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”我が谷”を登る2010/08/30


田の上には民家の裏に“熊ケ沢権現神社”があります。その民家の祖先が建てたものだと、大分前にそこのご婦人の方から聞きました。何代目だかに、神通力のあるオバアサンが神託を得て祈祷師的なことをしていたようです。今でも信ずる人たちが全国から定期的に集まってその結束を確認しているとか。

きょうはその神社から更に上に道が通じていないか探検してきました。田の上で運良く玄関先から出てきた人がいたので道を聞くと、途中からコンクリート舗装はなくなるものの細い道がクリーンセンターのほうへ通じていると言います。

神社の手前が二股になっており、迷わず右の道を上がって行くと、神社の先は薄暗い林が待ち構えていました。小さな石段があり、その上に石碑がこちらを向いています。石碑には、ここに“熊ケ沢権現神社”の社殿があった旨、書かれていました。昭和53年の大島近海地震で裏山が崩れたから少し下へ移転したとのことです。

熊ケ沢権現神社


さて、この先を覗いてみると、早くもコンクリートの道はなくなり、わずかに踏み跡が確認できるくらいで、どうやら涸れ沢を行く感じです。しかも、ものすごく大きな岩がゴロゴロしています。これではしっかりした足回り、服装など山登りの準備をしてないと危険です。

引き返して、今度は先ほどの二股を左に上がってみました。しっかりした舗装された道が上につづいています。なるほど、説明を聞いた通り、頭上を樹木が覆いかぶさってきました。「これより園地(私有地)につき進入禁止」の看板があります。この中を覗くと、立派な段々畑でした。写真のように野生動物からの保全処置がされています。


更にゆるやかな上りをゆくと、ついにコンクリート舗装は途切れて道は更に細くなっています。ただ、最近雑草刈りがされたようで、歩きやすくなっていました。わだちの跡もあります。


この先はもう杉林の中です。「稲取線7号に至る」と書かれた東電の黄色の標柱から山腹を行くようになりました。もうこの辺りは山登りの感じです。立ち木につかまったりしながら、とにかくかすかな道を追って上を目指します。


コンクリート舗装がなくなってから15分くらいが経って、ようやく比較的広い山道に出ました。多分これが先ほど教えてもらった上の権現神社(吾妻権現神社)から上がってきた道でしょう。


合流してから、更に右へ回り込むように山道がつづいています。この辺まで来ると、緩やかな上りがつづき、足元も、間もなくコンクリート舗装が現れました。そして、入谷からクリーンセンターへ走っている広い通りに出るのに左程時間はかかりませんでした。


合流地点は右にクリーンセンターへ下りる坂の手前僅か50メートルくらいのところでした。いつもここを通り過ぎるたびに、この道はどこへ通じているのかと思ったものです。

さあ、次回はあのバリカンで刈ったような跡をすっきりと見せる、送電線鉄塔のあるところまで行ってみるぞ!