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白浜神社に初詣 ― 2014/01/02
大腸ガンの手術 ― 2014/01/20
正月2日に孫たちと一緒に下田の白浜神社に初詣でしたのは、一つには8日に予定されていた大腸ガン手術の成功を願う意味がありました。その後、半月以上にも渡って当ブログをご無沙汰したことに対して、相変らず当ブログにご訪問いただいている皆様には心からお詫び申し上げる次第です。
1月18日(土)に退院して2日経ち、ようやくPCを操作する意欲も出てまいりました。そこで、思案した上、昨年12月16日のブログ「直腸の検査結果」で記しましたように、「私のメモ代わりとして、或いは経験のない方へのご参考例として」本日以後、ここに記録してまいりたいと思います。
皆様には、通常の「伊豆稲取便り」が発信できるまで暫くご辛抱いただきたいと思います。
1月6日(月)晴れ 11時20分病院着
手術前検査
1.
採血 2本
2.
心電図、肺活量測定
3.
直腸の患部位置確定検査 造影剤と空気注入をしながらのかなり念入りな検査
手術
肛門から15ミリ上の直腸を約20センチ切除する。これは患部の上にあるリンパx5を除去するため。
手術の問題点(リスク)
1.
腸管の縫合について約1割が不全の結果が出ている。この場合は再手術を行う。場合によっては小腸から直接便を排出する一時的な手術をし、縫合部の完治を待つ。
2.
ガン細胞のリンパ節転移 結果が出るまで2~3週間かかる
去年の内視鏡検査による腫瘍発見と主治医の画像診断の説明を聞きながら、あらためて自分がガン患者になったという現実を冷静に受け止めながらも、未だ信じられない心境でいる。
大腸がん手術 その2 ― 2014/01/21
1月7日(火)朝6時照明点燈。昨夜はピンポン・ピンポン・ピンポンが鳴りっぱなしで寝られなかった。相部屋の二人のナースコールだ。看護師がその都度見えて対処していた。手術後は私も世話になるのだろう。
07時30分 朝食。早くも、お粥(梅カツオのふりかけ)、味噌汁のみの限定食。
09時30分 温かいジュース
10時30分 今後の予定を聞く
11時 心エコー 仰向き、横向き等、約30分間の入念な検査。
11時半 お茶一杯
11時45分 食事 粥、お吸い物
13時30分 入浴
15時 間食(紅茶とクッキー1個)
16時30分 麻酔の専門医から直接手術時の説明を聴く。
開腹手術の場合は全身麻酔を行う。この場合、基本的に麻酔中は呼吸が止まった状態になる。そのためチューブを口から気管内に挿入し、人工呼吸器で呼吸を管理することになる。患者としてはここで完全にモルモットになるわけだ。
また、若い専門医は次のようなリスクも話してくれた。
麻酔は点滴から極めて短い時間で急激に深い睡眠状態を誘致するので、急激な変化に伴って神経等のバランスが乱れ、血圧や脈拍などに変動をきたすことがある。この際、致死的な不整脈や心停止、心筋梗塞や脳梗塞などが生じることがある。また、麻酔薬の筋弛緩作用によって血管内に血栓が出来、肺に運ばれて肺塞栓を発症することもあるという。
しかし、いずれも、事前の検査で各種の数値が基準内であれば、そのリスクは極めて少ないということだった。彼は私の場合、手術に耐えられる十分な体力を持ち合わせていることと、条件をクリアして万全であることを熱っぽく語ってくれた。
17時45分 下剤ニフレック(合計2リットル)を飲み始める。
18時 夕食 スープ一皿のみ
21時30分 ニフレック終了。この時点で排便は既に赤い水だけだった。
次にOS-1(水分補給剤)を飲み始める。合計2リットル。これは明日の手術の初めから最後まで体内の水分を維持するためのもので、明朝までに飲んでおかなければならない。
かくして眠れない手術前夜が過ぎていった。
07時30分 朝食。早くも、お粥(梅カツオのふりかけ)、味噌汁のみの限定食。
09時30分 温かいジュース
10時30分 今後の予定を聞く
11時 心エコー 仰向き、横向き等、約30分間の入念な検査。
11時半 お茶一杯
11時45分 食事 粥、お吸い物
13時30分 入浴
15時 間食(紅茶とクッキー1個)
16時30分 麻酔の専門医から直接手術時の説明を聴く。
