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奈良本峠から北川へ ― 2015/12/01
<自性院の手前から>
今朝の散歩はバス停坂町からスタート。久しぶりの坂道。この道は今でも小学校へ通う道だとか。しかし、この急な坂道は落ち葉が道幅一杯に散乱していて、車が通った形跡すら認められません。もっとも、軽トラくらいしか走れませんが。
あの「左いとう」と彫られた供養塔の右側は、今朝は青々としてヤブと言う印象がないのは意外でした。右畑中の道を辿った時はもの古りた竹ヤブが狭い道を邪魔していたのに、今は入口がバリヤ状になっている他は、中を覗くと綺麗に草刈りされていました。
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熱川ガーデンの佇まいも以前と変わらず、下草はキチンと刈り取られていました。小学校の脇を過ぎて最初の十字路に来て石柱の道標を確認。更に、「さかいまつ商店」の前の石段を上がって賽の神様と他の石像に挨拶。その後、バス通りを横断して「顔隠し地蔵(正確な名前を忘れました)」の前で手を併せます。
次に、濁川を渡って熱川温泉へは下りずに北へ、川の左岸を行きます。このまま行くと、水神社に出るのを、右への道の3つ目を曲がりました。この道は初めてでしたが、出たところは三菱の別荘地に通じる広い道でした。この広い道は少なくとも3度は往き来しています。
間もなくして、上から75,6の“オジサン”が下りてきました。短パンにストッキング姿で小刻みに早足でリズミカルです。別荘族の方でした。毎朝のトレーニングを欠かさないとのこと。これから郵便局まで下りて、公民館へと上がり、自性院を回り込んで峠に上がるという。元気な方で再会を約しました。
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奈良本峠の石像仏5体は相変わらずでした。この辺一帯は開発されてリゾートになっています。峠の栄枯盛衰を知るものは今やこの石像仏だけかもしれません。
奈良本峠を後にして北川へ向います。途中、伊豆マウンテンドッグランを横目になお下って、南無阿弥陀仏と彫られた懐かしの大きな念仏塔の前に立ちました。東浦路はこのまま直進ですが、途中から山道になるため、今回はここから北川へ下ります。
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<ランブリングロードから国道へ上がる石段は数か所ある>
伊豆急のガードを潜り、鹿島神社の手前から石段を下りて行きます。ランブリングロードに出れば今朝の散歩は完結です。道路際ではエビ網の手入れをしていました。北川で見たのは今回が初めてです。時間を見計らってもう一度国道に上がってバスで帰宅。所要、3時間。
千枚漬け ― 2015/12/03
知人が京都へ旅行したと言って、お土産に千枚漬を届けてくれた。早速夕飯に食べたら、これが大変美味である。袋に印刷された原材料名の欄には聖護院かぶら、昆布、その他みりんなどの調味料の名前が幾つか載っていた。
「京都名産千枚漬 伝承の技で漬け込んだ大安の京つけものです」との触れ込みもさこそ、京都の味に舌鼓を打ったのだった。そして夜半に夢を見た。
場面は竹垣で囲まれた民家の前を通りかかる。その竹垣は細い竹の枝を束ねて横長に並べられ、ずっと先まで続いている。私はそこに立ち止まり、何かに取りつかれたように眺めていた。暫くすると女性の声が背後から聞こえてきた。「この竹垣は全体にボーっとして繊細に見えるでしょう。それをお屋敷の周りに取り入れたところが“京都の味”どす」
そうか、“京都の味は甘酸っぱい”のかと ”納得”しながら、私は一本一本の竹の枝を頭の中に刻み込もうとして、懸命に竹垣を見詰める。下から上まで、上から下までを何度も何度も見つめ直す。そして目が覚めた。京都の千枚漬が竹の垣根に替わった理由が今でもわからない。
「京都名産千枚漬 伝承の技で漬け込んだ大安の京つけものです」との触れ込みもさこそ、京都の味に舌鼓を打ったのだった。そして夜半に夢を見た。
場面は竹垣で囲まれた民家の前を通りかかる。その竹垣は細い竹の枝を束ねて横長に並べられ、ずっと先まで続いている。私はそこに立ち止まり、何かに取りつかれたように眺めていた。暫くすると女性の声が背後から聞こえてきた。「この竹垣は全体にボーっとして繊細に見えるでしょう。それをお屋敷の周りに取り入れたところが“京都の味”どす」
そうか、“京都の味は甘酸っぱい”のかと ”納得”しながら、私は一本一本の竹の枝を頭の中に刻み込もうとして、懸命に竹垣を見詰める。下から上まで、上から下までを何度も何度も見つめ直す。そして目が覚めた。京都の千枚漬が竹の垣根に替わった理由が今でもわからない。
南斜面のミカン畑 ― 2015/12/04
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西風が強く吹きまくる中、散歩に出ました。風邪をひかぬようマスクを付け、頭をフードで包んで出発です。風の通り道ではよろけるくらいの強い風です。空は青、海の青には白いさざ波が立っています。
それでも「田の上」から山の中に入って幾分和らいだ風は、一望閣からあの“我が谷”に上がれば更に、フードもマスクも必要なくなります。南斜面のミカン畑に暖かい太陽光が惜しげもなく降り注いでいました。
