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倶会一処 その42023/08/26

センニンソウ
(四)
そしてその後、彼が何時の間にか再入院したのを知った。私はいよいよ抗がん剤との闘いが始まるのだなと漠然と考えるだけだった。ただ、「生きていてくれ、どんなに苦しくとも、生きてくれ!」と心の中で叫んだのだった。彼との付き合いはだいたい他の3人とも同じように殆ど無かったし、山の会結成後も。それぞれの人間性にまで踏み込むことはしなかった。山の中で冗談を言い合い、自然の中に融け込んで遊ぶだけで十分だった。
ところが、7月も最後の週になって墓場へ案内してくれた仲間から電話があった。彼の葬式一切が済んだという報せだった。先週の土曜日に亡くなり、その報を受けた管理人から連絡をもらったという。あまりにも急な報せだったので、もうひとりの富士宮から来た仲間と二人だけで通夜を行い、翌日、荼毘に付したとのこと。連絡をくれた仲間は「あまりにも急だったから」と強調していた。
私はその一切を知って、“しまったー!”と、取り返しのつかない思いに天を仰いだ。彼にはまだ十分な時間がある。たとえ末期ガンだったとしても、抗がん剤の苦しさに耐えてさえくれれば彼とまた話が出来る。彼とはどこか共通の話が出来るかもしれないと感じていたのである。しかし、彼は何を急いだか先に逝ってしまった。
どうやら、最初の入退院後、あれほど頻繁に車を動かしていたのは自ら葬儀一切の手順を一人でまとめ上げる為だったようだ。最終的には同じ町の弁護士に全てを委ね、見事な終末処理を成し遂げてあの世へと旅立って行った。彼に近しい仲間の一人から、彼には身寄りがいないと聞かされた。離婚した妻との間に娘が一人いるが、離婚と同時に連絡が途絶えたということだった。従って彼は天涯孤独の身だったのだ。今はもう、あのニコニコ顔でこの世への未練をすっぱりと断ち切り、潔くあの世へ向かったと信じたい。そして「倶会一処」での冥福を心から祈りたいと思う。 合掌!

倶会一処 その32023/08/25

夕月とともに 伊豆の島々
(三)
その後、半月ほどしてから彼の姿が見えなくなって幾日かが経った。インプラント埋め込みで何か問題があったのかと、心配になった私は彼の携帯に電話してみた。すると彼は今病院にいるという。「インプラントのことはどうでもよいことで、実は肺ガンが見つかって沼津のガンセンターに入院している」と聞き、私はあの時のある種の不安が的中したことを悟った。彼はタバコの愛好家だった。ただ、最近の彼の嗜好は普通の紙巻ではなく、今はやりの電子タバコだった。しかし、この電子タバコも肺がんのリスクがゼロという訳ではない。テレビの特集番組でその実態を私は理解していた。それに多分、電子タバコを愛好している誰しもそうなのだが過去には紙巻タバコを吸っていたはずだ。とにかく、面会にゆくからというと、コロナウイルスで今は無理。病院側から面会できないと云われているとの返事。そうか時期が悪かった。さもありなん、退院を待つしかなかった。

それから3週間が経って、彼のベンツが頻繁に出入りしているのを見て退院したんだなと、私は直感した。そこで彼の部屋を訪ねようと準備していたある日、彼と風呂場で出会ったのだった。そしてその場で病状がステージ4であることを彼の口から聞かされた。ステージ4は確率からすればその先に末期ガンを連想させる。実は、彼の病状を聞いてから間もなく、新聞に最近のがん治療の最先端という記事が載っていたのを読み、これは参考になると思って、かいつまんで彼に話した。ガンのゲノム治療による最適な治療方法に道が開けているという情報だった。つまり、肺ガンといってもDNA上では必ずしも同じ種類のものではない。その分析によってこれまで蓄積した膨大なデーターからその種類に適合した治療法を探し出すということ。肺ガンに一般的な抗がん剤を適用するのではなく、個々のDNAデーターの中から変異遺伝子を見つけ、それに標的を絞って抗がん剤を投薬するという極めて合理的な手法である。この手法によって実際に延命出来た人が徐々に増えているらしい。ただし、ゲノム治療のための検査を受けている人がまだまだ多くないという。多くの患者に接してきたある医師が「自分に使える薬があるのを知らないまま亡くなるのを減らしたい」と広くその方面で活動していると紹介されていたが、ガン治療の現場ではいろいろと問題があるようだ。
しかし彼は、「俺は若い。ガンに負けるわけがない。医者を信頼している。すべては医者に任せてある。医者の治療方針に順うだけだ」とニコニコ顔で言うのだった。その顔にはIT業界でもまれてきた聡明さと自信にあふれた表情が現れていた。私は彼のある種の決意ともとれる発言を聞いて返す言葉が無かった。別れ際に、「肺ガンのことは誰にも言わないで欲しい」とクギをさされた。

