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北川の”平滑”にて2013/06/05


「7つで峠を越えて小学校へ通ったのよ」平滑で会ったオバアさんが言いました。小学校とは奈良本の峠を越えた先の今の熱川小学校のことです。
 


「この山はみんなウチの山よ。山歩きは慣れていたから、怖くもなんともなかったね」しかし、奈良本から峠に上がってここまで歩いてきた道は、今ではコンクリート舗装されていたにしても狭く寂しい道でした。
 


「昔はこの道しかなかったから、体がどっか悪くなったら、4人で担いで奈良本の病院まで行ったんだ」そういうオバアさんは90歳。歯を総入れ歯にしてからはもう治す歯もなく、それ以来、他に悪いところなぞなく病院には無縁だと言います。
 


「ちっと前までミカンを背負って下の農協まで運んだよ」ミカンを摘む人は来てくれても、運んでくれる人がなかなか集まらなかったので、自分たちでよく運んだとのこと。それが現在も90歳で山歩きが出来る丈夫な体にしたのかも知れません。
 


奈良本の峠から伊豆マウンテンドッグランの前を通り、2~3の貯水槽を両脇に見ながら2~3軒の民家があるカーブで、前回は旧道(今の県道)に下りてしまいました。今回はそのまま直進して「風月無辺」宿まで歩き、県道に出るのを目的にやってきました。
 


その最奥の民家の脇から相模灘が見わたせるミカン畑を通り過ぎ、舗装が切れて前方に細々とした山道が続くのを確認して、いよいよだなと思ったとき、道端の山側に腰を下ろしているオバアさんにお会いしたのです。
 


「停留所が出来た時、ヨメに来たんだよ」停留所は旧道(県道)の農協の近くの「宮の口」というところだそうです。区長さんを務めた後も、村長にたびたび推挙されたのを断り続けた家柄だそうです。停留所とは東海自動車のバス停のことです。
 


当時のバスのことや道の状態など、お聞きしたいことはたくさんありましたのに、帰りのバスの時間が気になって先に進むことにしました。オバアさんも2本の杖で巧みに細い、しかも崩れそうな頼りない道をゆっくりと後から付いてきます。


バスに乗り遅れまいと急いだためか、途中の石仏を見過ごしてしまったのは又もや残念!オバアちゃんもお地蔵さまを拝んでくると言っていたのに。でも、いつかまた歩いてみたい道でした。
 


それから、バス停奈良本から自性院、水神社の手前を通って奈良本の峠に出た今回は目先が変わって、ここもまた訪ねてみたいと思ったのでした。

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