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子浦へ2015/02/16

<子浦のバス停>
第32番札所潮音寺の場所は分りづらい。バス停子浦で下車した時、年配のオジサンが後から降りてきたので道を訊くと、彼の家がすぐ近くだと聞いて案内して頂いた。

 

一旦、海際に出てから、密集した人家の裏通りに入った。海から離れて山の方へ向かってゆく。一緒に歩きながら、彼の年を訊くと、昭和5年生まれの85歳だとのこと。ここは彼の生家で、40年勤務した東京築地の魚河岸から20年前に戻ってきたという。市場でセリを担当していたそうだ。

 

しかし、ここでは単身の生活で、月に2,3度、家がある月島に帰るという。住民票が東京のままなのは、何と言っても、今では60年になる東京暮らしが板について、田舎の不便さが身に沁みるからだという。しかも、ここでの生活は幼馴染も一人二人と失って、頼りに出来る相手が居なくなってきている。生家が今や別荘となっている感じだ。

 

きょうは下賀茂で買い物をしてきたという。両手にポリ袋を提げていた。前方に、上に伸びた細い石段の先に寺の廂が見えてきた。石段の手前から右の路地へ入る彼の後姿をじっと見送った。

 

<32番 潮音寺>
潮音寺は、現在は無住の寺である。本堂の戸が開いたので中へ入る。入ってすぐ右手のテーブルに納経用のご朱印などが置かれていた。自分で勝手に押印できるようだ。賽銭箱に既定の料金を納めてから納経。前面が殆どガラス戸なので、中は暗い感じはしない。

 

堂の真ん中の奥に座すご本尊はさすがに暗くてはっきりしないが、多分、聖観音だろう。左手に蓮華を持っているように見える。とにかく、本日最後の般若心経を納めた。

 

時間に余裕があるので、海岸に出る。去年夏に孫たちと水浴して遊んだ子浦の海水浴場には人の姿はなかった。一抹の寂しさは一人旅のせいか。32観音を済ませ、最後の伊浜の普照寺を敢えて残して帰ると決めたのは、そんな気持ちが動いたせいかも知れない。

コメント

_ 岬石 ― 2015/02/17 05:27

バス停からお寺までの短い間の会話で、その人の人生が浮かび上がっていますね。見知らぬinadaさんにしぜんに自分の話をしてしまうのは、inadaさんの人徳でしょう。
下賀茂で買った、両手に持ったポリ袋が鮮やかに効いていて、同年輩らしい我が身に沁みます。

_ 岬石 ― 2015/02/17 05:31

あ、年齢が違いました。私より15も上でした。

_ inada ― 2015/02/17 14:14

この方のお話を聞いて感じたことは、親はらからのいない生家に未だに繋がっているのは、住めば都の本拠地を離れて別荘ライフを楽しむことのほかにも、先祖に繋がるこの方の心の風景が生きているからだろうと、思ったことでした。
今回は、少しセンチメンタルジャーニーとなってしまった感があります。

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