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茶の平遺跡2010/10/16


稲取には各所に古代の遺跡があります。それがこんな山の中と思われるところにあって最初は驚かされました。でも、全体的に見ると、その部分が平らな台地だったり、海にも近かったりして、なるほど合理的な場所を選んだものだなと感心させられます。

町の史跡を始めて見たのは細野高原を訪れたときでした。山菜採り受付所の手前の細野遺跡がそれです。縄文土器や弥生石器、石族が発掘された旨、標柱に記されていました。但し、それらしき発掘の跡は見当たりませんでした。

その後、白田や見高の台地にも同じように発掘調査がなされた場所がありました。そして、今回、山の中に茶の平遺跡と書かれた標柱を見つけました。

飯盛山の山神社から「見高入谷高原温泉」に通じる農免道路の途中に四等三角点の設置された高台があります。ここから海岸に向かって農道がつづいており、途中、ちょうど高台で海への見通しの良い場所があって、そこには大きなハウスが立っていました。茶の平遺跡はその横にありました。

この道は以前にも2回ほど通ったことがあるのに、気が付かなかったのはこの辺りが寂しい山の中だったせいで、急いで通り過ぎたからでしょう。位置からすると、板取窪の北寄りの裏山辺りです。志津摩の海岸に下りて海の幸を求めるのも容易な場所だったと思われます。

きょうはカメラを持参しなかったのが悔やまれます。でも、またいつか機会があるでしょう。




風船ダム2010/10/17

ホトトギス


曇り空にときどき日が差して風も穏やかな好日、久しぶりに稲生沢川沿いを歩いてみました。稲梓駅で下車し蓮台寺まで歩くコースは私たちのお気に入りとなっています。

先ずはホトトギス。野鳥の不如帰ではなく、野草の杜鵑のお話です。去年、稲梓駅の急な坂を下ったところの石垣に一つだけ咲いていたのを見つけました。


今年は残念ながら、同じ場所には咲いていなかったものの、巨大な陸橋の下を流れる川を渡って、川沿いの道を少し進んだ先の山のガケに、何と数個の花を女房殿が見つけました。自然のままの山野の花そのものです。また一つ、稲梓の“見どころ”を見つけた思いです。


そしてもう一つは“フウセンダム”です。今日は日曜日のせいか、稲生沢川で鮎釣りをする人の姿が各所に見られました。落合の集落では“おとり”と書いた看板を立てて鮎の稚魚を売るオジサンもいました。私たちを見かけて、親切に道案内までしてくれます。


オジサンに勧められた通り稲生沢川に沿って下り、旧志度橋の上で、今度はウォーキングしているオジサンから橋の下の“フウセンダム”の話を聞きました。


50メートルはあろうかという川幅に、横に細長い風船を渡して川を堰きとめているのです。水量が乏しくなったら風船をしぼませて水を流し、堰きとめる場合は、空気を注入して風船を膨らませるわけです。多分、風船が浮き上がらないような工夫がなされているのでしょう。今は膨らんだ風船がダムの役目を立派に果たしていました。

道中の看板で、この辺が“河内”地区だと知りました。河内の人たちの優しさ、親切さが心に沁みた一日でした。

風船ダム



稲生沢川こぼれ話2010/10/18

稲梓駅から蓮台寺へと歩いたきのうのこぼれ話。

ショイビク

駅の近くで畑に入っているオバアサンに声をかけました。緑の葉っぱを大きく広げているのは白菜だと言います。柔らかそうで、見るからにおいしそう。かたわらの“ショイビク”にはこの葉っぱが一杯詰め込まれていました。ショイビクの周りには粋な生地が巻いてあってなかなかお洒落なオバアチャンです。

満昌寺の前で松の木を剪定しているオジイサン。話しているうちに去年この先の旧志度橋でお会いした方だと分かりました。この河内地区の諏訪大祭は先日終わったばかりだそうです。去年は街角のあちこちに祭りを知らせる造花が飾られていました。

このお宅の屋号は万昌寺だそうで、現在、住職のいない満昌寺のゆかりだろうと想像されます。今はこの先の向陽院の檀家だと言うことでした。庭先にアブチロン(浮釣木)がたくさん咲いていました。
 

稲生沢川沿いの遊歩道と志度橋風船ダム 

そして、お地蔵さま 

昼食は近くのコンビニで買った弁当を川岸で開きました。釣り人を眺めながらの食事です。食後はHCで食糧用の計りやその他もろもろを買い、最後に河内温泉金谷旅館で千人風呂を楽しみました。


ハカリ2010/10/19


昔、電算機部品の入出庫業務の現場を2年間経験したことがあって、今でもパッキングには興味があり、自信もあります。

このほどエアメールで食品等のこまごまとした物を送ることになり、久しぶりにパッキングをしてみました。料金が一番安い2kg以内の小形包装物(SAL便)で送ります。

前回はハカリがなかったので、出来上がった小包を持って1階の大浴場まで行き、そこにある体重計で量りました。まさかそこで中身を出し入れするわけにはゆかないので、結局、大浴場と自室を3回往復してようやく制限内に収められたという笑えない話。

そのあとも、郵便局で計量の結果が出るまでは心配でしたが、さいわい誤差は殆どなくパッキングをやり直す面倒は避けられました。体重計でも2キロぐらいの計量がほぼ正確に出来るというのは驚きですね。ですから、置き場所に困るからと、引越しの際に体重計を処分してきたのが今は悔やまれてなりません。

今回は前もって食品用のハカリを購入しておきましたので、数量を調節したり個々の余分な包装を外したりと、ある意味で遊び心で作業が出来たのは幸せでした。ハカリの目盛を一喜一憂して見守るのは体重を量るときだけではないですね。



お絵かきさん2010/10/20

コスモス


私は絵を描くのが子どもの頃から苦手で、今でも、例えばイラストなどもうまく描けません。うまく描ければホームページなどに使えて重宝するのに。子どもの頃にもう少し絵心を育てるべきだったと悔やんでも、今更どうにもなりません。

どうにもならないので、それではと絵の鑑賞のほうにまわるとして、これまであちこちの美術館には足を運びました。上野のいくつかの美術館へ特別展があると、よく女房殿と一緒に出向いたものです。そのほか千葉、渋谷、横浜、茨城の美術館、当地伊豆へ来てからも、池田20世紀美術館や上原近代美術館にも何度か通っています。

ですから、絵を描く人はとんでもない能力をもっているんだなと尊敬しますね。考えてみると、絵の基本は対象を良く見ることにあるのは先ず間違いないでしょう。見た通りのものを写実するか、対象から得たイマジネーションを絵にするかなどは基本が出来てからの話だと思います。

絵を良くする人はこの基本の上に立ってものを見る目を養ってきたわけですから、ものの本質やものごとの真髄にも鋭い目を持っていると考えられます。優れた画家に優れた批評家、世の鋭い警鐘家が多いのはそのためだと思います。

稲取漁港では特に市場前にずらりと並ぶ漁船が題材になるようで、若い人から年配者までグループでキャンバスに向かっている人たちを時々目にします。今日も久しぶりに数人の“お絵かきさん”の姿がありました。