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鉢の山セラピーロード2021/10/01

一昨日の水曜日に“隣の愉快な仲間たち”と河津の鉢の山に登ってきました。発足して3回目のウォーキングです。今回は仲間が一人増えて5人組となりました。 

鉢の山は「伊豆元気わくわくの森公園」と名付けられ、「森林セラピーロード」に認定された道路だそうです。一時はやったフィトンチッド効果が得られるとされる森林の中を、しかもよく整備されてストレスなく歩ける道を彷徨することによって心身をリフレッシュし健康を保つという理念で造られた道路です。

さて、今回は佐ケ野の交差点から上佐ケ野公民館まで車で上り、そこの駐車場に車を置いて鉢の山の山頂まで歩くことにしました。「元気わくわくの森公園」広場(第一駐車場)まで1時間半。そして第2駐車場経由で山麓周遊道を行き、山頂前展望広場を目指します。ウォーキングは4時間半を目安としました。

美しい棚田の背景に鉢の山が見えます。

上佐ケ野親水公園・三島神社は今回はパスしてゆくと右手に三筋山の風車。

振り返ると、右に電波塔の山を歩いた当時が懐かしい。

元気わくわくの森公園広場第1駐車場に来ました。時刻は10時半。ここで休憩をたっぷりとりました。
             上の写真右にトイレあり
第1駐車場から林道を歩いて第2駐車場経由で山麓周遊道路~山頂前広場へ。

観音山を右に分けると、第2駐車場は間近。ここで11時半。

この奥に第2駐車場あり 広大なソーラー設備を見たのは初めてです。昔、鉢の山競馬場があったのはこの場所に違いないと思いました。その跡地を利用したソーラーパネル装置だと思われます。

12時20分山頂前広場に到着。
つづく




鉢の山の競馬場2021/10/02


           火口跡の石仏群
山頂前広場では展望を楽しみながら食事休憩したかったのですが、残念ながらススキや草木が伸びて前方、天城山の山麓の部分を隠してしまい、今回のハイキングの目玉とはなりませんでした。設置されていたベンチも朽ちてしまって使い物になりません。折角の「わくわく元気の森」もこれでは人が集まってこないでしょう。ただ、木の切り株が健在だったことで、全員腰を下ろすことぐらいは出来ました。

とにかく“隣の愉快な仲間たち”はここで食事が済むと早々に山頂~火口跡一周に向かいました。山頂の三角点が四等ではなく三等だったのは意外でした。周囲の樹木が視界を完全に遮っているからです。後世に植樹されたのかも知れません。

山頂から僅か10分足らずで火口跡に到着。森閑とした厳粛な雰囲気のこの噴火口に十数体の表情豊かな石仏が鎮座していました。300年近くも前に村人が運んできた、と立て看板に記されています。開眼法要は筏場三養院の十四世和尚によって営まれたそうです。




鉢の山からの下山はセラピーロードを通って第一駐車場へ。そして公民館駐車場に15時半帰着。休憩入れて約6時間のウォーキングでした。

ところで、個人的にはこの鉢の山は今回で4回目の登頂となりましたが、この山に競馬場があったと言う話が記憶にありまして、その場所がどこなのかが宿題になっていました。それが今回の訪問で光明が見えて来ました。実は、第一駐車場からコンクリートの林道を通って第2駐車場まで偶然にも初めて歩いてヒントを得たのです。

ここにマンモス広場があってソーラーパネルが数えきれないほど敷設されているのを目の当たりにして、競馬場の跡地に違いないという確信を持ったのでした。鉢の山はいわゆる独立峰で富士山のように他から孤立した円錐型の山です。従って、広場と言えば第1駐車場のある広場とその隣接地帯しかないと思っておりました。ところが、この山の北麓にも広場があったのは大発見でした。そして極め付きは、帰途、棚田の上佐ケ野で農作業中の老婆からメガソーラーがある場所こそ競馬場の跡だと聞いたのです。勿論、この先も確証を求めて調べを進めるつもりですが。

当時はほぼ同時に稲取でも水乗り平に競馬場がありました。ただ水乗り平は全体に広く、まだ特定は出来ておりません。こちらの方は、1.クリーンセンターとその裏の多目的物置き場 2.ツリーハウスがある芝生の広場 3.クロカンのスタートフィニッシュ広場 4.野球場とその隣接の多目的広場  以上の4候補のうちのいずれか、が該当します。これも未だ宿題となっています。

競馬場と言えば、河津見高の長野にもあったと聞いております。大正から昭和にかけて競馬ブームが各地に押し寄せたのでしょう。山歩きをしていると、地方でも賭博をした場所というのが何らかの名前で残っています。稲取でもバクチ穴とかいうのが上林の沢の上流にありました。いつの時代でも賭け事は多くの人をいつか虜にしてしまうようです。