開腹手術の場合は全身麻酔を行う。この場合、基本的に麻酔中は呼吸が止まった状態になる。そのためチューブを口から気管内に挿入し、人工呼吸器で呼吸を管理することになる。患者としてはここで完全にモルモットになるわけだ。
また、若い専門医は次のようなリスクも話してくれた。
麻酔は点滴から極めて短い時間で急激に深い睡眠状態を誘致するので、急激な変化に伴って神経等のバランスが乱れ、血圧や脈拍などに変動をきたすことがある。この際、致死的な不整脈や心停止、心筋梗塞や脳梗塞などが生じることがある。また、麻酔薬の筋弛緩作用によって血管内に血栓が出来、肺に運ばれて肺塞栓を発症することもあるという。
しかし、いずれも、事前の検査で各種の数値が基準内であれば、そのリスクは極めて少ないということだった。彼は私の場合、手術に耐えられる十分な体力を持ち合わせていることと、条件をクリアして万全であることを熱っぽく語ってくれた。
17時45分 下剤ニフレック(合計2リットル)を飲み始める。
18時 夕食 スープ一皿のみ
21時30分 ニフレック終了。この時点で排便は既に赤い水だけだった。
次にOS-1(水分補給剤)を飲み始める。合計2リットル。これは明日の手術の初めから最後まで体内の水分を維持するためのもので、明朝までに飲んでおかなければならない。
かくして眠れない手術前夜が過ぎていった。
大腸がん手術 その3 ― 2014/01/22
1月8日(水)OS-1(水分補給剤)は07時までに合計1000ミリ飲み終えた。
07時 血圧165 浣腸後2~3分で便通あり。ただし、殆ど水と鮮血。
07時15分 麻酔剤点滴用に左腕に針をセット。
08時00分 外は曇天だが気温は低くない。
08時30分 麻酔の先生来室、激励を受ける。執刀医とは10年来のコンビだそうだ。昨日の面談でも感じたが、あらゆる可能性を視野に入れてオペに臨んでいるところが素晴らしい。また、彼は過去の経験やデーターをも常に考慮しているという。
08時50分 主治医(執刀医)以下、麻酔専門医、看護師数人の回診あり。同部屋のMさんから激励を受ける。
09時50分 手術着に着替え、血栓予防のためにストッキングを履く。これはかなり強めにふくらはぎを締め付ける。そしていよいよ、いざ出陣!
09時55分 手術室では執刀医、助手、麻酔担当医、ナース4~5名が明るい声で迎えてくれた。直ちに、ナースがかぶっているのと同じ帽子をかぶり手術台に乗った。名前の確認後、心電図のシールを胸に3枚張り付け、血圧計を取り付ける。更に、体内の酸素濃度を測定するクリップを指先に装着。
10時00分 点滴チューブのテストで、左腕に前もってセットしておいた針が充分でないこと判明。この針は麻酔薬注入用で通常の点滴用より太く、手術後も各種点滴に使われる。麻酔担当医が再び針をセットするが、静脈を探して梃摺っていた。
10時10分 テストを終えて手術開始。先ず、マスクをあてがわれ、100パーセント酸素を吸入。リラックスしたところで麻酔開始。間もなく意識を失った。
13時50分 意識戻る。腹部に痛みと吐き気。すぐそばに女房殿の顔を見たら、急に涙が出て止まらなくなった。その後、記憶にはないが、体を俯けにしろとか言ってナースを困らせたらしい。体には膀胱からと腹部、そして点滴用に腕から、計3本のチューブが繋がれていた。
17時 再び目が覚めた時には女房殿の姿はなかった。その後も、2時間おきに目が覚め、何とも云えない焦燥感に捉われだした。多分、3本ものチューブを繋がれて自由を失い、ベッドに横になっているだけの閉塞状況にパニック症候群が襲い掛かって来たのだろう。しかし、長い長い夜をどうにかして耐えていかなければならない。
07時 血圧165 浣腸後2~3分で便通あり。ただし、殆ど水と鮮血。
07時15分 麻酔剤点滴用に左腕に針をセット。
08時00分 外は曇天だが気温は低くない。
08時30分 麻酔の先生来室、激励を受ける。執刀医とは10年来のコンビだそうだ。昨日の面談でも感じたが、あらゆる可能性を視野に入れてオペに臨んでいるところが素晴らしい。また、彼は過去の経験やデーターをも常に考慮しているという。
08時50分 主治医(執刀医)以下、麻酔専門医、看護師数人の回診あり。同部屋のMさんから激励を受ける。
09時50分 手術着に着替え、血栓予防のためにストッキングを履く。これはかなり強めにふくらはぎを締め付ける。そしていよいよ、いざ出陣!