倶会一処 その22023/08/24

(二)
私が彼の顔を最後に見てから今は2カ月も経っている。懐かしい彼の名前(刻印)を前にして、その面影とともに漸く“会えた”のだった。“裸の付き合い”がやっと出来たのに、“その日”が最後のお別れの日だったとは。あの日、浴場に彼はいつになく遅い時間に現れた。実際には私のほうが後から入浴したのだったが、私はいつもの時間だった。彼は逆にいつも早い時刻に入浴していた。
私がカランの前で体に石鹸を塗りたくっていたとき、彼は近づいてきて突然私の左足のふくらはぎに手を当てた。そうして言った。「この強さがあなたを支えているんだね」と。仲間内では山男で通っている私だ。山歩きで肝心な所では私がリーダーシップを取っていた。彼は丹沢の山歩きくらいは幾度か経験している人だった。他にも、秩父や奥秩父を歩き廻っていた前述の仲間の一人や、学生時代、山岳部に所属し、あのカニ族の経験がある若手、そして富士宮に自宅があった建築家は富士山のまわり、特に愛鷹山などを何度も歩いており、生きものや植物に詳しかった。
この4人と私との5人でグループを作って山歩きを始めたのは、そう古いことではない。一昨年と昨年で29回、そして今年3月1日に暫くぶりで歩いたのが最後となった。勿論その時がグループ最後の山行になろうとは誰も思ってもみなかった。その日、山行後の軽い打上げをカフェで済ませた後、散会してから彼とエレベーター内に二人きりになったとき、彼は暫くの間、山行きはお休みすると突然言い出した。実は近く歯の治療をすることになったからだという。思い切って歯をすべて抜いてインプラントに入れ替えるのだと。随分豪勢な話である。一本数万円もするインプラントなのだ。しかし、その話を聞いて少しだけ奇異な感じがしたのはすべての歯を埋め込むのに年齢からして無理なのではないかという疑問だった。彼は68才である。でも、財産家の彼のことだ。医師とも相談の上だからと聞いて私の不安はすぐ消えた。

倶会一処2023/08/23

(一)

それは「倶会一処(くえいっしょ)」(ともにひと処に会す)と刻まれた堂々たるモニュメントを頭に頂いていた。期待した通り、そこに彼の名前が刻まれていた。並んだ名前の一番右端の真新しい刻印だった。私は「ああ、やっと会えた」と思った。何故なら、先月、仲間の一人が案内してくれた時は彼の名前が未だ刻印されてなかったからだ。しかも、今朝は場所がこことわかって、立て込んだ墓地の中を確かに迷うことなく辿りついていたはずなのに、彼の名前を見つけることが出来ず、一度入口まで戻って石段を上り直し同じ石板にやっと見つけたのだった。最初見落としたのには理由があった。仲間が案内してくれた日には未だ刻印されてないのを承知のうえで参上したのであって、その後、黒い大きな一枚の御影石に小さな名前が並んでいるという間違ったイメージが、どういうわけか私の脳裏に定着していたのだった。花束を供えてから、般若心経を一通りつぶやいて墓前から退いた。



夏祭り2023/07/12

午後5時を過ぎて陽が沈んだところで30分ばかりの散歩に出ました。天王さんの大鳥居は注連縄が新しく見えたのは近く始まる夏祭りのせいか?いや、注連縄は正月に新しく用意されるのでは?・・・などと自問しながら大川端の御仮屋前に来ました。駐車場には車が数台あって未だ御仮屋に手を付けてはいません。明日かな?

でも、東区の御仮屋のほうは既に夕方から始まったようで、人声が飛び交うのとカーン・コーンと作業の音が聞こえて来たそうです。

いずれにしろ、コロナの新しい波がジワジワと寄せてきているようです。人が集まる場所ではマスクの着用をお忘れなく。