 

 

 

 

 

 

 



バオバブと となりのトトロ2021/10/03

鉢の山からの帰途、上佐ケ野公民館~第一駐車場間を歩いて特に印象に残ったのが、立派なクスの木と“となりのトトロ”でした。

一つは、一見してあのバオバブの木を思わせる何か得体のしれない、人に恐怖感を抱かせるような、それでいてひょっとして樹齢1000年は数えられるかも知れない重量感のある立派な樹。バオバブの木というのは「星の王子さま」に「放っておくと何時の間にかはびこって、その根で星を突き通して破壊してしまうんだ」と言わしめた、当時全体主義(ナチズム)の象徴として描かれた木です。上佐ケ野のこの木はクスの木だと思いますが。

もう一つの「となりのトトロ」?は枝道の入口にあった木製のもので約1メートル四方の丸太で作った箱の中に収められていました。この小路をたどればどこそこの森へ行けるとかいう表看板のようなものです。ひょっとして森の中のキャンプ場への誘いかもしれません。「となりのトトロ」は森の中に昔から住んでる、ということですからね。“となりのトットロ、トットーロ、トットロ、トットーロ・・・〽


鉢の山と水乗りと2021/10/04

今朝久しぶりに中川の畑で河津筏場出身のFさんにお会いしました。相変わらず元気な85歳のオバちゃんです。先週は筏場から鉢の山へ向かったので、早速、そのことを報告したら、小学校5,6年生の頃、一度だけ鉢の山に登ったことがあるということでした。しかし、問題の競馬場については存在した事実は知っていたが、実際に目にしたことは無いそうで残念。

子供の頃、近くの上佐ケ野の山にワラビ採りに行ったとき、競馬場のような周回コースがあったと言ってましたが、どうでしょうか、例えば、馬の調教場のような施設だったのではないかと思うのですが。彼女は下佐ケ野の小学校に通っていたそうで、その近くに馬の調教施設があるので、その類なのではないかと思います。ちなみに、その小学校も今は統合の問題を抱えているとか。少子高齢化は河津も例外ではありません。
            森へのパスポート?

今朝はその後、一望閣のHKさんのお宅に寄り、暫くぶりでお話を聞くチャンスがありました。こちらは95才のオジイチャンで、まったく元気そのもの。裏の畑で農作業に励んでいました。早速、鉢の山について質問したところ、その存在は知っていたが、見たことも全くないとのこと。その代わり、水乗り平の競馬場についてはさすがに多くのことをご存知でした。ただし、ご幼少の頃の事なので知らないことも多いと言います。

或る時、競馬中に妙齢のご婦人が落馬したことがありました。幸い怪我はしなかったようでしたが、その方は都会から来た馬のオーナー、詰まり馬主でしかもレースに騎乗していたそうです。頭にシルクハットを乗せ、黒の乗馬服で決めていたと言いますから、お金持ちの家のお嬢様だったのでしょう。レースはたいてい5,6頭立てだったそうです。ただ、まだ子供だったので賭け事だとか細かい約束事は知らないということでした。

              背景が鉢の山
金指さんの「稲取風土記」によると、大正10年から昭和8年頃まで催されていたそうで、当時、上河津や見高長野にもあったということは多分全国的な流行に乗ったのでしょう。HKさんは更に見高入谷の奥の大池にも在ったと言っていました。

北海道の十勝に「ばんえい競馬」というのが今でもありますが、日頃、農耕馬として活用していた馬を競走馬に仕立てお祭りのように娯楽の少ない村民がみんなで楽しんだということなのでしょう。それから、牛を闘牛に仕立て上げるのと同じですね。或いは牛相撲、角突きなど、沖縄や愛媛県の宇和島、その他全国的に行われているのと同じような気がします。ただし、あのカジノとは違いますからね。


稲校下の歩道橋の修理2021/10/05

稲取高校下の一部壊れた歩道橋が、ようやく通行できるようになっています。久しぶりにクロカンから降りてきて稲校側の入口に赤いコーンハットのストップが取り除かれているのに気づき、覗いてみたら歩けそうです。当然、踏み込んでみました。
すると前方に青い網が通せんぼ、左側に開いている通路が見えます。

国道側を見ると、○○プレガーダーの文字が見えました。和製英語のようですが、「本物に先立って設置したガード」、即ち仮の歩道橋のようです。

肝心な壊れた歩道は確かにまだ残っています。

とにかく、ジュウタンのような道をおそるおそる通行して、

国道を横切って、壊れた橋の立入禁止を確認。
左の石段を降りてゆきます。


古いガードにブツカッタときの痕跡が残っています。
とにかく、これで安全に通行できますね。メデタシメデタシ!