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水下の用水路を訪ねて2015/02/04

二つ掘ミカン園
.<二つ掘みかん園>
水下の水車小屋の跡を訪ねるについては、先ず当時の田園風景をイメージするための材料探しと、用水路の確認探索行の二つの目的がありました。

 

「二つ掘」の前を流れる水路脇は収穫体験農園の周遊路として最近整備されたので、通行許可をいただくため農園の管理センターに顔を出したら、女将さんが出てきて現地まで案内してくれたのには恐縮しました。

 

女将さんは、「二つ掘」の前に架かる小さな橋のたもとに水車があったことを教えてくれました。川の右岸に僅かながら余地があり、そこに小屋があったと言います。その背後は一段高くなった畑で、しっかりした石積が畑と小屋の双方をガードしていたように見えます。
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 <右の林の下に水車小屋があった>

しかし、彼女の幼い頃、母親に連れられて来た水車小屋は「堂の前」裏の小屋だったそうで、懐中電灯を手に径を歩いてやって来た記憶があるという。案内していただいた「堂の前」裏までは距離にして100mもありません。この小屋の管理者は外岡さんだったそうです。

 

彼女が二つ掘に嫁入りして来た時には、既にこの辺の水車小屋はすべて姿を消していたということですが、幼い頃、動いていたとすると、55年くらい前までは稼働していたということになります。このことは、上清水では50年前にその姿はなかったという事実と符合します。

 

それから、用水路としては水下公民館前で、この「堂の前」~「二つ掘」ラインと、西側に「水下口」ラインが分かれていると教えていただきました。

 

公民館上のもう一つの水車小屋については、今日は場所の特定は出来ませんでした。それでも、そこから入谷の堰の沢までずっと水路をたどり、ついに志津摩川の取水口まで到達できました。水下の水車を回す水路の水源を確認したということです。

 

でも、たどり着いたところは想像していた通り、3~4年前に別のルートから訪ね当てた場所でした。当時の私にはこの水車を回した水路という問題意識は毛頭ありませんでしたから、今回は格別な思いがあります。(つづく)
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<堂の前の賽の神様>