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農業2010/08/15

”我が谷は緑なりき”


「戦中と戦争直後は何も無い時代だった。食べるだけで精一杯だった。食べるのだって、この稲取では田圃が余り無かったから、米は買うしかなかった。白米などとても食べられるもんじゃなかった。米の飯はたいてい麦メシだったね」

「田圃には稲のあと、大麦をやった。これを飯の中に混ぜたもんだ。畑には小麦だね。輪作輪作で、とにかく作れるものはどんどん作った。アワ、ヒエ、モロコシ、なんでもやった」

「今は飽食の時代とか言って、まずいものには目もくれない。着るものでも何でも容易に手に入るようになった。ミカンも今は昔と違って高く引き取ってもらえない。そうなると、ミカン農家の子息は食べていけないから、外で仕事に就くことになる。サラリーマンだよ。結局、我々年寄りだけが残って、細々と百姓やるだけになる。うちでも息子と嫁は就職しているよ。百姓は俺の代で仕舞いにしていいからって、こっちから勧めたんだ」

「百姓やる人は田圃や畑をやめて、ハウス栽培を始めるようになった。ハウスで作ったカーネーションは質が良いという評判だ。今、ここの農家はハウスで生き残りをかけているように見える」

「百姓は田圃にしても、畑にしても、ミカン畑にしても、絶えずやることがあって手が抜けない。今、サヤエンドウをやってるが、一旦やりだしたらやることは一杯あるんだよ。ホラ、これはシシの足跡だ。こいつにやられると、根こそぎ食われてしまうから、頭が痛いよ」

「あれかね。あれはミカンの貯蔵小屋でね。こんなに厚い泥壁で造ったものだ。これだけ厚くすると、夏でも冬でも一定の温度になって、貯蔵に最適なんだ。ここに半年置いてから市場へ出すと、高く引き取ってもらえた。今じゃ使うこともなくなったがね」