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外国航路の船乗り2013/11/18


徳造丸のトコロテン工場の脇から下って、伊豆急線の踏切を渡り遊歩道に出たところで、一人の年配の紳士が流木に座って海を見つめていました。“オフネ岩”に波が当たって白く砕けています。その対岸のお不動さまの前で両手を突き上げているトレーニングウェアの若い男性の声がここまで聞こえてきました。
 


「昭和53年の大地震のときには慌てて帰ってきたよ。伊豆急は動いてないから、熱海から船で帰ってきた。でも、ウチはたいしたことなかったね。建てたばかりだったから、屋台骨は大丈夫だった。屋根瓦が崩れていたぐらいだった」
 


「それでも修繕やら何やらで、一か月半してから、また船に乗った。私は外国航路の船乗りでね。スエズ運河もパナマ運河も数えきれないほど通ったよ。世界中を周ったからね。震災当時はイラクに駐在していたんだ。」
 


昭和10年生まれのMさんは26歳で船乗りになり、以来40年務めて退職。その後、伊豆バイオパークで暫く仕事をしてから年金生活に入りました。現在は天気が良いと、午前中だけ、ゆっくりと散歩に出ると言う。
 


海を見つめて何を思い出していたのでしょうか?駐在していた当時のイラクは平穏だったと言います。その時の様子や、ヨーロッパ航路、アメリカ航路で立ち寄った港の数々の体験を、いつかまた、そのときはメモ帳と世界地図も広げながら、そんなお話をじっくり聞きたいものです。