09時55分 手術室では執刀医、助手、麻酔担当医、ナース4~5名が明るい声で迎えてくれた。直ちに、ナースがかぶっているのと同じ帽子をかぶり手術台に乗った。名前の確認後、心電図のシールを胸に3枚張り付け、血圧計を取り付ける。更に、体内の酸素濃度を測定するクリップを指先に装着。
10時00分 点滴チューブのテストで、左腕に前もってセットしておいた針が充分でないこと判明。この針は麻酔薬注入用で通常の点滴用より太く、手術後も各種点滴に使われる。麻酔担当医が再び針をセットするが、静脈を探して梃摺っていた。
10時10分 テストを終えて手術開始。先ず、マスクをあてがわれ、100パーセント酸素を吸入。リラックスしたところで麻酔開始。間もなく意識を失った。
13時50分 意識戻る。腹部に痛みと吐き気。すぐそばに女房殿の顔を見たら、急に涙が出て止まらなくなった。その後、記憶にはないが、体を俯けにしろとか言ってナースを困らせたらしい。体には膀胱からと腹部、そして点滴用に腕から、計3本のチューブが繋がれていた。
17時 再び目が覚めた時には女房殿の姿はなかった。その後も、2時間おきに目が覚め、何とも云えない焦燥感に捉われだした。多分、3本ものチューブを繋がれて自由を失い、ベッドに横になっているだけの閉塞状況にパニック症候群が襲い掛かって来たのだろう。しかし、長い長い夜をどうにかして耐えていかなければならない。
大腸がん手術 その4 ― 2014/01/23
1月9日(木)女房殿の話では、きのう12時半頃主治医に呼ばれ、切除した患部を見せられたという。やはり3センチぐらいの黒々したもので、5つの小さなリンパ節も付随していたとのこと。長さが20センチくらいで、全体に剥ぎ取った薄い皮のように見え、裏側は真っ白だったそうだ。
従って、手術は正味2時間くらいだったと思われる。その後、様子をみてHCUに移され、覚醒したところで対面となったのが14時ちょっと前。HCU(high care unit)とはICU(intensive care unit)程には機械装置を揃えてない部屋で、手術室から病室へ移る前に経過を観察するための目的で一時的に留め置かれる場所である。これは後でナースに訊いて初めて知った。
10時 HCUから自室(4人部屋)に戻る。孤独な部屋より仲間がいる部屋の方が心強い。ただしMさんは腎臓結石が小さいので今回は手術を見合わせることにしたそうだ。近々退院となる模様だ。
14時 手術着から寝間着に着替える。少々風邪気味。
15時 試しに廊下を一周してみた。少しふらつきがある。その後、早くもリハビリが始まり、理学療法士の指示で簡単に体を動かす。
19時 血糖値が238と高かったため、インシュリンを注射。また、患部が痛むので痛み止めの点滴を追加してもらう。これにてだいぶ楽になった。本日の血糖値は238、2時間後198、朝138、自室に戻って165。標準は120前後で、200を超えないようにする。
相変わらず、3本のチューブは付けたままで、点滴もずっと続いている。何かと煩わしいが、今晩は仲間と共に何とか夜を過ごせそうだ。
従って、手術は正味2時間くらいだったと思われる。その後、様子をみてHCUに移され、覚醒したところで対面となったのが14時ちょっと前。HCU(high care unit)とはICU(intensive care unit)程には機械装置を揃えてない部屋で、手術室から病室へ移る前に経過を観察するための目的で一時的に留め置かれる場所である。これは後でナースに訊いて初めて知った。
10時 HCUから自室(4人部屋)に戻る。孤独な部屋より仲間がいる部屋の方が心強い。ただしMさんは腎臓結石が小さいので今回は手術を見合わせることにしたそうだ。近々退院となる模様だ。
14時 手術着から寝間着に着替える。少々風邪気味。
15時 試しに廊下を一周してみた。少しふらつきがある。その後、早くもリハビリが始まり、理学療法士の指示で簡単に体を動かす。
19時 血糖値が238と高かったため、インシュリンを注射。また、患部が痛むので痛み止めの点滴を追加してもらう。これにてだいぶ楽になった。本日の血糖値は238、2時間後198、朝138、自室に戻って165。標準は120前後で、200を超えないようにする。
相変わらず、3本のチューブは付けたままで、点滴もずっと続いている。何かと煩わしいが、今晩は仲間と共に何とか夜を過ごせそうだ。
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