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兵隊さんと団子2016/09/20

稲取港
『稲取の沖あいにはね、昔はいろんな魚が回遊してたんだ。黒潮に乗って小魚がやってくるんださ。それを追って大きな奴が流れ込んでくる。マグロだってよく獲れたんだよ。サバ、カツオ、イカ何でも獲れた。それが都合よく時期にズレがあったね。

サンマやサバ、カツオをやってるときはイカやキンメはお休みだ。そしてその逆もある。よくしたもんでね、それがうまく回転していたもんだから、一年中、仕事が絶えることはなかった。今はキンメ一つになってしまったよ。これじゃあ活気が出る訳ない。昔は夜出て、夕方の4時5時まで帰ってこなかったもんよ。

テングサもとうとうやる人がいなくなったな。船主はいても潜る人がいなくなってしまった。潜って取るというのは大変な仕事でね。体力を相当消耗するんだよ。今、あそこを走ってゆくだろう、ボートが。若い人が潜りにゆくんだ。サザエかアワビだね。若い人なら体力が続く。でも、70、80歳を過ぎてじゃ無理だよ。だいたい、潜りの人は長生きしないね。それほどきついんだよ。

テングサはね、昔は青竹を切ってきて、地面に並べたんだ。その上に洗ったテングサを干したんだよ。ああすると乾きが早いんだ。清潔だしね。そいで、寝かせたテングサをしょっちゅうひっくり返すのさ。おばさんたちがよくやっていたよ。あれで小遣い稼ぎもできたんだ。早く乾かさないと、次から次へと獲ったテングサが揚ってくるからね。それほど盛んだったってことさ。

エビ網に海藻がからまっていたって? それはだね、台風なんかで海底がひっくり返されるからだよ。海底にあったゴミや草がからまっちまうんだ。そういうときに仕掛けるのは禁物だってことだ。それとね、解禁が終わったときに、仲間同士で海底の大掃除をするんだよ。邪魔な草取りをするんだ。畑と同じよ。いいテングサが育つのはそういう手間をかけるからなんだ。

オラかい、ウチは代々漁師だったから、オラも漁師だったよ。12年やったね。でも、だんだんと不漁が始まって辞めたんだ。船持ちの漁師じゃなかったからね。エ、なにって?大工だよ。当時は大工の仕事が“五万”とあったからね。今じゃ、元、大工ってのが多いだろ。

当時は大工はよくしたもんでね、親戚同士が多かったね。仕事なんざ、親戚や知り合いの仕事しかやらなかったね。みんな何らかのつながりがあったから、それで仕事になったんだよ。大畑で大火事があったときなんか大変だったよ。忙しくてね。

ウチの実家は“洞川”でね、あそこは急襲で沈んでしまったよ。爆弾落とされてさ。何たって、下田のほうから低空飛行できて、バタバタやられた。怖かったね。オラは9人兄弟の一番下でね。小学校1年のときだった。ほかの兄弟は兵隊にとられたり疎開したりで、おやじとおふくろと3人だった。

幸い、ケガ一つしなかったけどな。あの爆音には戦争が終わってからもだいぶ後まで悩まされたワ。そうそう、そのトラウマって奴よ。突然襲ってくるんだよ、ゴーッという音が。辛かったね。耳を塞いでもどうしようもなかったな。今はもうそんなことはないがね。とにかく恐かったよ。

ウチの近くの“ワタ”じゃあ、防空壕でだいぶ死んだんだ。大きな防空壕だったけどね。向井にも防空壕がずいぶんあったね。あそこは特に狙われたな。兵隊がいたからね。“アオガエル”の特攻艇が格納されていたんだ。おふくろが兵隊さんに団子を作っちゃ食べさせていたっけ。おふくろはいいことしてると子供心に思ったね』