<><><><><><><><><><><><><><><><><><>

ブラシノキ2013/06/07

ブラシノキ


今朝は雨雲をちょっと気にしながら、山神社から農免道路を歩いてみました。見高から国道へ下りずに井の際~水下と歩いて帰宅。3時間コースです。結局、降られずに済みました。今日の収穫はブラシノキ、他いくつか。白いブラシノキがあるなんて驚きました。
 


山神社からの道がT字路にぶつかり右へ行けば大峰山への道、左が長野を経由して国道に出る道、そして少し左に外れて直進すると見高入谷高原温泉が間もなくの所にあります。稲取側から河津見高へ入って間もなく見つけたのがブラシノキでした。
 


先週のアニマルキングダムでは既にブラシノキは花を落としていましたが、ここではまだ粒々が付いていて、花の盛りはこれからです。全体に木は若々しく、花は鮮やかな赤色で生き生きとしています。
 


この場所には他にもベニアジサイや幾つか名のわからない花たちが集まって、さしずめ、“秘密の花園”の感があります。

 

そして帰り道、いつもの“馬道”で気づいたのが白色のブラシノキでした。それも数本の木すべて白色です。赤色と比べると華やかさに欠けますが、実に見事に咲き揃っていました。その場所には、ついこの間までミカンがぶら下がっていたというのに。


北川から大川へ2013/06/10


先日平滑でお会いしたオバアチャンからもう一度お話を聞かせてもらおうと、今日もまた北川へ出かけました。他に、先ず、北川~大川の境目にあるお地蔵さまにお会いすること、それからその辺りから別荘地へ抜ける道を確認すること、以上の目的がありました。


しかし、やっとお宅は探し当てたのに、オバアチャンはお出かけしていました。家人の話では畑に出ているらしいとのこと。まあ、今日はお宅の場所がわかっただけで、お話は聞くことが出来ませんでしたが、またいずれかの機会を待つことにしましょう。
 


そこから更に坂道を上がって、南無阿弥陀仏の大きな石碑がある東浦路に出ました。畑で梅の実を集めている老婆がいたので声をかけました。300坪ほどの谷状の斜面にいろいろな野菜を栽培しています。枝豆、トマト、キュウリ、ナス、オクラ・・・。
 


南無阿弥陀仏の石碑の由来については、秋田から嫁に来た彼女にはわからないとのこと。ただ、毎朝花や水遣りは欠かさないと言います。そして同時に今日の日の恙なきことを祈るとも。足繁く沼津から息子が顔を見せに来る度に、採れた野菜を持たせるのが唯一の楽しみなのだそうです。彼女の生きがいですね。山里の穏やかな心豊かな生活が偲ばれて、こちらも心がなごみます。
 


さて、平滑に向います。やがて大島や漁船の姿が見えてきて、しばしパノラマを楽しみます。畑の隅で談笑している二人のご婦人に軽く会釈し、その脇を通って更に進むと、いよいよ舗道がなくなりました。しかし、細い山道をたどること僅かで北川と大川との境に差し掛かりました。
 


海側にネットが張ってあり、暗い足元にはっきりしたお地蔵さまが1体、もう1体は表面が完全に風化して立っていました。こんな足元にあったとは! 前回、何処に目をつけて通り過ぎたのか、我が目を疑いたくなるほど明瞭な場所に立っているではありませんか。


お地蔵さまに深くお詫びをしたあと、その左脇から山筋に道が付いているのに気付き、さては岬石さんに教えられた山道とはこのことかと、少し追ってみることにしました。これを行けば別荘地内に入るはずであることは昨夜地図上で確認しています。
 


行く手は細道ながらしっかりしています。作業小屋を通り越すたびに一段とボサが道を覆い始めました。周囲はミカン畑ですが、或いは収穫後にヤブが蔓延したか、いずれにしても、あまり人の手が入っていないようです。
 


それでも、モノレールに沿って上って行くと、遂に別荘地内に入ったかと思われました。最後のヤブを突破して躍り出たところ、人がいて建物を掃除しています。そして、ここはホテルで私有地内だから、中へ入るのは拙いのではないかとの仰せです。


どうやら請負作業員のようです。ヤブをまた戻るつもりはないので、これを無視して道路に出ました。すると、きれいに整備された通路の脇に「風月無辺」と書かれた小さな移動車が数台置かれていました。なんと、ここはそのお宿の敷地内だったのです。
 


もはや、戦意喪失です。そのまま急な通路を下って旧国道に出ました。振り返って見た建物は先日も見たのですが、実は宿の案内受付所で宿ははるかに高みの場所にあったのでした。別荘地内へは多分、この宿の西方へ更に上がって尾根に乗れば辿り着けるだろうと思われます。でも、これにてこの辺の探索は打ち切りにいたします。
 


ところで、もうひとつ秘かに狙っていた道筋があります。「ぼなき石」からそのまま東浦路を辿って下の三島神社前に出ることです。ぼなき石を最初に訪ねた時にその先の坂道はゴーストップのチェーンが横に張られているのを確認しています。
 


これを突破して石段を降り、コンクリートの基礎枠が放置されたままになったところを海側の縁に沿ってヤブを分けて下ると、更地に出ました。作業小屋があって、その先に道が通じていました。この道が下から上がってくる道に合流すると、更に下って国道沿いの道に出ました。露天風呂の案内板がありました。この手前に4体の石碑を確認。
 


前方に三島神社の鳥居が見えて来ました。東浦路はこの先マンションの脇を通って橋を渡るそうですが、次回に改めて挑戦することにして、今回はこれにて終わりとします。

 

