主人は下のゲートが閉まっているから、戸締りをよろしくとのことでした。イノシシやシカの進入を防ぐためにゲートを設置したとのことでした。
 


私たちはこうして温かい声を背に、キチンと整備された道を下ってゆきました。段々畑の
垣根の役はツバキの木が負って列をなしています。よく見ると、幹に札がかかっていました。“太郎冠者”、“数寄屋侘”、“千歳菊”等々。ツバキの品種のようですね。



ふと見上げると、アスド会館が見えます。思わず浮かんだ昔の歌・・・。

“山ふところの 段々畑 麦踏みながら見た雲は

あれは浮雲 流れ雲 一畝踏んで ふりむけば

風にちぎれて 空ばかり”


ここは麦畑ではなく、雲が千切れるほど風は強くもありません。それでも郷愁を覚えるような“わが谷は緑なりき”です。
 


やがて、舗装が切れて、あまり歩かれていない道を追ってゆくと、ゲートがありました。ここはしっかりと戸締りして出て行きます。そこから間もなく、大きな堰堤の前を通ります。苔むした堰堤には「59治山復旧工事・・・伊豆農林事務所」の鋼板が取り付けられていました。この沢があの“あわいの沢”の上流と思われます。この辺はしかし涸れています。
 





そしてついに大外のゲートから、エンゼルと旧灯台それぞれから下りてくる道、“かなくそ坂”に躍り出ました。沢のほとりに“治山施行渓流”の白い角柱が立っていました。かくして、谷を通り抜けるという宿願をきょう図らずも達成することが出来ました。下りの道でも、オバアチャンが言う通り、かなり長く感じた行程でした。


稲取第2ハイウェー2013/07/08

稲取で森林浴出来る場所が見つかりました。

今朝の散歩の足はアニマルキングダム玄関からのスタートです。

アニマルキングダム


サファリ―側とプレイゾーン側とに分ける県道の道端にネジリバナが健気にまだ頑張っていました。また、ずっと上の林の中にシカがいるのに気が付きました。当方が木の間から覗いた格好で、良く見ると小鹿が耳を立ててじっとこちらの様子をうかがっています。口笛を吹いたら、耳をちょっと動かしました。逃げる気配はありません。暫く口笛と、相手の耳の動きを楽しんだ後、いい加減でそこを離れました。



細野高原方面への道に入って、もう少し坂を頑張るとこの先の天城入谷道までの間の最高点を通過します。ホッとしたところでネムノ木が迎えてくれました。しかし、残念ながら盛りを過ぎていました。「徒然草」の兼好法師は「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは」と言っていますが、それでもやっぱり、盛りの時を見たかったですね。もっとも、兼好さんの場合はサクラの興趣を論じているのですが。


更に進むと、三筋山から天城の稜線が見えるポイントを通過します。そして暫くまた下ると、左に植林を伐採したところにやって来ました。さあ、ここから森林浴が始まります。去年の11月から今年3月にかけて行われた「森林整備加速化 林業再生事業 間伐等業務委託」によるものです。(その記事はここ

 


今回、初めて中に入ります。幅広く造成された道は勿論未舗装ですが、間伐した木を運び出したりするのにこれで充分です。木の間から「中の平」の脇を走る天城入谷線が見えました。“間伐道”は3重にジグザグに付けられ、殆どすべて下の奥(ストップ)まで歩き、一周して戻りました。





<昔からの山道のようだ。少し追ったら、ずっと先へ通じていた>


戻る途中、この間伐道から“稲取第2ハイウェー”(アニマルキングダム~中の平)に直接出る山道を見つけました。これに入って登って行くと、どうやら昔からの道らしく、この整備事業が始まる前から気になっていた山道の入り口に出たのでした。


この間伐道歩きは、ヒノキやスギの木の香りがこの上なく新鮮で気分爽快にしてくれました。夏のこの時期は朝早い時刻か、陽が斜めになり始める頃が歩き時でしょう。目的が森林整備なのでしょうが、お隣、河津の鉢の山のように森林浴、アロマテラピー遊歩道として一般に開放してくれると有難いですね。
 


さて、そこからの下り坂では前方に天城の稜線を楽しめます。戸塚山と万三郎が特徴ある恰好で人を招いています。手前にサンゴ樹を入れた私のカメラポイントです。更に下って行くと、ユーカリの木と大峰山の組み合わせ。山焼きした跡は、今は草が随分成長しているはずです。ユーカリの木肌は良く見ると、はがれかかっています。下を歩けば、剥がれた皮をよく見かけます。きのうは愛宕山のアラコ線で今年もまた赤い花を咲かせていました。




