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東浦路 大川三島神社から八幡野へ その12013/06/18

伊豆大川駅と谷戸山
バス停大川でバスを降りると、目の前は三島神社、その向こうに向井山が迫っています。先ずは神社前からマンション グランプリエ伊豆の前を通って向田川を渡り、向井山の分譲地へ上がります。

その前に三島神社に参拝をしなければなりません。築城石の脇を通り石段を上がって、拝殿に参拝し今日の無事を祈ります。境内には常緑高木が鬱蒼と茂り、ご神域を鎮めています。神楽殿の演舞、三番叟は一度是非見ておきたいところです。

向田川にかかる鉄橋のような橋を渡ると、広い敷地の民家の前を通って川に沿った細い道をゆきます。あまり歩かれていないような雰囲気でも、さすがに昔から往来があったと思われ、道はしっかりしています。折り返して上がった先に草茫々の日大のセミナーハウスがあり、その脇を上がると間もなく旧国道に出ました。

更に旧国道を100mくらい伊東方向に進んでから西側に戻るような恰好の山道を見つけ、この道に入ります。傾斜が楽な折り返しを繰り返しながら登って行きます。昔は九十九折の坂道が、向田川の橋を渡ってから向井山の上まで続いていたのでしょう。途中、谷戸山や大川駅周辺が望見できました。

道の真ん中の分だけコンクリート舗装された道を追ってゆくと、貯水槽のようなものから導管が上に伸びていました。そして最後に石段を上って分譲地内の立派な道路に出ました。

写真集は下記URL
http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=MJ3nsbzUNdQ

ミカンノ木の剪定2013/06/19

吉久保の谷で入谷のMさんに久しぶりにお会いしました。ミカンの木の剪定をするのが今日の仕事です。もう既にかなりの範囲で剪定が済み、枝木がそこここに積みあげられており、ちょうどお手伝いの方と一緒に一休みしているところでした。

今はもうニューサマーの収穫も終わり、一段落したところでこの剪定作業をしているとのことでした。この剪定をしないと日の光を充分に万遍なく取り込むことが出来ないし、収穫の時に苦労することになります。

Mさんによれば、ミカン栽培の仕事は先ず消毒、次に追肥、そして摘果の三つが大事な仕事で、そのいずれも手を抜くと良いミカンが出来ないと言います。ミカン栽培の3原則ですね。ただ、ミカンの木が繁茂するに任せていると背が高くなり、収穫で苦労することになるから、だから剪定をしていると言うのです。

つまり、良質なミカンを得るために剪定しているわけではなく、収穫時の便をよくするために剪定をしているということなのです。ミカン栽培の良し悪しは剪定とは関係なく、一本のミカンの木に生るミカンの総数と、ミカンの木の葉っぱの総数との適度な割合如何によるということでした。なるほど摘果作業が大事なわけです。

ミカン畑の脇を歩いていたりすると、ミカンの木の大きさに目を見張ることがあります。背が高すぎるから、あのミカンは美味くないというのは間違いで、3原則をしっかり行っていれば、ただ単に収穫が大変だということなのでした。

それから、ミカンの木は古くなると良質なミカンが出来ないというのも間違いだとわかりました。現にこの畑のミカンの木は30年、40年に渡って栽培してきているそうです。木は高木であれ低木であれ、その生命は確かに長いものです。この点に於いても、一般の樹木の常識がミカンの木にも当てはまるものなのですね。

お手伝いの方が突然、素早く手を振ったかと思ったら、一匹の虫が地面に落ちました。彼はすぐにそれを捉まえると直ちに首をもいで捨てました。「ゴマダラカミキリだよ、こいつはミカンの木の根っこに卵を産み付けるから始末に負えないんだ。木が枯れてしまうから」背中に白黒の模様がありました。

東浦路 大川から八幡野 その22013/06/20


汐見崎分譲地からは車道を東へ下ってゆきます。間もなく左へ回り込んだ先に変速十字路がありました。この十字路の上のお宅に自販機がありましたので、缶コーヒーで一休み。
 


この十字路を右に下ると、旧国道に合流します。東浦路はその左隣の道で、初めは上り坂ですが、直ぐに平坦な道になります。いつの間にかコンクリート舗装がなくなって、山道に入る気配を感じながら轍の跡を追うと、拓けた場所に出ました。
 


どうやら地権者の資材置き場のようです。ダンプカーとショベルカーが留まっていました。道はこの先、海側の崖っぷちに付いており、間もなく樹林帯に入ることになります。ところどころにある山側へ新しく切り開いたような道は畑に通じているのかも知れません。
 


暗い山中に入り、足下に注意しながら緩やかに下って、青いネットの垣根が見えてきたところが旧国道です。前方に赤沢望洋台分譲地の入り口が見えます。これにて汐見崎分譲地内からここまではほぼ東浦路をトレース出来ました。「伊豆東浦路の下田街道」加藤清志著によると、東浦路は旧国道を横断して草崎川の方向へ下りて行くようですが、実際には無理なようです。


次に歩いた東浦路は赤沢恒陽台から清月院前まで。望洋台入口から恒陽台入口まで旧国道を歩いてしまったので、課題が2つ残りました。一つはグーグルの地図によると、草崎川沿いに降りる道があり、それを追ってゆけば長田農園入口近くまで行けそうなこと。もうひとつは長田農園への道に入り、市道大峰3号線を歩くこと。
 


