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りゅうごんさん2013/10/31


奈良本の図書館で読んだ「龍淵院秘話」の添付資料に「龍宮様」というのがあり、小磯に鎮座して、乙姫さま(海の神様)が祀られていると書かれていました。しかし、そのときは稲取と同じ神さまだなと思いながら、「小磯」の場所がわからず、何気なくメモしておいただけでした。
 


きのうは要害山からの帰りに、白田の海岸にある祠の写真を撮ってまいりました。赤い鳥居は3年前に訪れた時には鮮やかな赤色でしたが、だいぶ色褪せていました。祠は二つあり、右側のは四角い石柱の表面に文字が刻まれていましたが、風化が激しく読めません。
 


左側のは石柱のなかが四角くくり抜かれ、そこに細長く平ったい棒と竹の棒が支え合っています。写真を拡大したら、平ったいほうに文字らしいのが浮かんできました。でも、これも全く読めません。

 

白田・片瀬の海岸


場所は国道下の
法面にあり、わずかに平らな面の上に祠が野ざらしのまま置かれている状態です。ただし、祠の頭はそれぞれ替えられ、御影石が新しく乗っていました。この頭の石は形と大きさがこの先の「清水」にある4体の石造仏と同じものです。 


現在は行き止まりとなっているこの場所から船揚場に戻ると、ちょうど漁師が船揚場の金具を点検していたので祠のことを訊いてみました。
 


年配の漁師の方は「りゅうごんさまだ。漁の神さんだよ。今でもみんなお参りに行ってるよ。年に一度、注連縄を張ってるんだ。注連縄ったって、縄一本に幣束を下げたやつだけだけどな」と話してくれました。確かに、注連縄は鳥居にかかっていましたし、祠の前にはサカキが手向けられていました。

 


帰宅して先ほどのメモを見て龍宮様だと納得したのですが、我ながら合点がゆくのが遅すぎますね。「白田の海岸の祠」と聞けば、龍宮様のことだと分りそうな話なのに。
 


それはともかく、稲取では龍宮様を「じゅうごんさん」と呼び、白田では「りゅうごんさん」で親しまれているのが面白い。「りゅう」が訛って「じゅう」なのか、十権のことなのか、わかりません。いずれにしても、龍宮様=漁の神さまで一致しています。
 


また、白田のりゅうごんさんを祀ってある場所から、賽の神さまや庚申塔がある船揚場のこの通りは東浦路だよ、と漁師のオジサンが言いました。すなわち、東浦路は旧灯台から下って「清水」の石造仏のところで旧道を横断し、今は伊豆急の線路辺りを通って、このりゅうごんさん経由で船揚場の賽の神様へと続いていたということになります。

コメント

_ 岬石 ― 2013/10/31 19:00

地元のお年寄りに聞くと、推理や疑問が、一挙に解決しますね。私は苦手ですが、inadaさんの人柄の成果です。『伊豆東浦路の下田街道』の本には今回の部分は出ていませんね。ただし、193頁に、途中の国道の山側に石仏が一体ある、とでていますので、そこの海側に道があったのではないでしょうか。なんだか、これはスゴイことですよ。

_ inada ― 2013/10/31 21:54

そのあたりは白田坂と言うらしいですね。国道の山側の石仏は私もだいぶ前に見て写真に収めてあります。水が流れ落ちてくる近くだったと記憶します。
以前、193頁を読んで、まさかと思いましたが、岬石さんもおっしゃる通り、東浦路はその辺を通っていたんですね。石仏が教えてくれていますね。

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