清水ッ川の水神様 ― 2010/10/01
一昨日、三筋山からの帰途、“手打ちソバ・ウドンコウヤ”の向かいの旧道で年配の方にお話を聞く機会がありました。近くに立ち木に囲まれた立派な祠があって、その脇のベンチで休んでおられました。
ここは熱海の来宮大明神が河津の来宮神社まで‘行幸’したときに、立ち寄って休憩した場所だそうです。地図を見ると、白田の来宮神社と河津のそれとのちょうど中間に位置します。
そんな話のなかで、“清水ッ川の湧水”について尋ねたところ、今でも湧き出ているとのこと。場所は“喫茶ミルク”の裏だそうです。
早速、きょうの散歩で探してまいりました。“喫茶ミルク”の脇の坂を上って、左2件目の家の裏の細い空き地に入って行くと、ありました、ありました!拍子抜けがするくらい簡単に探し当てられたのです。
この場所なら、志津摩海岸から苦もなく上がってこれます。先日見た国道の海側下へと流れている水とも繋がります。
さらさらと、水神様の祠の下に石の間から水が流れ落ちていました。手を浸すと冷たい感触がありました。伊豆急の工事が始まる前はもっと流量があったのでしょうね。何しろこの水が移り住んできたばかりの水下ご先祖さまの貴重な飲み水、生活用水だったそうですから。
先日、志津摩のバス停のがけ上あたりで見た石神さまは“清水ッ川”の水神様ではなかったことがわかりました。“訂正してお詫び申し上げ”ねばならないところです。
あれは個人の家のお墓だったのかも。金指さんの「風土記」によれば、昭和40年代まで入谷地区では殆どが家の近くや畑の回りに土葬したそうですから、水下でも今はミカン畑となっている畑の片隅にお墓があってもおかしくないと思われます。
今日は立派な水神様にお目にかかれて幸せでした。
入谷の三権現 ― 2010/10/02
稲取には五つの神社があって、毎年の夏祭りはそれぞれの神社と結びついて行われています。他にも蛭子神社を始め大小様々な神社があり、土地の人々と密接なつながりを持っています。たまたま訪れてみると、きれいに掃除され花や供え物がしてあるのが常です。
ところで、田町地区に吾妻権現神社と熊が沢権現神社の二つがあることは承知していましたが、例の「風土記」を読んで入谷の三権現というのがあると分かって、訪ねてみたくなりました。
それが今日たまたま散歩で入谷道を歩いていたところ、字堰堀で年配の方から案内していただく幸運に恵まれました。“堰の沢の大家”さんが守る三島権現がそれです。
細い路地に入り、小さな“堰の沢”を渡って更に奥へ入ると、小高いところに鳥居のある大きな祠がありました。建てられたばかりのような立派なお堂です。銅版で葺かれた屋根が倒木によって傷んだために改築されたのだそうです。
扉を開けると、中には一見して古くからのものと分かる黒光りのした小さな祠がありました。観音扉が付いていて、中にご本尊が安置されていることを思わせます。残念ながら、それを質問するところまで私の気が回りませんでした。
栄昌院の手前、消防センター第五分団器具置き場あたりから左寄り前方に、その辺では一番高い森が見えます。実はこの権現様はその森にあったといいます。ただ、度々の地崩れで移転を余儀なくされ、少し離れて更に上部の現在地に安置されたということでした。
今月の17日に氏子が集まって祭礼をとり行うというのは、“山田の大家”さんの権現様の祭日と同じです。それから、もう一軒の“大久保の大家”さんが守る権現様の祭日はあさっての4日だそうです。
そして、その“大久保の大家”さんの権現様はあの熊野権現だと教えていただきました。町の天然記念物に指定されているホルトの木に囲まれた神社です。山神社先の農協倉庫から下の道を行き、志津摩川の橋を渡って大峰(おおみよ)へ向かう途中に一度立ち寄って参拝したことがありました。
入谷に三権現ありと知ったときに先ず頭に浮かんだのが、稲取ふれあいの森へ向かうときにいつも気になっていた“山田の大家”さんの裏山の鳥居です。今日それが山田の権現様のものであることがわかりました。いずれ近いうちに訪ねてみるつもりです。
それにしても、入谷に入植した三軒がそろって氏神様を所有することになったというのは豪勢な話です。それぞれ子孫が繁栄し氏族を形成していったということでしょうが、この山のなかで並大抵な努力では成し遂げられなかったことでしょう。あらためて敬意を表したいと思います。
浅間山へ散歩 ― 2010/10/03
久しぶりに浅間山に登りました。ペットボトルの飲料水とカメラを持っただけの散歩気分です。最初に登ったときは上着と食糧もザックに入れ、“万全の装備”をして出かけたものです。今はもう我が庭の気分で歩けます。
きょうは少し風があったものの、午前中は快晴で見晴らしもGood!風車の丘には数台の車が上がってきていました。箒木山、万二郎、万三郎の稜線がくっきりとして、今日は望遠レンズでグッと引き寄せたかのようです。ただし、巨大な化け物、風車が邪魔して興ざめです。
例によって、頂上手前の大岩に囲まれた祠に挨拶してから山頂へ。何時の間にか山頂の祠の北側に鉄塔が一本また加わりました。以前、AUの中継塔を立てているときに来合わせたことがあります。あれからまた別のケイタイ会社のものが立ったようです。浅間山もそのうちに針の山のようになってしまうのでは。一つの鉄塔を各社で共有出来ないものなのでしょうか?