さて、この先の東浦路は恒陽台入口から分譲地内に入って直ぐの、左へUターンする地点から始まります。この道に入った所に農道があり、ご婦人たちの声が聞こえたので踏み込んでゆき、訊いてみたら間違いなく旧下田街道だとわかりました。しかも、いずれ旧国道に出るとのことです。
 


曇天のもと幾分暗い道は、しかし、ハイキング道のような楽しい道です。ところどころに小屋があるのは畑があるからですが、この道を車は通れません。今でも歩いて通っているようです。やがて、石の道標が目に留まりました。下田方向へ向き直って覗き込むと、右やまみち、左下田街道と読めました。
 


この先は5分もかからずに再び旧国道に出ました。脇に立っている家は「磯崎インテリア工芸」。東浦路は国道の向こう側に続いています。躊躇うことなくこの道に入り、下り坂を少しで伊豆急線の線路に出ました。この線路沿いを下ったところが清月院前でした。

 

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東浦路 大川から八幡野 最終回2013/06/21

清月院に出たら、伊豆急のガードをくぐった先に東浦路が続いているとの記事を「伊豆東浦路の下田街道」で読んだはずなのに、どうしたことか反対方向の旧国道へと上がってしまったのは我ながら情けない話です。 


それはとにかく、旧国道をゆくと名鉄不動産の「赤沢」別荘地の前を通ります。この入口から伊雄山を仰ぎ見ることができますが、何年か前に別荘地内を通ってこの山に上ったことがあります。入口の管理事務所で入山の許可をもらってから歩き出したのでした。三角点のある展望の好い山でした。

赤沢別荘地と伊雄山


さて、旧国道をそのまま伊東方向へ進むと、「ルネッサ赤沢」別荘地を右に見ることが出来ます。実はこの別荘地の中を東浦路が通っていることを後で知ることになります。このときはそのまま旧国道を進み、4~500mほど行った左手の「椎の木三本」を見て参りました。ここは以前にも訪問したことがあります。
 


「椎の木三本」とは曽我兄弟の敵討ちのきっかけになった場所のことで、河津三郎祐泰が工藤祐経の手勢によってここで暗殺されたと云われております。取りあえず、上まで這い上がってミカン畑のなかを左手に回り込んで下りてきました。
 


この後は当然にも「河津三郎の血塚」を再訪しなければなりません。前回、訪問したときに、東浦路を整備した旨の案内板があったからです。更に500mほど行くと、小さな看板が入口を教えてくれています。別荘地のなかへ入って坂を下り参道をちょっとで血塚に到着しました。
 


血塚は宝篋印塔が立つ立派なお墓です。整備した東浦路は初め広い道が間もなく山を分け入る細い道となって続いていました。前回訪問時はここを少し歩いて引き返したのでした。今回は山靴を履いてきていますので、最後まで通り抜けました。ボサは若干ありましたが、5年前に整備されただけあって道は迷うことはありませんでした。
 


たどり着いたところは先ほど、その前を通り越した「ルネッサ赤沢」の別荘地内だったのです。つまり、清月院からの東浦路は清月院の下からこの別荘地内を通って血塚に繋がっていたのです。ここはあらためて清月院から歩きなおさねばなりません。
 


再びルネッサ赤沢の入り口、即ち旧国道に出て先ほどと同じ道を行き、二か所の血塚入口を過ぎると間もなく、「馬蹄石」の立て看板が目に入りました。ちょっと道を外れて見学。成る程それらしい石がありました。でも。馬の蹄で“らしき”跡が出来るものですかね。頼朝がこの辺を馬で闊歩しただろうことは理解できますが。
 


そこから国道135号線に出る手前に伊豆急の踏切を渡ってガード下を抜ける道があって、これが東浦路のようです。しかし、ガードをくぐってから今回は浜の方向ではなく、旧国道に出てしまいました。大川から八幡野までの宿題がまた一つ増えました。
 


国道135号に出れば、あとは観音さまの前を通って伊豆高原駅はまもなくです。今回は約四時間の小さな旅でした。

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下田公園のアジサイ2013/06/23

下田公園から稲生沢川と万蔵山


下田公園のアジサイを見てきました。梅雨も後半に入り、そのうえ今年は“カラツユ”の日が多いせいか、訪れるのがやや遅すぎた感じで、花に生気があまり感じられなかったのが残念です。もっとも、雨天でしたら趣きが変わっていたかも知れません。


2~3年前、オフシーズンに開国記念広場から城山に上がり、海中水族館へ降りたことがありましたので、今回もそのルートを考えていましたが、了仙寺から平滑川沿いのペリーロードをゆき、案内板に従って直接下田公園へ上がることができました。
 


上り口から間もなく下田蓮杖記念碑前を過ぎた辺りから、道の両脇いっぱいにアジサイが迎えてくれました。石段を上がって見上げれば、アジサイが斜面を埋めています。なるほど15万株、300万輪の偉容と言いましょうか。



だいぶ前に千葉の清水公園で催されたアジサイ観察会に参加したことがあります。その時、アジサイが多種多彩であり、これを極めるのが容易でないことを知りました。この下田公園にもかなりの種類が植え込まれているようです。

 

城山跡に登った後、海中水族館へは向わず、開国記念広場を下に見ながら山腹を巻いて蓮杖記念碑前に戻りました。途中でギブアップしてここの茶屋で休んでいた(花よりダンゴの)女房殿と合流し下山しました。花に囲まれた先ず先ずの日曜日でした。