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夏祭りの準備2012/07/13

稲取漁港
雨模様の朝、折り畳み傘を持っただけのカメラなし散歩。林の沢で“やっさか”のおやじさんに捉まった。開口一番、おやじさんが言った。「こっちの出番じゃなかったんだよ。顔ぶれが違ってた」

お祭りの準備についてはそれぞれについて各組の当番が決まっており、おやじさんは今日が自分たちの出番だと思って朝早く出て行ったところ、当番は別の組だったと云う。「俺も82歳になってボケたね。勘違いしてたよ。17日の後片付けがこっちの当番だった」

そんなわけで何もすることないので、庭先の草むしりをしていたんだそうだ。今は猿に食べられてしまった(と、オヤジさんは言う)カサブランカに替わって色とりどりの花を咲かせている名も知れない花の周りを手入れしている。

おやじさんの組は大川橋の左右の欄干にヒノキの枝を端から端まで飾り付けること。お仮屋そのものの整備は別の担当ということだった。詰り、作業が幾つにも別れ、それぞれを各組が分担して請け負っているわけだ。

「祭になると、オメエ、川を止めたんだ。大きな丸太を1本は川床に下ろしてヨ、もう1本を上に渡してムシロを掛けるんだ。それで川の流れを止めたわけヨ。ムシロって知ってるか?縄で出来たあれヨ」要するに、川の流れをムシロで堰き止めたのだ。

「そいで、オメエ、水かさが上がってプールみたいなるら。そこで泳いだなあ。子どもらは潜るのが得意だった。なんたって、浜っ子は漁師の子が多かったからな。オレも30まではエビ網使った漁で潜ったさ」

大川の川を堰き止めたのはどういう理由からかわからない。毎年そうすることになっていたと云う。どうも、子どもたちを泳がせるためだけではなさそうな気がするが、その理由はおやじさんもわからないと首を横に振った。そんな風習も“若いし制度”とともに今は廃れてしまった。

散歩の帰りに“宿”“上宿”の通りから三島神社に降りたら、ちょうど巨大な幟旗を立てているところだった。境内の方はすっかり準備が整ったようだ。

ついでに大川端に回ると、こちらは万端が整って車でそれぞれ引き上げるところだった。大川橋は檜の枝葉できれいにフレッシュアップされている。ここを神輿が往来するはずだ。かつては橋の南側に設えたムシロの堰を想像しながら、暫くの間、私は川の流れを見つめていた。