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さらば三筋山2013/01/08

万二郎・万三郎とパラグライダー


さらば三筋山!
 


ついにその時が来ましたね。あなたはもう覚悟が出来ていますか?なるべくなら深傷を負わずに済んだらよいのですが。工事終了予定の2年後の春、深傷を負ったあなたの姿を見たら、とても平常心で見ていられないだろうと思います。せいぜい細野高原あたりを散策するだけにとどめておきましょうか。
 


思えばあなたに初めてお会いしたのは4年前のきょう(16日)でした。桃野湿原の入り口から遊歩道を上がって山頂に立ちました。万二郎、万三郎とつづく天城山の稜線が実に優美で、三筋山からその屏風へ至る尾根の筋が天界へのトレールのように見えたものでした。昔、稲取の子どもたちはこの尾根を歩いて八丁池まで行ったそうですね。
 


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年前のきょうの下山では三筋山からほぼ南に続く尾根筋を辿る途中、大島をはじめとした伊豆諸島や爪木崎に伸びる東海岸を心ゆくまで堪能しました。また、巨大な噴火口跡を思わせる大池を真上から覗き見ることができました。干上がった大池ではパラグライダーが羽を広げようとして何度も練習を重ねていたのを覚えています。
 


そしてきょうはもう一つの筋、おおみよ(大峰山)の尾根を歩きました。稲取の大入谷、中峰から三筋山の頂きに伸びている北西の尾根を一歩一歩しっかりと踏みしめ、味わいながら登って来ました。おおみよの尾根に這い上って、東に広がる細野高原とその背後に連なる天城連山をしっかりと脳裏に焼きつけました。
 


あなたから続く三筋の尾根に風車は似つかわしくないです。天城山の懐に風車なぞ馴染めるわけがありません。それなのにダークグリーンの鬼のようなウイルスが白装束で下界からわざわざこんな山奥にまで侵入してきました。県民の、市民の、町民の生活を支えるためだという大義をかざして飽くなき利益をむさぼるウイルスが。
 


三筋山の尾根に風車建設を歓迎する県民、市民、町民の特定の人たち。地方の財政や雇用を少しでも支えるため?町おこしのため?彼らは原発に替わるクリーンな産業誘致だと言ってはばかりません。確かに未だに石油を燃やすことと比べれば限りなくクリーンです。しかし、風車を設置する場所が問題なのです。最適な場所が他にあるはずなのに。
 


地道に反対活動を続けられた各グループの方々の努力を多としたいと思います。しかし三筋山殿、出来るなら、あなたにそんなウイルスを退治する正義のワクチンを用意したかった。数年前から着々と進行する病状を目の前にしながら、為す術を持たなかった無力を改めて思います。あなたに土下座しなければならないのは無力だった私たち自身なのです。

 

願わくば傷の深くあらざらんことを。さらば三筋山・・・。



稲取漁港を歩く2013/01/11


稲取漁港周りの道路拡幅とそれに伴う船揚場の改修工事が、年が明けて着々と進んでいます。
 


東町側の船揚場と正定寺裏の道路拡幅工事は昨年既に完成し、正定寺入口側の道路整備は「八尾比丘尼」や防波堤が既に撤去され、きょうは生コンが注入されていました。
 


徳造丸本店前の船揚場も既にコンクリートが敷かれ、修羅にする材料が用意されていました。役場前広場で作られた修羅付きのコンクリートブロックはどうやら波打ち際に埋められたようです。岡場では先ずコンクリートを流し込んでから修羅を付けるという段取りです。

 


大川臨港橋の下を流れる大川の河口でコガモのつがいを見つけました。稲取でコガモを見るのは初めてのことです。頭や顔の茶色と緑の眼帯が綺麗なカモです。この写真には写っていませんが、一緒に泳いでいたのはユリカモメでしょう。赤い嘴に赤い脚が目立つ小柄で可愛いカモメです。


この河口にはいろいろな野鳥がやってきます。この23日はアオサギがじっと海面を見つめていました。また、去年の秋にはクロサギが向井の船揚場の波打ち際でエサを探していました。3~4年前はバンが一羽泳いでいましたが、最近姿を見ません。

 

カワセミも最近見なくなりましたが、こちらのほうは多分、今でもこの大川の川岸を往復していることでしょう。

「岳麓点描」2013/01/12

春を待つ梅の木
井伏鱒二「岳麓点描」彌生書房刊

太古から富士山は今の形になるまで数多くの噴火を繰り返し、最近では延暦19年 - 21年(800年 - 802年)に延暦噴火、貞観6年(864年)に青木が原溶岩を噴出した貞観大噴火、そして最後に宝永4年(1707年)の宝永大噴火があった(ウイキペディア)ということです。

本書は富士山北麓の谷村藩とその土地にまつわる史実を小説にしたもので、幾つかの短編小説を城代家老と見廻り方の役人を主軸にして一つにまとめています。

先ず最初に「新倉掘貫」の章は、河口湖の水を一寒村まで水を引く大工事の話。この工事は13年後に難航して中止になっていますが、工事に際して測量師や堀貫師などの技術者を他藩から借り集めています。幕藩体制でそういう融通性があったのですね。

