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八丁池から三筋山へ その12015/10/06

ソテツの実は赤い
<赤いソテツの実が熟れた>.
天城峠から乗ったバスは修善寺方面からの数人のハイカーを乗せていた。八丁池口からは皆、八丁池遊歩道をゆくようだった。私一人がほんの少し戻ってウグイス歩道の入り口に立った。

 

そこからいきなり木段の急登が始まる。延々と続く木段を登りきると、右に開墾地が広がった。青い網が境界線を作っている。しかし、その中は雑草がはびこり、立木の切り株もところどころで頭を出していた。こんな山奥で何に使ったのか?あるいは何のためだったのか?

 

やがてヒメシャラやブナのひょろひょろした若木の林の中をゆくようになり、気分も落ち着いてきた。この雰囲気は里山では味わえない。そして出発してからほぼ30分でコマドリ歩道分岐点、即ち上り御幸歩道に下りた。先月も歩いたこの道をゆく。

 

ここからも暫くヒメシャラの林を楽しんで、続くアセビの長いトンネルを抜けると、八丁池遊歩道に飛び出した。バスで一緒だった単独行の初老のハイカーを追い越し、左に見晴台への道を分けて直接八丁池へ向かう。池に到着したのは11時ちょっと前だった。

          <赤いソテツの実>

 

今回の目的の一つにここの休憩所の「吾妻や」があった。先月訪ねたとき、この吾妻屋の内壁に集団でハイキングした名簿が掛かっているのに気付き、何気なく見上げて驚いた。私の同姓が数人並んでいたのだ。この姓は三浦半島の東海岸に多く、他では滅多に聞かない。

 

名簿には「平成十六年度 門野原区民ハイキング」とある。地図で調べたら、伊豆半島のほぼ真ん中、湯ヶ島のすぐ北側にあった。ウイキペディアによれば、古くから伊豆半島(伊豆市)に勢力があった清原氏の一族で、相模の国三浦郡に移住してきた、という。

 

とすると、私のルーツは伊豆市ということになる。伊豆は古来、都の貴族や武士が政争に敗れて都落ちした場所、追放されて「島流し」になった場所である。戸籍に平氏と書かれていたのを思い出した。八丁池の参加記念名簿が端無くも私どものルーツを教えてくれた。

 

さて、ルーツを調べる材料が八丁池にあったことで、写真撮影が終わると間もなく三筋山に向けて出発である。