三筋山のフライトエリアの上空にパラグライダーが浮かびあがりました。この浅間山の東斜面もフライイングエリアになっています。特に白田側の谷が深く、天城山の絶好の見晴台です。次は弁当を広げてゆっくりするのもいいな。
生きもの稲取紀行 ― 2010/10/04
朝、新聞を取りに出ると、風の強い日などには廊下に何匹もの虫がうごめいているのに驚かされます。海や山の近くに来たのだから、いろいろな虫などの生き物を見るのは当たり前な話ですが。
夏の初めごろに背中の青いカメムシが決まって何匹かうろついていました。手で掴まえると、あのいやな臭いが鼻について一日中、苦しめられます。夏の暑い時期にこげ茶色の背中に変わっていたのは、成熟したからなのか、クロカメムシ(?)という別の種なのか?
クワガタの小さいのを見つけたときはびっくりしました。やはり、風に乗って飛び込んできたのでしょうか?カミキリムシにも来ていただきました。ただし、この虫は松ノ木を枯らしてしまうそうですから歓迎できません。天王さんの松が枯れたらコトですものね。
きのう東部総合病院前の自動販売機に松の枯れ葉のような、一本の細い枝が張り付いているのに気が付きました。よく見ると、カマキリを細くしたような体長10センチくらいの虫です。じっとして動きません。
そばに落ちていた小枝で払おうとしても、しがみついて簡単には剥がれません。傷つけないように気をつけて動かそうとすると、ようやく足の先で立って腰を浮かせました。アメンボウを大きくした感じの虫です。
でも、脚の先がギザギザになっていて水の上では立てそうにないと思われます。ネットで辛抱強く探していたら、エダナナフシという虫の写真に似ているのがありました。きのうは風が強かったから油断して飛ばされたのかな?
バッタは野原で、特に細野高原の湿原で飛び交っていましたが、なかなか写真の被写体に納まってくれません。このあいだ、志津摩から坂下川の沢沿いの道を上がっていったら、コンクリート舗装路上にじっとして動かない一匹を見つけました。背中の羽の部分がサボテンの果肉のように見えます。この細い脚の折りたたみが強力なジャンプの力の源泉なのだ!
それから、田の上の裏山に上がっているとき、二匹のハチが細い道の上で堂々といちゃついているのを見つけました。口付けをしているように見えるのです。近づいてもやめようとしません。じっと観察していると、一匹が離れてゆくのを残されたほうが恨めしそうに見送っていました。
もうひとつ、カニの横ばい。温泉街の海岸道路で横幅7,8センチくらいの真っ赤なカニを見つけました。茹でてなくてもこんなに真っ赤に恥ずかしがっています。ヒッコクリで掴まえるのは薄黒いモクズガニやイシガニで、これはまた珍しいカニです。
海岸から上の山道ではよくサワガニを見かけます。中には車に轢かれているのもいます。全体に白っぽくて背中だけ水色のものが多いですね。幅約4,5センチの小さなやつです。
台風12号が過ぎて涼しい風が吹き始めたと思ったら、さっそくモズが姿を現しました。ここ稲取では豊かな自然とともに、いろいろな生き物がたくましく季節を追っています。
熊野権現 ― 2010/10/05
山田の大家さんの氏神様は「熊野神社」となっていました。堰の沢の大家さんのは「三島権現」で、大久保の大家さんのはやはり「熊野神社」です。
クリーンセンターから“平並みハイウエー”を歩いて山田の大家さんの前まで来たら、ご婦人が庭先でミカン畑の手入れをしていたので、一言挨拶して参拝することにしました。この神社をいつも横目に見て通り過ぎ、いつかはと思っていた参拝がようやく実現しました。
狭い石段を上がってお堂の扉を開けると、木の小さな祠が鎮座していました。全体に何の変哲もない造りです。このくらいの規模の祠はだいたいこんなものでしょう。奥様と思われるご婦人の話では、20年くらい前に改築したとのことでした。
ついでに、堰の沢の大家さんのことを“センノサンの大家”と呼んでいました。まことに味わいのある発音ですね。“セキノサワ”よりも、“センノサン”のほうが当たりが柔らかいではありませんか。
入谷の三権現はこれにてすべて参拝を終えたことになります。きょうは大久保の大家さんの権現様のお祭り日です。氏族の方々が3時ごろから集まるとのことでした。どんな祭礼なのか興味津々ですが、多分、八幡神宮の神主さんの祝詞・お払いがあって、お神酒を交わしたあと、ご馳走の振る舞いがあるのでしょう。
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