そんな折に芭蕉を登場させて藩内をあちこち案内し、俳句を詠ませているのが興味あります。百姓一揆で死罪になった者たちの話の中の、「山賎(やまがつ)の頤(おとがい)とずる葎(むぐら)かな」の句は百姓の粘り強い無言に驚きを感じて詠んだ句のようです。他に旅籠屋での魚屋の話しが出てきます。

その他、土器を作った窯跡の検分だとか、富士山についての史料集めや実際の検分など、興味ある話が満載されており、その中で庶民の生活ぶりが飄々と表現されています。この作家一流のユーモアを楽しみながら楽しく読み進めることが出来ます。

東海道は富士山を北回りしていたのが、延歴19年の噴火後に南回りで足柄越えになり、その後の噴火で箱根路が開かれたのではないか、と作者は言っています。本書は富士山について調べる上でも有難い本です。

この本は昭和61年に出版され、すぐに買い求めた記憶がありますが、その後、読み開くこともなく本棚に眠っていました。山にのめり込んでいた当時、山に関する本を集めていた中の一冊です。

東浦路に遊歩道を2013/01/13

真潮路の ゆくては暗し しけぬまに

とく帰り来な この灯めざして   ―――萩原スゲ


旧稲取灯台


母親の温かな懐を感じる歌ですね。久し振りにこの歌碑がある旧灯台に上がりました。きょうは小春日和で風もありません。海側に新しく鉄柵が設けられていたので管理人さんに訊くと、去年の行方不明事件後に工事が入ったとのこと。
 


お世辞にも堅固な柵とは言えませんが、それでもある程度の転落事故の予防効果はあるでしょう。でも、どうせならコンクリートを使ってもう少し重量感のある柵にして欲しいところでした。
 


そうすれば、一部だけでも、前方に立ちはだかる立木を伐採して眺めを良くすることが出来たでしょうに。もともと、この地に燈明台を設けた当時は視界が大きく開けていたはずなのですから。


ところできょうは幸運にも横笛の横田年昭さんにお会いできました。神棚にあげるサカキを探しているところでした。現在ある作曲に専念しているとのことで、3月に東京で、そして5月には榧の寺でコンサートを開くというお話でした。
 


さて、本日の目的は白田海岸に遊ぶことです。バリケードを越えさせていただいて白田側に出たのですが、この崩れた旧道は去年歩いたときと殆ど変っていませんでした。多分、開拓人さんの手によってその後の倒木や倒竹が片づけられたのでしょう。

http://www.geocities.jp/kaitakujin/ 


白田側に出ると、以前観光案内所(?)があった場所に建設工事の飯場のような建物が建っていました。ドアの張り紙には(仮称)BBリゾート作業所と書かれています。付近一帯は整地がかなり進んでおり、しかも平成251月の安全目標が掲げられていましたので、工事は進行中と思われました。


どうやら食事処磯辺の脇からトンネル入り口にかけて、伊豆急線路と国道の間の斜面にリゾート施設でも建設するのではないかという雰囲気です。近くの空き地に生コン注入車や工事用の特殊自動車などが置かれていました。


ここに何らかのリゾート開発が為されるのならば、どうでしょうか、旧灯台からこの場所に遊歩道を設けるという案も現実的と考えられるのではないでしょうか?例えば、河津七滝の初景滝から上流は現在でも不通になっていますが、あの部分の地形と比べても難易の差は殆どないと思います。
 


この崩れた東浦路は登山道として考えると、それほど危険な道ではありません。迷う心配も殆どありません。このくらいの登山道は一般道として決して珍しくないのです。ですから、ちょっと手入れをして歩きやすくし、危険と思われる場所には相応の対処をしておけば、“登山道”は立派な遊歩道になり得るのです。
 


“はなれ”の“観光立件”が難航しているようです。ならば、歴史的にも由緒ある東浦路を整備して白田側と稲取側の往来を容易にしようではありませんか。史蹟「稲取灯台」には資料館もあります。しかし残念ながら、訪れる人の姿があまりないようです。この史蹟を生かすためにも、是非遊歩道として整備して欲しいと思います。


どんど焼き2013/01/14

田町地区のどんど焼き


きのうの成人式は好天に恵まれ大慶至極でしたが、今朝は悪天の中、どんど焼きが行われました。雨天でも行われるのですね。
 


いつもは大勢詰めかけるのに、今朝は残念ながら火を囲む人の姿は多くはなかったようです。それから、今回は東町のどんど焼きの場所がプール跡の脇に変更になりました。お天気は昼少し前から激しい雨風になり、それまでに終えられて滑り込みセーフというところでした。
 


ところで、いつも浜地区の様子しか見ておらず、水下入谷地区のはどんなものかと思っていましたが、こんなお天気では外へも出られず、また来年までのお預けになりました。

<東町のどんど焼き>

<西町のどんど焼き>