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稲取から湯ヶ島への道 ― 2016/01/11
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一望閣から吉久保の谷を右にして、そのままストレートに土尻方向へ行く道(A~B)は「よしくぼ道」と言われた古くからの道だったそうだ。そしてCで稲取大川の上流、山田川を渡ってDへ進むと、そこには山田一族の守り神「姫宮神社」があり、先祖が信州から移って来て結んだ「渓松庵」の跡地がある。
ここには「済広寺」と刻まれた大きな石碑があり、現在の「前の田」の「済広寺」のルーツであることがわかる。古道はこの先、Eから赤松神社のFへと続く。E~Fは細いが明瞭な道で、赤松神社の参道のような雰囲気がある。今は農作業で往復する人も少なくなっているようだ。
細野高原へは今は入谷道がメイン道路だが、昔はA~Fを通ってGからツバサ(石蕗沢)を経由し、更に天城を越えて湯ヶ島へ向ったという。以上は久しぶりにお会いした“向うの家”さんから聞いた話である。
A~Fは既にトレースしたが、F~G間に道が残っていることは双方から途中まで確認済みだ。ただし、途中は少しヤブを覚悟しなければならない。そして、ツバサから湯ヶ島への道は、どのルートを通ったか、未だ聞いてはいない。
昔は稲取から湯ヶ島へ用事で通うことも珍しくはなかったようだが、いずれまた聞いておきたいものだ。
<一望閣直下から稲取の街を眺める>
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