大洞の谷を見上げると、遠目にも上部と下部に人の姿を見つけました。ミカンの収穫作業のようです。ちょっとお邪魔してみました。谷に下りて川を渡り斜面を上がってミカン畑に到着。風は殆どなく、暖かい光を浴びて幸せな時間が始まります。
年配のご婦人TIさんの足下には四角い黄色のコンテナが2つあり、既に一つは埋まって運搬機の上に載っていました。その他に丸い桶をミカンの木の枝にぶら下げて、そこにハサミで切り取ったミカンを一つ一つ丁寧に入れています。
その中からミカンを2つ両手に持ち、青島ミカンだと言って、いきなり私に差し出しました。「採ったばかりで、まだ多少酸っぱいかも知れませんが、どうぞ」この時期だと、普通なら少し酸っぱく、ミカン小屋に暫く寝かせてから出荷するのだと言います。青島ミカンの収穫は例年、12月から2月頃までで、近年ではそれが若干早まっている傾向があるようです。
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こんな“幸せな作業場”でも、歓迎されざる侵入者がいます。先ずは、川べりのほら穴を棲み処としたハクビシン。夜中に穴から出てきて、ミカンを荒しまくりました。手際がよく、まるで人間のように手で皮を剥いて喰べるのだそうです。
それから何と言ってもイノシシ。まだ青いのでも喰いちぎった痕があり、さすがに酸っぱいからか、キバの痕だけを残していたと言います。イノシシで一番困るのは、斜面に造成した石積みを崩してしまうこと。大勢で猪突猛進してゆけば、ひとたまりもないだろうことは想像出来ます。
そういえば、だいぶ前に、いつもの散歩コースからの遠目に、この畑の中に2匹のイノシシの仔を見たことがあります。まるで、石積みから更に上の石積みにかけて運動会をしているようでした。その上、親と思える大きなシシがその後を猛烈な勢いで追っていました。
それから、古畳をミカンの木の下に敷いておいたら、今ではズタズタにされてしまったと言います。畳の材料のイラクサはイノシシの好物らしい。先日はシカの親子を見つけたと聞いて驚きました。バリカン山のほうから来たのかも知れません。多分、水場を求めて谷へ下りてきたのでしょう。
こうした侵入者は困りものですが、日当たりが良く、風の影響も少ないこの畑に暫くお邪魔して、やはりミカン畑として優れた場所だと思えたのでした。
セミノール ― 2015/12/06
源十郎さんのミカン畑は田の上にあった。車道から畑の中へは細い石段が石垣の上に通じている。石を幾つか敷き詰めた石段は奥行きが狭く不安定なものだが、オカミサンは特に構えることもなく、スーッと上がって行った。バランスがいい。私も急いで後を追った。
鉄格子の小さな門扉を開け、その先に通じる細い踏み跡を左に右にと辿れば、ミカン畑が左右に広がる。ミカンの木は人の背丈を少し超える程度で、若木の印象を受けた。手前のがデコポンで紙袋に収まっているのが多い。
その奥のミカンの木は、オレンジ色の濃い実が枝もたわわに幾つも実っていた。「今年は摘果できなかったからね」とオカミサンは溜め息をついた。「少し小粒なのよ、このセミノールは」数は多く付いても、商品価値は下がるらしい。しかも、翌年は出来が悪いと言う。
ご主人の源十郎さんに初めて出会ったのは、「おおみよ」の山懐を歩いている時だった。この道は細野高原から続く南北に走る農道で、私はこの時、シカが罠にかかってもがいているのを間近に見た。間もなく軽トラが来て止まり、中から下りてきた方が源十郎さんだと、後でわかった。
しかし、ワナを仕掛けたのは彼ではなく、彼はその向かい側にある荒れ地の中の、猫の額ほどの面積に作付けした野菜の様子を見に来たのだった。シカは近寄ると暴れた。源十郎さんは仕掛け人が処分するまでは可哀想だがこのままそっとしておこう、と言って畑の中に入って行った。
その彼は今体調が優れないとオカミサンから聞いて私は耳を疑った。しかし同時に、あの広い荒地の僅かな一画にしか作付けしない理由が分かった気がした。こちらの摘果ができなかったことも。ここにもまた個人経営農家の限界が見えた気がした。
鉄格子の小さな門扉を開け、その先に通じる細い踏み跡を左に右にと辿れば、ミカン畑が左右に広がる。ミカンの木は人の背丈を少し超える程度で、若木の印象を受けた。手前のがデコポンで紙袋に収まっているのが多い。
その奥のミカンの木は、オレンジ色の濃い実が枝もたわわに幾つも実っていた。「今年は摘果できなかったからね」とオカミサンは溜め息をついた。「少し小粒なのよ、このセミノールは」数は多く付いても、商品価値は下がるらしい。しかも、翌年は出来が悪いと言う。
ご主人の源十郎さんに初めて出会ったのは、「おおみよ」の山懐を歩いている時だった。この道は細野高原から続く南北に走る農道で、私はこの時、シカが罠にかかってもがいているのを間近に見た。間もなく軽トラが来て止まり、中から下りてきた方が源十郎さんだと、後でわかった。
しかし、ワナを仕掛けたのは彼ではなく、彼はその向かい側にある荒れ地の中の、猫の額ほどの面積に作付けした野菜の様子を見に来たのだった。シカは近寄ると暴れた。源十郎さんは仕掛け人が処分するまでは可哀想だがこのままそっとしておこう、と言って畑の中に入って行った。
その彼は今体調が優れないとオカミサンから聞いて私は耳を疑った。しかし同時に、あの広い荒地の僅かな一画にしか作付けしない理由が分かった気がした。こちらの摘果ができなかったことも。ここにもまた個人経営農家の限界が見えた気がした。
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