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「中の平」の田圃2010/08/02

中の平の田圃


中の平の田圃


この暑いなか、無理することはないと山歩きを敬遠していたところ、今朝は雨模様の曇空です。さあ、これなら歩けると決めて、ただちに支度して出かけました。目指すは三筋山。テーマは中の平の田圃です。monma さんに折角教えていただいたのを、この目で確認して来ようというわけです。

河津に用事の女房殿を伊豆急稲取駅まで送り。私はそのまま「長坂」をゆきます。ペンションマスカレード前の急坂を上り庚申さんに到着。ここから入谷道を奥へ進みます。

山神社では中学生らしい子どもが十数人、境内の掃除をしていました。稲取の子どもたちが高校生を含めて、町内の掃除や空き缶拾いをよくしているのには感心します。

山神社の先の自販機前で休んでいると、オバサンに声をかけられました。暑いのに大変だね、というわけです。オバサンからこの辺りが大窪という字であることを教えてもらいました。なるほど、この西側に窪地のような地形が見られます。

さて、この先は「よかさか(横坂)」。あの、「よかさかの松」のお宅の脇を行きます。今回も見学はオアズケです。個人の庭の松ですから、なかなか寄りづらいところがあります。ま、いつか機会があるでしょう。

赤松神社に簡単に礼拝を済ませ、松林の道を行くことわずかで、待望の「中の平」に到着。すぐ目の前に水田が二枚ありました。周りは畑、そしてハウスです。それに比べると、ほんの申し訳程度の面積です。

それにしても、簡単に見つかって拍子抜けしたような気持ちでした。実は、先ほどの自販機のオバサンが、中の平で田圃をいくつかやっていることは聞いているが、どこにあるのかは分からない、と言うので、私は山のなかを探すことになるかも知れないと、内心構えていたのです。

そう言えば上に記念碑がありました。前にも読んだ記憶があります。それによると、八代善次、山田耕夫の両名が昭和四年一月から五年の八月にかけて開墾したということです。

この入谷道を私は三筋山の往き帰りに何回か歩いているというのに、あの志津摩の田圃と同じように、見落としていました。稲取には田圃が数少ないという事実を知りながら、実際の田圃を良く見据えていなかったということでしょうか。観念的にその事実を知るだけでなく、これとこれが実際に耕されている田圃である、ということを知ることは大事なことです。例えば、その田圃の脇に広大なハウスがあるのを見れば、その意味を考えることも出来るわけですから。

そんなことを考えながら、先ずはとにかく宿題を一つ果たしたつもりで、この先は三筋山へと向かいました。それから、もうひとつ。この上に貯水池が杉林の間からチラチラしているのを今回初めて目にしました。これも、monma さんのご教示によるものです。今まで全然気が付かなかったことです。

なお、この貯水地につきましては、三筋山直下の桃野湿原で、ある方が言っておられたのが気になりました。子どもの頃、あの貯水池には近づくなと教えられた。また、見張っている恐い人がいる、とも。この貯水池は農業用水で飲料水にしたことはないはずだそうです。

そこで、帰りに調べてみるため、ゴルフ場の縁に沿ってアニマルキングダム経由で帰ることにして、記念碑の前の道を下り更に幾分上りつめたところ、そこがゴルフ場の縁でした。この辺は貯水池のレベルとほぼ同じで、多分、この境をたどれば間もなく一見出来そうです。しかし、今回は深追いは止めにして次の機会をねらうことにしました。あるいは、直接、記念碑と民家の間から薮を分けてゆけば、成功するかも知れないのです。もちろん、この民家の方から話を聞かなければなりませんが。

そんなわけで、また宿題ができました、でも、楽しい宿題です。

記念碑

中の平の田圃



ヤマトナデシコ2010/08/03

ナデシコ


きのう細野高原を歩いたとき、芝原湿原の脇道でナデシコの花を見つけました。去年僅か一輪しか咲いていなかった同じ場所に、何と、ずらりと咲いているではありませんか!今年は開花時期にちょうど出遭ったということでしょうか。

ピンク色のかわいらしい花です。唐のカラナデシコに対してヤマトナデシコとも、また、カワラナデシコとも言うそうです。ご存知、秋の七草のひとつ。

高山植物でタカネナデシコがこのナデシコに似ています。一方、ミヤマナデシコは切れ込みが浅く、その“美人度”は少し落ちますね。その分、ピンク度の濃さで補っているみたい。


芝原湿原とナデシコ


みんながそろう日2010/08/05

「みんながそろう日」――モロッコの風のなかで  すずき出版
ヨーケ・ファン・レーウェン&マリカ・ブライン著 野坂悦子訳

本書(児童書)は1969年から数年間の、モロッコのある家族の物語です。6人兄弟の上から4番目の女の子、ジマの目を通して語られてゆきます。

この時代は国王の強権的、弾圧的な統治のもとで、モロッコの民衆にとって人権問題や社会問題が限りなく噴出した苦難の時代でした。そして、権利意識に芽生えた学生のデモに参加した兄が、また暫くの後、もう一人の兄までも当局に捕らえられたことから、それまで貧しいながらも平和だった家庭に危機が訪れます。

そうした苦難の時期にあって、幼いジマは夢と希望を失うことなく、ときには想像力を膨らませながら毎日を生きてゆきます。それは、読者にとって家族愛を感じながら読み進められる点で大きな救いになっています。

本書に書かれた事実と証言は現実のものだと、著者が前書きで述べています。これは“どこかの国”でも現実であったし、また、今も多くの国でかかえている現実でもあります。

エミール・クラウス




百日紅2010/08/06

サルスベリ


夏の花といえば百日紅(ひゃくじつこう)もその一つ。薄いピンク色が目に優しく、縮れた花びらを優雅に見せます。稲取でも街道筋や名のある坂道、そして、込み入った農道などにもよく咲いているのを見かけます。

百日紅は文字通り夏から秋にかけて長い間咲きつづけることから付いた名前のようですが、キーボード入力で“ひゃくじつこう”では百日紅と変換してくれませんで、別名の“さるすべり”と入力してようやく変換が可能です。その木肌が猿も滑りそうなほどツルツルであることは確かですが。

ところで、薄いピンク色の百日紅には白い花の木が寄り添っていたら、もっと存在感を増すことでしょうに、残念ながらこの白花の百日紅を稲取では見たことがありません。

同じ頃咲く夾竹桃の白い花はこちらに来て二回ほど見たことがあります。でも、赤花にしても白花にしても、緑豊かな稲取でも多く見かけません。生垣などに用いられていないからでしょうか。

この写真は今朝の散歩で撮ったもので、稲取ふれあいの森に上がって、クリーンセンターの前の「新グラウンド」脇に咲いていたものです。ピンク色が空の青に美しく、そして生き生きと映えていますね。

サルスベリ



志津摩の田圃2010/08/07

志津摩の田圃


志津摩の田圃

志津摩の田圃

志津摩の田圃の写真を撮ってきました。中の平の田圃と同じようにまだまだ苗が生長している段階です。線路を挟んで2枚の田があり、その先にハウスが写っています。

先日、志津摩にお住まいの方から、この田圃の持ち主の屋号が“うわんじょう(上丈)”だと教えてもらいました。いつか直接お話を聞かせてもらう機会があるかもしれません。

下の写真は最初の写真の最上部に写っている民家(実はみかんの貯蔵小屋だそうです――道理で屋根上にエア抜きが2本回っていました)の前から撮ったもので、ほぼ中央の青い部分が田圃です。

志津摩の田圃