精霊流し ― 2010/08/16
一望閣から田の上へつづく農道中川線は大川にかかる橋を渡ります。その橋の下流側に“お団子”が供えられているのに今朝の散歩で気が付きました。仏様にお供えするあの小さな団子の幾つかです。他にお菓子などが添えられていました。
お団子が二皿分別々にありましたので、多分、二軒でお供えしたものと思われます。傍にはそれぞれ線香の燃え残りがありました。どうやら、きのうの13日の夕方にでも精霊の“送り”をしたものと思われます。
私の実家のある三浦半島の横須賀ではこの“送り”を灯篭流しと呼んでいます。近くの山のなかの小さな池に、笹で造った小さな舟の帆を紙にして浮かばせたような記憶がかすかにありますが、これは定かではありません。何かの劇画のうろ覚えかも知れません。
お盆には、どこの家でも同じように、家の中は仏壇が飾られて線香の煙が漂い、それらしい提灯が二つ明かりを点してお盆のムードを盛り上げていました。仏壇の両側に裏山から切ってきた笹竹を立て、それぞれに鬼灯(ほおずき)を幾本も垂らして飾ります。そして仏前にはあのお団子や賽の目に切ったナスなどのお供えがありました。
ただ、この時期になると必ず思い出すことがあります。小学生から中学生の頃、私は人指し指に大きなイボがあり、これがなかなか取れなかったことがありました。これは冬になると、しもやけか何かで割れて血が出たりして鬱陶しいものでした。
ある年のお盆にそのナスの汁を患部に擦り付けるとイボは取れると云われ、半信半疑のまま、とにかく付けてみましたら、何と、何日目かに小さくなり始め、仕舞いに取れて無くなったのです。
私としては、ちょうどその頃から直り始めていたので、お盆にナスの汁をつけたのはそのきっかけに過ぎないと強がりを言っていたものです。でも、ナスの成分にイボを治すものが含まれていたのかもしれませんし、“此岸(しがん)”に戻ってきた先祖様(仏様)が治してくれたのかも知れません。
お盆の終わりに祖先の霊を送る灯篭流しは送り火の一種なのでしょうが、ここ稲取では提灯で飾りつけた漁船に初盆を迎えた故人の家族が乗船して、波止場の外海で何かを流すようです。土地の人はこれを精霊流しと呼んでいます。
きょう夕方の六時ごろから市場で法要があり、七時頃に船が二艘港内を何周かしてから堤防の外へ出て行きました。暗くなった稲取漁港を、船に飾り付けた提灯の灯があたかも流し舟のように、しめやかに進んで行きました。
私たちの子どもの頃はお盆が過ぎると海は荒れ始め、午後には夕立が決まってありました。そろそろヒグラシがカナカナと鳴き始め、ツクツクボウシもオーシンツクツクと云ってモウイイヨウスと夏の終わりを予告します。秋はもうそこまで来ているのでしょう。
コメント
_ monma ― 2010/08/20 00:02
_ inatoridayori ― 2010/08/20 14:06
また、灯篭流しの漁船に家族は乗らないとのご指摘いただきました。汗顔の至りです。市場での集まりは当然ながら法要の厳粛な営みがありましたので、近寄りがたいこともあって、想像で書いてしまいました。
「灯篭の素材は水に溶ける紙が使われている」とのお話には感じ入りました。船の上から海に空き缶やタバコの吸殻を放り投げたりする人を度々見ていますが、特に漁師は自分の職場を汚すべきではないといつも思います。
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漁船での灯篭流しがいつごろから行われているのかは知りませんが、船に乗せられるのは、故人の名前を書いた灯篭だけで家族は乗りません。灯篭は港の外で海に流されます。ちなみに、灯篭の素材は水に溶ける紙が使われているとのことです。