写真のスライドショー

メイベルのぼうけん2013/06/11

かわいいゴキブリのおんなの子 メイベルのぼうけん  福音館書店
ケイティ・スペック 作 おびかゆうこ 訳 大野八生 画

「ほんとうに欲しいものはなかなか手に入らないものなんだ。だから今あるもので我慢するのが一番」

これはこの物語のヒロイン、メイベルが、その友だちのヘンリーから聞かされた言葉です。それはヘンリーが積み上げてきた人生体験から得た哲学であり、それはまた一つの生き方でもあります。

でも、ゴキブリのメイベルには夢がありました。いつもの食べかすや食べこぼしで満足できず、「お皿に乗ったごちそうを一度でいいから食べてみたい」という夢。

メイベルはノミのヘンリーの忠告にもかかわらず、自分の夢を追うために我慢が出来なくなり、行動に移してしまいます。本書は命からがらの、夢追いと無事生還の物語です。

ところで、“しりとりゲーム”さながらに、ある行動が一つの偶然の結果を生み、それがまた原因となって更にまた別の結果を生んでゆくという、そういうパターンが次から次へと続いてゆくところにこの物語の面白さがあります。あれよあれよという間に展開する、その成り行きに読者はハラハラしながら最後にオナカを抱えて笑いながらホッとするのです。

第一部はそのドタバタを引き起こしたのがメイベルですが、第二部はメイベルの嫌いなハエ、モーリスが騒ぎを引き起こします。でも、それによってメイベルの運命も翻弄されてゆきます。つまり、運命はいやおうなしに「向うから」もやって来るのです。

しかし、メイベルはそんな運命に翻弄されながらも自分の夢は持ち続けます。そして、ついにとっておきの美味しいラズベリーパイを頬張りながら、こう言います。「世の中なにがあるかわかんないけど、たしかなことが一つだけあるわ。おとなしくしていても、していなくても、生きていれば、びっくりすることが次々に起こるものなのよね」


メイベルが毛嫌いしているモーリスが危機に陥ったとき、同じ虫仲間だからと助けたことがあります。その後、メイベルが絶体絶命の危機に瀕して逆にモーリスに助けられました。「目玉はとび出ているし、足は毛むくじゃらで、くさい」モーリスだけど、憎めない友だちだとメイベルが悟るところは教訓的です。

天王さんの松2013/06/14


一週間ぶりに“はなれ”の磯回りを楽しんで天王さんの坂を上がってきたら、そのご主人が境内のスギやヒノキの枝打ちをしていました。枝打ちは先月から続けていたので、だいぶすっきりとしてきました。早いもので、夏祭りももう来月に迫っています。
 


檜1本に50枝前後あると言いますから、全部枝打ちするわけではないとしても、境内の立木にすべて手を入れるのは大変です。背の高い木が多いので、ハシゴを使った仕事になり気が抜けません。
 


ところで、私がこの坂を通るとき、いつも目をやるのが3本の松の木です。3本とも、坂の道の脇に立っており、下からA,B,Cと名付けると、Aが背は一番低いが、幹回りは一番太く、次いでBが幹回り2番、そして、幹回りは一番劣るが、背が一番高いのがC。

 


幹回りはどのくらいあるだろうかということで、二人で測ってみました。結果はAが3メートル91センチ、Bが3メートル77センチ。Cは幹の下部に亀裂が縦に入っているのが気になりました。
 


彼は、周りを石垣で固めたので、その影響ではないかと言います。ほぼ、その亀裂に沿って石垣にも亀裂が入っているのです。マツノキの生命力は強く、成長する時に踏ん張った力が石垣に亀裂を入れ、自らもキズを負ったと言うのです。
 


5年前、松Aの幹の中間にワイヤーを多少ゆるく回したのが今はそれが木肌に食い込んでいます。風倒木を防ぐためだったとはいえ、可哀想なことをしたと彼が言うのを聞いて、木の持つ力強さを感じました。
 


それから、稲取八幡宮が背にしている裏山のマツノキを見に行った時、細い管がマツノキの天辺まで上っていたので、何の為かとずっと疑問に思っていましたが、ご主人に訊いてその疑問が解けました。天辺に消毒の為の噴霧器が付いていたのです。

 


折から町の事業として建設課が立てたウマに表示がありました。6月18日にマツクイムシ防除事業(薬剤地上散布)とあります。その管を通して薬剤を散布するのでした。


思うに松Aは幹回りが太く、直立した姿と枝振りがことのほか立派です。八幡様の千年の松に決して引けを取りません。天王さんのご主人はその禰宜の役柄でもあり、注連縄を付けたらどうだろうかと、近く関係者に相談するつもりとのことでした。
 


注連縄を付ければ、大事にしてもらえることは先ず間違いないので、私も大賛成です。ただ、狭い道路脇に立っているのが気になります。



東浦路 大川から八幡野へ2013/06/17

大川三島神社と向井山
東浦路(旧下田街道)の白田から大川までは多少歩き残した部分があるかとも思いますが、何分にも旧道の正確なマップがないため、どこがどうと具体的にイメージ出来ないのが残念です。そこで、取り敢えず歩き通したことにして、次のステップに進みたいと思います。

今日はその続き、大川から八幡野まで歩いてきました。その中で印象に残っているのは大川の三島神社から向田川を渡って向井山に上ったことが一つ。それから、汐見崎分譲地の東の外れから望洋台分譲地の入り口まで。もう一つ、赤沢恒陽台分譲地から清月院まで。更に、河津三郎の血塚からルネッサ赤塚までの300m。

いずれも山歩きをしているかのような、幾分かの緊張と達成感を味わうことが出来ました。特に最後の300mは伊東市のNPOが補修整備した東浦路です。この道を歩けたことで、今回の小さな旅がより一層印象的なものになりました。

写真は全部で163枚撮りましたので、分割して披露したいと考えています。また道中記も書けるようでしたら、書いてみたいと思います。