<><><><><><><><><><><><><><><><><><>

彼岸の明け2016/09/25

「お墓にね、お水を上げてきたのよ」

みかん畑の小道から、一人の年配のご婦人が手提げ袋を片手に、もう一方の手にはヤカンを持って大通りに出てきました。畑仕事の装いではありません。

 

「きょうは彼岸明けだから」

19日が彼岸の入りで、お中日の22日を挟んで今日25日が彼岸の明けに当たる。水はこの近くの沢で汲んできたという。意味は違うが、お盆の送り火のような気がしないでもありません。一つの区切りとしてです。

 

「もう無縁仏みたいなものよ。遠いご先祖の墓なのでしょうね。春と秋にはこうしてお花を手向け、明けの日に水を上げるのがオツトメになっているの。うちのお墓はお寺さんにあるのよ」

以前、百塚の“清水っ川の湧水”を探し回っていたころ、その近くのミカン畑の中で石仏のような石にお花が手向けられていたのを、この湧水地への手向けと勘違いしたことがあります。そこには弁天さんが祀られていると「風土記」に書いてあったからです。

 

「昔は畑の片隅にお墓を立てたのよ」

稲取に限らず山奥に入ると、確かに形だけのものや立派な墓石などもそこかしこにある。ご婦人が水やりした畑の中のお墓がどんなものかは知りませんが、この時期に手向ける行為そのものはやっぱり、ご先祖様に対する感謝の気持ちに通ずるのでしょう。無事収穫が出来たという感謝の気持ちですね。大自然への畏敬ということもあるでしょう。

 

この方のお宅が今朝の私の散歩目的の途中と聞きましたので、道中ご一緒しました。 “セーの神様”の角から西へ向かいます。賽の神様は風蝕がかなり進んで顔かたちは見る影もありませんが、どっしりと訪れる人を優しく見守ってくれているようです。

 

「この神様は子どもの疫病をここで食い止めてくれたんですよ」

道祖神は村人の神様であると同時に旅人の道標とも言えますね。古くからここに道があったとも。

この“セーの神様”の台座には拳ほどの丸い石が幾つか置かれています。ご近所に病に伏せる人があれば浜へ行き、小石を拾って、道すがら病気が治るように声高に祈りながらこの台座に収めた、と農家のIさんから以前聞いたことがあります。また、戦時中、召集された人のご無事を祈ったとも聞いています。いまご婦人も同じようなお話を聞かせてくれました。

 

「1月14日にはね、ここにお団子が沢山手向けられたものよ。それを子どもたちが集めて集会所でお汁粉のお団子にしたの」

お団子は上新粉で作ったと聞いて驚きました。小麦粉ではなかったのです。それを柳の木の枝を切ってきて、1本の枝に5つか7つ刺してここに寝かせて置いたという。無論、それはお母さん方がこしらえたのでしょうね。山のようになっていたらしい。

 

「昔は今のような楽しみごとが少なかったからね」

お正月が終わった後の子供たちのもう一つの楽しみだったことでしょう。なんと純粋で無垢で、わらべ歌でも聞こえてきそうな話ではありませんか!