この先は中の平の手前から一本松の独活峰を下り、天城入谷線に合流して入谷~一望閣と歩いて帰宅しました。途中、赤松神社の上の方で道路拡張工事が行われていました。どこまで工事するのか知りませんが、一部を拡張したところで、あまり意味がないと思うのですが。

 
細野高原の山菜取りやススキ狩りの観光客誘致で浮上してきた問題の解決のためでしたら、道路拡幅は単細胞的な策としか思えません。稲取の人たちが将来、結果的に自分で自分の首をくくることがないようにして欲しいものです。何でも観光、観光優先で物事を考えて良いのでしょうか?



ユーカリの花2013/07/09


七夕の日の朝、町道アラコで今年もまたユーカリの花が見事に咲きました。きのうゴルフ場の縁で見た背がいちだんと高いユーカリの木とは似ても似つかぬ樹相で、しかも低木ですが、花は間違いなくユーカリです。
 


これがフトモモ科の植物だと知って、ブラシノキを思い出しました。なるほど雄シベがたくさん突き出ているところが似ています。何よりも色が鮮やかで印象的です。
 


葉っぱには殺菌作用、解毒作用、鎮痛作用があるそうで、特に頭を明晰にして、集中力を高める効果があるというのは嬉しいですね。でも、老耄現象が顕著な昨今の老体には無理かなあ。


ユーカリの花


唐沢の廃道をゆく2013/07/10

唐沢の秋葉神社の上に古い道があって、集落から上の“迂回路”(配水場~新白田トンネル~白田)に出るとの情報をいただき、その後どうも気になって仕方なく、今朝歩いてまいりました。 


今日は梅雨明け後、一番の酷暑。樹林帯に入れば暑さも凌げるだろうと甘い考えでスタートしましたが、木陰の涼風は全くなく大汗をかいての苦行でした。でも、クモの巣や蚊に悩まされることがなかったのは幸いでした。

<Aポイント>

先日歩いたように唐沢に上がってナマコ壁の貯蔵小屋から集落に入ります。迂回路は正面に見える二等三角点がある山の山腹に付けられているはずです。結構、高度差があるなと思いながら緩やかな坂道をゆきます。


途中、ハウスの屋根に上がってビニールを剥いでいる年配の農家の方がいました。外したビニールを下で奥様らしいオバサンがその端を受け取って引っ張り込んでいます。きのうのニュースによると、ハウス内で人が死亡しています。ハウス内がかなりの温度になることは素人でもわかります。ここのハウスでも、酷暑になる前にビニールの撤去ができなかったものかと疑問に思いました。
 


それはともかく、ハシゴを降りてきたご主人に古い道を尋ねてみました。すると、今はもう通れないよ、とにべもない返事です。何故にこの道ができたか、実際に通ったことがあるのか、それは何の用で通ったのか、疑問をぶつける雰囲気ではなかったのが残念です。
 


取りあえず、秋葉さんの鳥居の前まで行き、その間に東側にあった2本の道のどれかを調べます。しかし、きょうは手前の道がゲートでロックされていましたので、その先の道に入ることにしました。ここは十字路になっていて、反対側の角に民家が建っています。

<B ポイント> 

幅広い草付きの道は樹林の中にあり、直線で50mくらいはあるでしょうか、その先は右に曲がって下り坂となり最後にストップとなります。本日の目的の道は草付きの道に入って間もなく左に分かれる道をゆきます。




 
歩かれてないとは言え、幅広くしっかりした道で、さすがに倒木などが多少邪魔をします。間もなく左に曲がると、その後は高度を少しずつ上げながらほぼ北西方向に進みます。急坂に喘がずに済んだのは何よりでした。
 


このほぼ直線の道が結構長く感じられだしたころ、道は小さな谷を巡って進行方向が西に変わりました。この辺に来ると道は細い山道です。この谷はいささかガレた谷で、多分、秋葉さんの西側にある取水堰(石塁)の源頭かと思われます。



<C ポイント>

ここを通過して間もなく、草茫々の前方にガードレールが現れました。ついに迂回路に出たのです。ナマコ壁から30分はかかったようです。振り返ってみると、ところどころボサがあったにしても、直ぐに歩きやすい山道に変わるというように、まったく迷う心配もないハイキング道のような道でした。
 



<D ポイント>

この道に入ってからはミカン畑などがありませんでしたので、周りに舗装道路が出来てからは、時にサカキやシキミなど採る以外にこの道を行くこともなく、自然と忘れられた廃道になったと思われます。でも、この道は“秋葉さん”とセットにして歩けば、良い散歩コースになると思います。また歩いてみたい“廃道”でした。




「みくりやのくらし」2013/07/11

「みくりやのくらし 米寿記念 総集編」 池谷貞一著

「みくりや」は幾つかの村が合併して出来た御殿場の町の名前で、その後、御殿場町と改称し、更にその後にも幾つかの村を併せて現在は御殿場市となっています。本書は植物を仕事の対象にした方がみくりやの伝説や習俗、民話、そして多分、著者自身の体験などをベースにして書き下ろした短編集です。

実は、最初の「炭焼きの娘」を読み進めながら、おやっ、と感じたものの、これは巻頭のご挨拶で、次からはみくりや地方の暮らしが事細かく紹介されるのだろうと思っていました。ところが全編読み終わって、文学書を読んだような感動を覚えました。今でもその余韻に浸っています。先ず巻頭のお話を紹介しましょう。

国勢調査員として若き主人公(多分、著者のことでしょう)が富士山の炭焼き小屋の調査にやってきました。そこで、目にしたのが若い娘と両親が懸命に炭焼きの仕事をしている姿でした。話を聞くと、福島の山奥から炭焼きの出稼ぎに来たのだという。主人公はお茶を勧められて、貧乏にどっぷりつかった炭焼きの生活の実態と、血と涙の人生を聞くことになります。

下調べの訪問と本調査の二日間で、貧乏を運命と甘んじて容認する炭焼きの娘と主人公は互いに憎からず想うようになります。しかし、雪が積もって山止めになる前にもう一度訪問することを約して別れ、そこで物語は終わります。結末が示されていないもどかしさが得もいえない哀感を誘います。

「湯治」では、主人公と女主人公杉子が仙石原のホテルで50年ぶりに再会する話です。未だお互いに若かった頃、初めて知り合ったのに、何日間かの湯治の間に気心を通わせるようになります。杉子が彼に言います。「私は・・・お嫁にもゆかないと決めてるの。・・・私、思い出が欲しいの。一生忘れないような思い出が・・・」

しかし、彼は近々徴兵検査を受ける身だった。そして、人並み外れたその体は甲種合格間違いなしと云われていた。甲種合格になれば即入隊、戦地へという時局だったのです。50年後に偶然再会して、杉子が独身を貫いたことを知ります。

「5月5日」では植物採集の目的で愛鷹山に登った主人公と炭焼きの手伝いで登ってきた若い女が鋸山の険しい場所で邂逅する。次の年、何の約束もなかったのに、二人はまた5月5日に同じ場所で出会う。彼はその日が自分の誕生日であると彼女に伝えてあった。

そしてその翌年の4月彼は徴兵検査に合格する。まもなく5月5日がやってくる、とある日に彼のもとに分厚い封書が届く。彼女の急死を知らせる手紙だった。この5月5日でようやく男女が一緒になれそうだったのが、土壇場で不可能になったのです。ここまで読み進めると読者はいい加減いたたまれなくなってまいります。

「草刈り」では二人の若い男女が草刈りをしながら、村の集会で議論したそれぞれの恋愛論の行く末を互いに確認しあいます。そして草刈りをしながら、「俺の恋愛の相手はお前だ」と主人公は初めて彼女に告白します。ここにきて漸く主人公の気持ちが吐露され、読者はホッとした気分になります。

そうして、「名主とその女房」に至ってついに二人は結ばれ、村のために湧水源を見つけてそこから水を引くという、後世に名を残すような大仕事を二人でやってのけるのです。ここに来て読者はやっと胸のつかえが取れた心境になります。

最後の「雑木林」は著者の真骨頂を伝えています。「雑木林は自然の調和がもっとも円滑に行われている。・・・植物も鳥も、昆虫も、茸もその中で共存共栄・相互扶助の営みがなされている。と、同時に穏やかに生存競争も行われつつ調和を保っている」と説きます。

永年、御厨の植物研究に身を捧げて得られた知識や知恵が、それぞれの物語の中にふんだんに登場してキラリと光るロマンを謳いあげた、そんな楽しい本です。ネットで調べたところ、著者の池谷貞一さんは既に鬼籍に入られているようです。

尚、本書は私家版ですが、御殿場市の加藤書店(電話番号 0550-82-0043)から取り寄せました。